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長野の里山でワイナリーをつくったひとのお話です。
環境や自然や農業に対する理想だけではなく、
実現させていく中での苦労話がリアルに伝わってきます。
読みやすい文体なので、ドキュメントドラマを見ている感じでした。
この秋にでも行ってみようかな。
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●No.25
p.159 「里山のサスティナブルな企業・開発の可能性を探る」
p.118〜120 「ヨーロッパの豚→牛への家畜の変遷と環境に対する意識の関係」
p.179+扉 「広大なる田野を讃えよ、されど狭き田野を耕せよ」(ヴェルギリウス「農耕詩」(LAUDATO INGENTIA RURA EXIGUUM CONLITO))
〜「ニッチ産業の心得」にも。
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農産物の「ブランド認知」には同一作物の大量生産が必要なこと。
その一方で、本来その土地の農産物の「旬」とされる時期には別の土地からの農産物が流通されていること。
頭の中の疑問がくっついた本。
大きな利益は算出できなくても、自然と共存するための農産業。
そこに携わる人々の職人意識。
想いとビジネスとの線引きは、その人次第。
さぁ、自分はどの方向性に行くのかな?
と、視点が変わった一冊。
生活できなければ話にはならないのだろうけど、願わくば
「手作りの世界での自然な感覚」
興味を持てる仕事を、興味と集中力が続く限りやる。
それ以上やって、惰性になってしまうような無理な大量生産はしない。潤沢な利益はでないかもしれないけど、心は健全。
・・・。
理想論かな。
でも、これが理想。
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[ 内容 ]
熊が徘徊する里山の森の一角に個人で立ち上げたワイナリーとレストラン。
その道のプロの誰もが無謀だと断言した素人ビジネスが、何故客を呼び寄せ成功に導かれていったのか?
ビジネス上の計算はなくとも、やりたいことのコンセプトは明快にあった。
里山の自然の恵みとともにある仕事をやりながら暮らしを成り立たせる、それが里山ビジネス。
拡大しないで持続する、愚直で偽りのない生活と共にあるビジネスとは?
グローバリズムの嵐の中での日本人の生き方を問う一冊である。
[ 目次 ]
第1章 素人商売事始め(失敗したシャンパンサーブル 仏滅の日にオープンする ほか)
第2章 ワイナリーを起業する(ワイナリーオーナーという肩書 もっとも割に合わないビジネス ほか)
第3章 里山のビジネスモデル(ワイナリーという施設が意味するもの ここにしかないブランドの価値 ほか)
第4章 拡大しないで持続する(炭火焼きの教訓 ヨーロッパの豚 ほか)
第5章 グローバル化は怖くない(風が吹けば桶屋が損する 賞味期限がなかった頃 ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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時代が大きく転換している、マスコミでもまことしやかに喧伝され
個々人もうすうすそう感じている。
でも、いったいどうすればいいのか。
誰もが、著者のような暮らしをすることはできない。
が、普通に暮らしていることを見つめ直すための視点を
読む人それぞれが得られるように思う。
手触りの生活を模索する私個人にとっては非常に示唆に富む。
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ビジネスの計算より先に、やりたいことのコンセプトが明確にあって、里山という極端に効率が悪い場所で誰もが無謀と思ったワイナリー&レストラン事業を成功に導いたということで、そのビジネス観を紹介しています。
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里山でワイナリーと付属するレストランを開設。特段の準備をしたわけではなく、事業計画があるわけでもなく・・・・しかし、予想以上にお客様が来た。そして、村が変わり始めた。
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里山ビジネスのポイントは、「強い明確なコンセプト」と「地域社会と会社の持続」だと理解。
「そういう時代だからこそ、里山ビジネスの出番があるのです。
拡大しないで持続する。
持続しながら生活の質を上げる。
どんなにグローバル化が進展しても、それに影響されることのない生活を確立する。
そんな暮らしが実現できたら、どんなに素晴らしいことでしょう。」
ヴィラデストワイナリー行ってみたい。野菜がおいしそう。
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里山ビジネスの成功事例として自らのワイナリーとカフェレストランを紹介。
著者はエッセイストとして食に関するエッセイをこれまで沢山出版している。最近は田舎に移り、以前程本は出していないように思える。読むのは随分久しぶりだ。
仕事の関係で里山には少し興味はあったのだが、一読してみるとやはり人に尽きるということであった。強い意志と目的を持った人がいないと里山ビジネスは成り立たない。
うーん、それはわかっているんだけれど…
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読み易い内容。
田舎でワイナリーとレストランを営んでいる著者の経緯、考えが書かれている。
確かに、全てのものを自分の畑や身の回りで賄えたら、原油の価格高騰で、、やアメリカがどうのこうの、、なんて関係ない。
著者さんにあやかりたいと思っても、種は自分の中から生み出さないといけない。
オープン初日は少なかったのに、予想以上にお客さんが来だしたのは何故だったのか、そこの所が分からなかった。
必要以上に地元産にこだわらない、というのは確かに!と思った。
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この本を読んだ後、ビジネスってこういうことだよな、価値観にあった働き方をしたいな、ということを感じた。
特に、飽食の時代と言われる日本において、食べ物がどんどん捨てられるコンビニとかを見ていると、なんか価値観と合わないなって思うし、野菜の形で売る売らないを決めるスーパーも違うと感じる。
取れたての野菜をその場で調理し、提供する形を取れば、上記問題は起こらない。
余った野菜は、ソースなりジャムなりにして保存可能な状態にする。
そういった、たべものを大切にすることが価値観にあっていると感じる。
また、資本主義において、人を雇うにも人件費が発生する。しかも、時給という単位で発生する。
山奥のお店に人が来なければ、売り上げは発生しないため、お給料も払えない。
一人じゃ何もできないから、誰かと協力して何かをやり遂げようとするけど、それにはお金が必要。
当たり前の事だけど、ビジネスは持続させるのが大変だ。
最後に働き方。
仕事は自分が選ぶもの。誰かにやらされるものではない。
だから、仕事の作業そのものにやりがいや喜びを見い出せれば、それに越したことはない。
ある椅子作りの職人に60脚注文したところ、そんなに作ったら飽きちゃうと言って断る話が出てきた。
そりゃそうか。仕事は、興味と集中力が続く範囲で行うことが適切なんだろうな。
そして、ものつくりは面白い!ってこと。
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地元ではちょっと有名な「都会から農業しに来てレストランやってるおじさん」のイメージしかなかったけど、読みやすくて面白い本だった。
ワイナリーとレストラン経営のこと、里山のこと、食べること、作ること、生きること。利益とやりたいことのバランスの取り方が上手というか、好感が持てた。
自分で作った野菜とワインを楽しめるなんてすごく憧れるけど、実際は大変なことが多そうで手が出せないけど、春が来たらヴィエアデストに行ってみたいな〜と思った。
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・成功した事例は、一人か何人かのエネルギーある個人が先導して、
それに刺激されて周囲が動き始めるというパターンがほとんど。
・そこでしかできないもの。そこへ行かなければ食べられないもの。
・生きたミュージアムとして示す。
・里山ビジネスの要諦は、持続すること。
できるだけ、拡大しないで持続することが大切。
持続しながら、生活の質をあげる。
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"里山でワイナリーを始めた著者の体験談。ワイン販売の許可を得るための規制や、県単位に保健所の規制が異なることや、失敗談の数々を惜しげもなく語ってくれているありがたい本。
日本の地形を生かしたビジネスを考えている人への応援本だ。"
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里山ビジネス
中国絡みの著作から少し離れて、久しぶりの里山バナシ。
タイトル見て中身も見ずに古本として購入したが、著者は玉村豊男氏だったか。。
ずっと前に「パリの雑学ノート」とか読んだような気がするし、内容はあまり覚えていないが、結構楽しんで読んだという記憶だけがある。
内容は、執筆業の傍ら、長野のあまりアクセスのよくないところに自前のワイナリー、カフェ、畑等を持ち、結構うまくビジネスをやっているらしい。著者の自然や物事に対する謙虚な姿が垣間見られて、なんとなく気持ちの良い読後感を得られる。
それにしてもワイナリーってのは随分始めるのにお金がかかるんだな。。。
所々で公的機関の規制等が現場にそぐわない形になっている話等も出てきて興味深い。公的機関も別に嫌がらせで規制しているわけではないのだが、目的が同じはずなのに・・どうしてそうなるのか。。
タイで食器や机を発注したら、そんなにたくさんつくれないからと言われたり、職人が飽きちゃうからという理由で数量を減らされたり。。なんだか可愛らしいエピソードもあった。そういうおおらかな人々がたくさんいる時代は、ギスギスせずに楽しかったのではとなんだか感覚的に思ってしまうのはなぜだろうか。
P.69
もう三十年ぐらい前になるでしょうか、雑誌がもっとも活気のある媒体として注目を集め、多くの有能な若者がライターや編集者として集まった時代がありました。あの当時は、午後遅く人気雑誌の編集部に顔をダスト、自分がやりたい仕事のアイディアを抱えたフリーのライターやカメラマン連中がたくさん詰めかけていて、編集者を相手に熱心に企画を売り込んでいたものです。編集者のほうもよく話に耳をかたむけ、面白いと思う企画はすぐに採用して、その場でその若者に仕事を発注することもありました。あらかじめ決まっていた企画を差し替えたり、急遽ページの配分を変更したりするのは毎回のことで。とにかく内容が面白いのがいちばん、自分たちが本当に面白いと思うものをつくらなければ読者も面白がってくれない、という、現場の熱気が伝わる雑誌づくりでした。ときにはそのためにひとりよがりの結果に陥ったり、アイディアを詰めこみ過ぎて消化不良になったり、といった失敗はあったものの、やりたいことをやる、という明確な姿勢が、生き生きとした雑誌の魅力を生んでいたのです。
ところが、いつの頃からか、雑誌の企画を決める編集会議で、
「この企画のターゲットは?」
などと発言する奴が現れ始めました。すると、
「これで広告が取れるのか」
と横から編集長が口を出す。
かつては、編集センスは抜群だが経費の計算は苦手、というのが編集長には多かったのに、知らないうちに、コスト計算ができないと編集長は務まらない、という時代に移行していたのです。
まず面白い企画を考えるより、ターゲットとなる読者を絞り込んで、最大公約数を計算した確実な企画を立てる。
自分たちがやりたいことだけをやるのではなく、広告主の意向に沿った内容を考える。
P.72
ブドウの木は四年から五年で成木になる、といいました��早いものは二年目ぐらいから少し実をつけ、三年目には半分くらい実りますが、全部の木が果実をたわわに実らせるにはそのくらいの時間を待たなければなりません。そして大人になったブドウの木は、一五歳から二十歳ぐらいのとき、もっともエネルギーに満ちています。
そのブドウの木も、三十歳を過ぎると少し体力が落ちてきます。枝に生る房の数も、そのあたりを境に少しづつ減りはじめる。(中略)ワインをつくるブドウの木は、古いほうがよい、とされます。血気盛んな十代の後半から二十代のうちはいやというほど実をつけますが、そういう若い果実からつくったワインよりも、四十歳、五十歳になって、酸いも甘いも噛み分けた、苦み走った大人のブドウの木になってからの方が、量はたくさんできませんが、滋味に溢れた奥深い味のワインになるのです。
五十歳というと、節くれだった皺だらけの短く太い幹から、わずか数本の梢が伸びているだけ、その先に、合計七、八房のブドウが実ります。(中略)それらを絞ると、ちょうどボトル一本のワインになる量です。そういう、人生を凝縮したような果汁から、最高級のワインが生まれるのです。
P.101
さびれていた街がユニークなアイディアで再生した、というようなケースの場合、その街へ行ってみると、観光客より視察団体のほうが多いのではないかと思われるほど、そういう人たちが集まっている。(中略)しかし、これほど熱心に他の地域の事例を研究しても、成功した事例を真似して自分たちも成功した、という話は聞きません。
とくに、行政が関係すると、たいていうまくいかないようです。
成功した事例は、一人かあるいは何人かのエネルギーのある個人が先導して、それに刺激されて周囲が動きはじめる、というパターンがほとんどです。
行政がイニシアティブを握ると、最初は出ていたユニークな案も、最後は尻すぼみのつまらない計画に落ち着いてしまう。多くの人が決定にかかわるため、最大公約数の答しか出せないからでしょう。
本当は、行政は民間の取り組みを側面からサポートしてくれるとありがたいのですが、実際のところは、個人の動きからはじまった取り組みをサポートするのが行政はもっとも不得意なのです。公平平等の原則に縛られて、特定の個人は応援できないという。
P.108
そこにしかできないもの。
そこへ行かなければ食べられないもの。
同じものでも、そこで食べるからおいしいもの。
本当はそういうものがほしいのです。
そういうものを見つけて、それを遠くに送ってブランド品として売るのではなく、その場所で食べてもらう。
第一次産業の生産地は、そこへ人が来てさえくれれば魅力的な観光地に変身します。
そうすれば鮮度も落ちず、輸送費もかからず、中間マージンも取られず、包装代も節約でき、しかも産地の人や風景といっしょに楽しんでもらえるのです。
私は、これからは生活観光の時代だと思います。
観光は平時最大の産業です。戦争になったらひとたまりもありませんが、平和が続く時代にあら、これに勝る産業はありません。(中略)
たとえ世界遺産はなくても、そこに生き生きとした本物の生活があれば、それだけで小さな観光は成り立つのです。
P.144
農地を大規模化して効率よく収益を上げるというのは、少数のスタッフが大型農業機械を駆使する、工業的な経営が目指すものです。大量生産がコストダウンにつながるというのは産業革命以来の工業的な論理で、拡大を目指すのは工場でクルマやクルマの部品をつくるのと同じように農作物をつくろうと考える人たちです。一般に、拡大は工業的な意思であり、持続は農業的な感覚だと私は思います。
P.149
オーストラリアが旱魃に見舞われれば、讃岐うどんの値段が上がります。
中国でオリンピックのために施設がどんどん建設されると、日本の道路でマンホールの蓋が盗まれます。
儲かるか損するかはわからないが、桶屋は風が吹くたびにびくびくする。
そういう時代になってしまいました。
P.178
去年インドに旅行したとき、南インドの町でたくさんのジャイナ教を見かけました。
ジャイナ教は、殺生を禁じる宗教で、歩くときも鉄の杖をついて音を立てながら歩きます。地上の虫が音を聞いて逃げ、命を永らえるようにです。当然ベジタリアンですが、植物も葉を採って食べるのはよいが、根菜はたgべない。根を食べたら植物が死ぬからです。だから農業に従事できないので、行者にならない人は商売をやります。
ところがこの商売がうまいらしい。財を成す商人もたくさんいます。
何が理由かと聞いたら、彼らは嘘をつかない。戒律に忠実に生きているので、信用できる、というのです。
インド人のウソつかない、というのはジャイナ教徒のことらしい。