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みんなのレビュー5件

みんなの評価3.9

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紙の本

即物的な現象を目の当たりにするのではなく、得体の知れない「何かがいる」「何かがある」と感じ取る脳力がもたらす恐怖――それを捉えた古典的な3作の名篇。

2009/04/11 23:09

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 そういう人は他にもいると思うのだが、私は複数作家の作品が編まれたアンソロジーがやや苦手なのである。特に短篇集で、数十ページずつの作品が次から次へと現れるもの。
 不器用なもので、それぞれに個性が豊かだと、読み進めるのに何やら忙しい思いをしてしまう。しばらく読んで、ようやっとその作家の作風に慣れた気になれたら、もう次の作家の作品世界に入っていかなければならないなんて……。場合によっては、作家の世界に十分に入り込めないまま、結末に辿り着いてしまうこともある。そうなると再読が必要になり、次から次へと再読しているうちに、短篇集1冊の印象がどうも良からぬものになる。要は切り替えが下手なわけである。
「細切れの時間に1篇ずつ読むのに都合が良い」「いろいろな傾向の作家を知るのに良い。今まで読もうとしなかった作家の世界に思いがけなく触れられるから」といったメリットが複数作家の短篇集にあるのは分かる。だが、サンプル集(と言うのはおこがましい傑作揃いであることが常だろうが)では、がっちり1冊の本を読んだという手ごたえとは異なる満足感という気がする。1冊の本としての記録も残しにくい。
 何がしかの明確なテーマが設けられるというのも、ブックトークじゃないんだしと思い、しっくりこない。いっそガイドブックと割り切れれば良いのかもしれない。

 しかし、本書『地獄』は実に望ましいアンソロジーであった。編著者は、短篇集を編むときに長めだからという理由でなかなか紹介されない中篇を取り上げたという。中篇だから、数十ページずつの短篇集のように慌ただしくはない。3篇きりの作品に、それぞれゆっくり入っていけて、じっくり味わうことができる。そして、長さがどうのこうのという問題はさて置き、素晴らしいのは作品のトーンが見事に揃っているという点である。

 ウォルター・デ・ラ・メーア、メイ・シンクレア、アルジャノン・ブラックウッドは共に19世紀後半から20世紀前半を生きた作家である。古典的な英国の怪談なので、恐怖は静かに日常のドラマのなかに侵入し、そしてそのまま静かに進行していく。
 どの篇でも、読み手に恐怖を抱かせる超常的なもの、つまり心霊や魔力、悪魔的なものが、舞台とされた空間を支配していることをほのめかす。だが、最後まで読んだところで、果たしてそれがどういうものであったのかが、説明し尽くされはしない。説明ができないからこそ、それは超常的な怪奇なのだという立場が、そこには見て取れる。
 破壊的な力を持つものにワーッと人びとが襲われ、派手に犠牲が出て、ラストには、その破壊的な力が何であったのかが解説されてしまうような、得心の行き易いモダン・ホラーとは明らかに趣きを異にする。
 私は怪奇小説に詳しいわけではないので、古典的なものとモダンなものの差を、このようにしか受け止められていない。しかし、自分の日常を振り返ってみれば、おのれが気づかないうちに、得体の知れない邪悪なものに自分の健康的な部分がひたひたとむしばまれているように思えるときがある。したがって、本書に収められた3篇は、古い作品であっても既知感があるゆえに怖い。

 デ・ラ・メーア「シートンのおばさん」は、寄宿制学校で同級生だったシートンと語り手ウィザーズが共有した体験の話。ウィザーズは友に乞われ、彼の後見人であるおばさんの家に出かける。「おばさん」と言いながらも実は血縁関係はなく、シートンはおばさんの正体をつかみかねている。彼女は心霊たちと交わる魔的な力を持っているようで、シートンは怖れを抱いている。
 学校を離れたシートンとの連絡は途絶えてしまうが、ある時ばったり再会をする。彼には婚約者ができ、彼女がおばさんに気に入られていない様子で、ウィザーズは相談に乗るため、再び乞われてシートンの家を訪う。ふたりだけで所帯を持とうとする若い婚約者たちのことを良くは言わないおばさんの話を聞いたあと、家を辞す。それから結婚式への招待も受けることがなかったが、あるとき気まぐれでシートンを訪ねて村へ行くと、おかしな事実を知らされる。
 シートンの感じ取っているまがまがしい気配が、この小説全体にじんわり滲出して、心霊と交わる人がいるのだから心霊はやはり存在するのだと思えてくる。

 メイ・シンクレア「水晶の瑕」は、人のむしばまれた精神を癒やす魔力を手にした女性アガサの話。この魔力は遠隔操作がきくものなのである。愛人を支えようと、彼の妻の狂気を封じるのに集中するため、彼女は居を田園に移す。しかし、そこへ友人夫妻も移ってくるのだ。
 友人ミリーの夫は精神を病んでいるのだが、アガサに会うと元気をもらえるというので、彼女が住むところへ転地したのだから何かが変わると夫婦は期待していた。ミリーの夫のあまりの悄然ぶりを見て、アガサは彼のためにもやむなく魔力を使うことにする。けれども、2人のために力を使うことになると、そのバランスを保つのがとても難しくなる。
 設定はまるで違うのであるが、これを読んでいると、テッド・チャン『あなたの人生の物語』中の「理解」という1篇を思い出す。それは超人同士の戦闘の物語であったが、ここでは、アガサの力を必要とするふたりの存在が、闘いの様相を呈してくるような感じもある。
 古風な古典であっても、ほこりをかぶってカビ臭いわけでなく、空気にあまり触れないようにしまい込まれていた絵画や宝飾品、陶器のように、この作品は美しい色や輝きを放っている。

 アルジャノン・ブラックウッド「地獄」は広壮な屋敷に取り憑いた邪気をめぐる話。外国から戻った妹の友人メイベルが、物書きの兄と絵描きの妹に、「塔」と呼ばれる屋敷へ滞在するよう誘ってくる。
 ふたりはあまり気の進まないままに出かけて行くが、案の定、そこは芸術家たちにプラスの霊感を授けてくれるどころか、どこか牢獄のような空気が漂う、負の気配に制された場所なのであった。やがて、その空気がメイベルの亡き夫の宗教的熱中、つまり自分の信じる教義以外は認められないという不寛容から生じているものだということが明らかになってくる。
 これは兄妹の体験することもさることながら、信仰のあり方や地霊といったものをめぐって兄妹の間で交わされる議論に読みごたえのある知的な小説だった。

 超常的なものが自己の外部にあるのか、内部に感じられるものなのかという別はあるが、いずれにしてもそれを感じるのは「思念」、つまり「脳力」の問題とされているように思う。即物的な現象を目の当たりにするのではなく、得体の知れない「何かがいる」「何かがある」と感じ取ることが同時に恐怖である瞬間――それを捉えた小説は、「文芸作品」としての通用だけではなく、説明できない現代の諸現象に目を向けたとき、「人間の限界を捉える器」としての通用が見逃せないものであるように思える。

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2009/10/12 11:08

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2009/12/11 08:55

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2016/11/03 13:56

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2024/04/28 19:41

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