紙の本
山にまざるうれしさを覚える
2010/05/16 19:10
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐々木 なおこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「足かけ三年で、十の山に行った」とあとがきにありました。
著者の千さんと、写真家の坂本さんと、山の先生の五十嵐さんと、いつも三人での登山、です。
「回を重ねるたびに、山にまざるうれしさを覚えた。
とちゅうの険しさやのちの疲れをなんとも思わなくなっていた。体ぜんぶをつかいきると、頂上に届かないときも悔しくなくなった。」と千さんは言います。三人の呼吸がとても合ってたのだなぁ~とつくづく思いました。
そして、体ぜんぶをつかいきる大切さ、大事さを改めて教わったような気がしました。
千さんたちが登ったのは、北八ヶ岳天狗岳、東北の栗駒山、北アルプスの燕岳、北海道の大雪山、富士山…などなど。
山に入ると五感が冴えわたるのが、読み進めていてよくわかります。
どうどうと重い水の音がする、
けむったみどりの苔に出会う、
山の光は、はやくするすると動く、
木の青みがかった幹がしめっている。
テンポのよい千さんの文章が読んでいてとても心地いいのです。
山で出会った人との触れ合いも、印象深いのがいくつもありました。特に心に残ったのは富士山の山小屋のご主人の言葉。
「へとへとになったときに、見つかる答えというのがあるんです。
登山は、じっくり考えたり発見したりするいい機会なんです」
そうなんだなぁ~。
「明日はいい天気ですかときかれたら、いつでもいい天気ですと答えることにしている。すべての天気がいい天気。」
これも含蓄のある言葉だなぁ~と思うことしきり、でした。
登山は体だけでなく、心も脳もほぐす、魅力がありますね。
それは千さんの言うところの「山にまざるうれしさ」に繋がりますね。写真家・坂本真典さんによるモノクロの作品群が、山にまざるうれしさをいっそう引き出していました。
巻末には山行データもあります。
地図で千さんたちの動向をしっかりじっくり辿れます。それもまた楽しいのです。(^-^)
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単語ががぶつぎれに縦横無尽に組み合わされる文体。つ、つらかった。山本好きで何冊も読んでいるけれど、こんなに山の風景が私的に表現されすぎて他者に伝わりにくくなっちゃってるのは、初めてっ。ごめんなさい、途中でギブアップ。
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2010.06. ちょびちょびと読んでいたんだけど、期限切れ。このとこ、山がいいなあと思う。山登りとか、ちょっといいなあって。そのタイミングで手にとったので、なんだか手に取れただけで満足してしまった。石田さんのあっさりとした、けれども味のあるエッセイは好きだ。山、温泉、出会う人々。いいなあ、山。
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最近の「山ガール」ブームの先駆けとなったエッセイのひとつかも。山岳愛好家や山好きな人向けの雑誌「山と渓谷」に連載された9編の山行録に、書き下ろし1編を加えた石田さんのエッセイ集。山の本が好きな人が納得できる内容ではないかもしれないが、個人的には味わい深い山行録だった。 手に取りページを繰ってみると実に手触りのよい紙質だ。表紙の絵も装幀も美しく、まるで山の本とは思えない出来栄えの贅沢な作りと感心する。きわめつけは添えられているモノクロ写真だ。坂本真典さんの撮影した山の写真はカチッと美しく実に品がある。山での人との出会いにも、木の葉や水のしずくといった自然のものとの語らいにも、石田さんらしい感性がにじみ出ている。わけても、海の上に浮かぶ「屋久島・宮之浦岳」を綴った一編は、あくせくする現代人の営みの矮小さを際立たせるようなものだった。最後の書き下ろし「東北・鳥海山」も、最初の一編「東北・栗駒山」と併せて、故郷である東北へのやさしいまなざしに満ちている気がする。
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『ざぶんとしつかり目をつぶり、あたたかい頬にもどるころ、ガラス戸ごしにしくしくと聞こえた。お母さんは勢いよく風呂から出て、ぱあと戸を開く。なきべそが、立っていた』ー『孝雄山稜・景信山』
抜き取られた言葉がそこには確かにある。しかしその足りなさが読むものの意識をより文章に惹きつけ、言葉に頼り切らない伝心というものを成り立たせる。石田千とはそういう作家なのだ。特にフィクションとエッセイの中間のような文章をものにするとき、恐らく石田千の神髄は最もよく発揮されるだろう。そんな文章を読んでいると、作家の感情が風景に溶け込み、現実という軸から少しずれた存在にフォーカスが移動するのを感じる。それはそれでとても面白い。一方で、この「山のぼりおり」のようなもう少し地に足の着いた感じのするエッセイの石田千も自分はすきなのである。
解り易さ、ということも、もちろんある。けれど「月と菓子パン」や「平日」の石田千もそうだったように、一見淡々と情景を描写しているようでありながら心の深い所に響く文章というのはそうそう味わえないように思う。それを感じることができるのが、自分にとっての石田千の魅力なのだ。
とはいえ、この本の石田千はこれまで読んだことの無いような石田千でもある。無邪気な自意識が少し強く出ているように思うのだ。どこか上気したような気分が全編を貫く。ああ珍しい、何故そんなに浮き浮きとしているのだろう。その感慨は中盤に収められた坂本真典の写真に写る著者の姿を見るに至って、なお強くなる。
恐らく、それはへとへとになるまで酷使される身体の動きに引きずられるようにして湧き上がる気分なのだな、と落ち着いて考えてみてようやく解る。重い荷物、重力エネルギーとの交換を常に強いられる筋肉。のぼりも、くだりも。息はあがり、鼓動は早くなり、血流は激しくなる。それは単に手や足や背中やお尻の運動機能を行使しているのではない。その動きは、動け、という脳の指示と、負荷を感じ取った筋肉が脳に送って返すフィードバックという神経の動きも活発にさせ、ひいては脳に休む暇を与えない程にアドレナリンを放出する。それは気分をハイにする。
しかし、山頂を下り宿で温泉に浸かり筋肉が弛緩してくると、脳は信号の遣り取りに対する感度をあげたままでアイドル状態を強いられ、ちいさな感情の波に敏感になる。小さな出来事が大きく響く。そんな状況で発揮される石田千の言葉の力。書かれている事実を前景とするならば、言葉の尽くされていない背景も立ち上がる。ふうっとそちら側へ行ってしまいそうになる。すると、丁寧に言葉が尽くされてきた筈の事実は色彩を失ったかのように感じられる。輪郭抜きの出来事だけが、チェシャ猫のようにそこに残る。
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20130508 山の説明が無い山行記。言葉だけて風景が伝わって来るのがすごい。行ったことのある山はもちろん無い山も行ってみたくなった。