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死生学という広範で、いわば収まりのつかない学問を整理しようとする、意欲的な論考集である。
全体としてロス(エリザベス・キューブラー)の引き合いが多く、彼女がどれだけの功績と、面白みを残していったかがうかがわれる。
また、最終章に近づくにつれ、死と生の様相が形而上的な取り扱いになっていく。それでいて最後は、柳田国男の「二人称の死」という、極めて経験的なことばを据えている論でまとめられている。
このことは私に再度、死を語るにあたっての物事における順序というか、そうした手引きを示してくれたように思う。すなわち、私にとって、死後の旅を語るということは、極めて内省的な、セルフ・自我・自己の問題であった。しかしながら柳田国男のことば、そして宮沢賢治の作詩が匂わせるところとしては、それは二人称の死をナラティウ゛として語れるようになって初めて、始まる問題ー死の旅ーであったということだ。
このことを鑑みれば、我々人間は大切な人の死を前に先だってはならないという、現実的な面にもつながりが出てくる気がする。そうしなければ、自らの死を語る、自らの死の航海の準備はできないのだから。
すると、ローレンスが語った「死の舟を作らなければ」ならない、という終末への危機感は、古代エトルリアからの歴史軸をこえて、現代の我々へも切々と響いてくる。それは他ならぬ「人を愛せよ」ということである。人を愛し、その愛する人の死を語ること、そうすることができて初めて人は、二人称の死という導き手に引かれて、一人称の死の旅へと踏み出すことができるのである。