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カシタンカ・ねむい 他七篇 みんなのレビュー

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みんなのレビュー13件

みんなの評価3.5

評価内訳

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紙の本

どれも暗い話ではありますが、楽しめます。無論、「ねむい」のようにかなりショッキングなものも。本文については文句なし。でも訳者にたいする「ありき」のような礼賛は、正直わかりません。量が多いだけに、もっと客観的な文章がほしかった・・・

2008/10/27 19:49

9人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

そろそろ年だし、教養を身につけないとカッコ悪いかな、時間もあるし、他に読みたい本もないし、っていう時に手を出すのが岩波文庫。なんたって読んだことがない作品が沢山あります。家の積読コーナーを見ても早川、新潮、講談社、文春、東京創元社、徳間、中公の次くらいの量しかありません。多分200冊くらい。

ただし、パラフィン紙も変色してゴワゴワした本に手を出す気はさらさらなくて、読むのは白いピカピカのカバーが美しい新版・新刊ばかり。といっても本格的古典に手を出す気は全くなくて、精々が18世紀のヨーロッパ文学がいいところ。ロシア文学もそういう意味ではターゲット。分厚い本は敬遠しますが、チェーホフなら頁数もたいしたことがなくて・・・

でも、一応はカバー表の案内文、さらに本文に目を通して読みやすそうかくらいはチェックするというのが手順。この本でいえば

日本におけるチェーホフを
考えるとき,神西清(1903-
1957)の名を抜きにしては語れ
ない。短篇の名手の逸品を
翻訳の名手が手がけた9篇,
これに訳者のチェーホフ論
2篇を加えた〈神西清のチ
ェーホフ〉とも言うべきア
ンソロジー.表題作の他に,
「嫁入り支度」「かき」「少年たち」「アリアドナ」
等を収録。(解説=神西敦子・川端香男里)

とあるんです。ま、私にとって重要なのはそれが小説か、随筆か、戯曲か、詩か、旧かなづかいか、といったジャンルなので、この本は合格。早速読むことにしました。目次の順に各話について簡単に書けば

◆嫁入り支度:大佐と夫人、娘の歳月は・・・
 
◆かき:貧しさゆえに「かき」も知らない少年が取った行動は・・・

◆小波瀾:何も知らない子供は無邪気に家庭のことを話して・・・

◆富籤:もし宝くじが当たったら、それだけで思考停止状態になる夫婦は・・・

◆少年たち:子供たちの無理な要求を呑んでしまった少年は・・・

◆カシタンカ:若い赤犬の冒険は・・・

◆ねむい:眠くて仕方のない少女の決心は・・・

◆大ヴォローヂャと小ヴォローヂャ:大佐と結婚した妻は、昔の男と現在の夫を比べては・・・

◆アリアドナ:贅沢以外に何も考えられない女に振り回される男の愚かさ・・・

となります。巻末には訳者などの文が幾つも載っているわけですが、それを読み終えて改めてカバーの文言に目を通してカツンときたわけです。「日本におけるチェーホフを考えるとき,神西清(1903-1957)の名を抜きにしては語れない。」って何?神西清って誰?学校で習った記憶もないけれど、なに、この権威主義的な説明は、なんてね。

たとえば、巻末の「チェーホフの短篇について」(神西清)を読むと、チェーホフの小説の構成を、ソナタ形式になぞらえ第一楽章 平明な緩徐調、第二楽章 軽快調から漸次急調子に、第三楽章 躁急調、第四楽章 軽快調から漸次緩徐調に、と音楽に擬えています。いかにも意味がありそうな雰囲気ですが、昔から言い古されている起承転結とどう違うのでしょう。

一時代前であれば、クラシックを聴いていれば上流階級、見たいな雰囲気がありましたが、それは半世紀前のはなし。現代にそういう文を載せる意味がどこにある?なんて思います。チェーホフ序説(神西清)を読んでも、そういう気持ちは変わりません。

まして「父と翻訳」(神西敦子)などは、神西についてまったく知らない人間に、神西偉大で始まる押し付けがましい文章が、正直、滑稽で、有名な文学家の名前を羅列すればするほど、虚しい気がしてなりません。それなら私は何故神西を知らない?私の無教養を割り引いたとしても、「ありき」で始る身内の文章ほど空しいものはありません。

駄目押しが「美しい日本語を求めて」(川端香男里)です。美しいというか、正しい日本語にするのは文章を書くものであれば当たり前の話で、もし先人たちそれをしてこなかったとすれば過去の翻訳は一体何だったのか、と逆に思ってしまいます。まして私には神西の翻訳が現時点で見てそれほどのものとは思えません。

無論、文句は全くありませんが、ここまで持ち上げるのもどうかと思ってしまうのです。家族が父親のことを敬い、いつまでも思いつづけることは立派なことだし、大切なことでもあるのでしょうが、それはあくまで身内の思い、もっと気持ちに余裕をもって書いて欲しかったな、と思うのは私だけでしょうか。

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2009/01/30 15:36

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