投稿元:
レビューを見る
フィルターは常にあるから、どの立場で考えて見ても、理解と答えが導けない
多分、死ぬ
でも、殺せるかはわからない
投稿元:
レビューを見る
普通におもしろかった。
見ようとしていないというか見たくない現実を白昼の元に提示されて ただ たじろぐばかりという感じ。
結末には納得がいかないけど。。。 最後は救われたいなあ やっぱり
投稿元:
レビューを見る
下巻の方が上巻よりも一気に読み切ることができた。
それだけ展開がダイナミックだったということなのかもしれない。
途中、うんちくめいた記述を読み追うことに苦労したが、
しっかりと読み進めるというスタンスを心がけたおかげで、
読み切ったという充実感を感じることができたと思う。
最後の最後まで、どうなってしまうのか、
悪い方向ばかりでも、いくつかの予想が頭をよぎり、
その分スリリングな感覚を味わわせてもらった。
現実からかけ離れた内容のように思うが、
現実にも起こりうるかもしれないというのが、率直な感想である。
投稿元:
レビューを見る
夢中になって読んだが、いつも重たい。
頭のよい人が書いた本だと思った。頭よくなくてよかったと思った。(苦笑)
投稿元:
レビューを見る
フィクションです。ですが、本当の話かと錯覚してしまいそうになります。
衝撃的な事件と、それに巻き込まれた人々のお話の下巻です。
こんな人に特にオススメ
・圧倒的な負の刺激を受けてみたい人
満足度について
★★★★= 100~120点= 期待している水準
あらすじ
「悪魔」によって人生を狂わされた人々が壊れていく様が描かれます。
感想
「自分のやりたいことをやる」
「人にされたら嫌なことは人にやらない」
という2つをバランスさせ続けることが、
現代社会では、全うな人の生き方でしょう。
でも、この物語の「悪魔」の、
そんな全うな生き方から離脱しちゃえよ!
というメッセージは、
一定数の人に共感をもたらすのではないかと感じました。
物語のTVの討論番組の中で、
「なんで人を殺してはいけないのか」と問うあの学生に、
腑に落ちる答えを用意できる人は多くないのではないでしょうか。
私は自信がありません。
救いようのない物語を読み終えて、私は少し混乱しています。
しかし、無理に前向きになってみると、
自分の中の闇を見つめることで、
他人の中を闇を感じることができ、
そこに光を当てることもできるのではないか、と考えました。
投稿元:
レビューを見る
やっと下巻を読んだ。読後感が非常に重たい。
他に道はなかったのか、とか物語のその後を考えてしまった。
投稿元:
レビューを見る
ずんずん読めた。途中までは、リアルにありそうだと思った。けど、最後に本当の容疑者がテレビに写って自殺したり、(クリスマスに1人でいる人をテレビに映さないだろ!とか)良介の最期の思いが、崇や佳枝に伝わってしまうのが、微妙だった。
今回は、自分だったら、ここはこうするな、みたいなのを考えながら読んだ。
投稿元:
レビューを見る
ゾワゾワ。いくつか、ネット上の書評を読んでみると共通してるのが、不快な読後感という言葉。自分にとっては不快ではないが、どこか落ち着かない今ここにいるコトが不安になるそんな気持ち。
下巻では、崇(自分と同じ名前だ!)の気持ちをつかめなかった。前半のできる兄、モテる男、誰にでも優しい男として描かれている時はテンプレート化された誰にも心の中は見せない男として理解できていた。
ただ、下巻で犯人扱いされ始され始めてからストーリーに惑わされてしまい、崇のパーソナリティを見失ってしまった。この作品は崇個人や崇と彼女たち、母、良介の妻である佳枝の関係性がキモだと思うのだけど。
で、結局、崇と篠原は関係があったの?
投稿元:
レビューを見る
救いのないラストであることは間違いない。
上巻、下巻ともにページの端が黒く塗りつぶされた本のデザインが表しているように列車の人身事故(これも飛び込み?)に始まり、兄の崇がホームで飛び込み自殺をする瞬間に物語は終わるという終始暗い色調に彩られている。
とりわけ弟の良介を悪魔に惨殺され、鬱病の父に自殺され、言葉の無力感/全能感からやがて現実感を失い、白い浜辺で精神的に完全に失調をきたす崇の在り様は寂寞とした哀愁を読む者の胸に残す。
その余韻が消えぬうちに、ホームに到着した電車に飛び込み、その瞬間の描写で幕を閉じる。
どう目を凝らしても救いはない、真っ暗な終わり方である。
白い砂浜で幻覚をみる崇の光景やこの刹那的なラスト、とても印象的で個人的に好きではあるが。
「崇」という名前もまさに(「崇」は「言葉に祟られている」が由来じゃないかと推測)、その暗い運命を体現しているかのよう。
でも、だから読者は作者のその後の「ドーン」という作品も読むべきだと思う。
平野作品が追求している「多面的な自己」というテーマも、「ドーン」では”分人主義”という形でより深く明確に結実しているし、「ドーン」の主人公も懊悩し、崇と同じように電車に飛び込もうとした過去を持っている。
が、そこでは終わらず、妻と手を取り合い、再生を果たす。
そんな主人公の名前は明日の人と書いて明日人(職業のアストロノーツともかかってる?)。
つまるところ、「決壊」単体で見れば、確かに救いはないけれど、平野の作品群の一部として、全体像を見渡せば希望が見出せるんじゃないか、と。
両作品を二度づつ読み終えた今日、そんな風にも思える。
投稿元:
レビューを見る
2年前くらいに買ったが、少しずつゆっくり読み進めてやっと読み終わった。
平野氏の小説はこの小説が始めて。
非常にカッチリとした文章を書くという印象。知的。
ベタに言えば心の闇を描いた作品。
現代にはびこる、インターネットに潜む無数の悪意、怒り、殺意を詳細に描き、現実に殺人が起きる。
人はこんなにももろく、壊れたりするものなんだなと。
この話をやはり他人事に思える僕は健全なのか不健全なのか。
投稿元:
レビューを見る
下巻は上巻よりも気持ち悪くなる。あまりにも不条理。犯人逮捕までの興奮もさることながら、被害者家族の末路があまりにもひどい。身につまされる思いがする。ただ、実際にこういうことは起こっているわけで、もう少し被害者の立場に立って我々は行動すべきなんではないか、と思う。
投稿元:
レビューを見る
崇さんは警察の卑劣な尋問にも耐えて釈放されます。真犯人が現れたのです。それから共犯の中学生も自首します。その前に同級生の好意をもっていたはずの女の子を刺し殺して。
真犯人と中学生については「悪魔」とそれに魂と売った少年ということで、いうべきことはないのですが、問題は崇さんとその家族です。
夫を義理の兄に殺されたと思っていた佳子さんには良太という息子がいるから再生の道もあります。けれど、崇や母親、父親にはその道は閉ざされてしまうのでした。
悪魔的な存在はなぜ発生するのか、太古の昔から人類にとって永遠の課題である「なぜ人を殺してはいけないのか」というテーマに崇さんはいろんな言葉を使って挑もうとします。でもそれはあくまで他者に起こった事件に対してであって、身内が無残な殺され方をした当事者にとってが無意味なのでした。
エンタメとして読むなら展開に読者サービスがないと文句を言うところですが、平野さんは誰にでも起こり得るけれど日常ではない事柄について正面から取り組もうとしたのでしょうね。ネットでの溢れる情報流出のなかで冤罪を着せられるということはどういうことなのか。
私もずっと犯人は崇さんだと思って読んでいました。あれも怪しい、これも怪しい、と予想するわけです。そういう読者こそが、罪もない人を苦しめているのだと言いたかったのかとラストの悲しさを読んで思いました。
投稿元:
レビューを見る
2011.8.3読了。
読後感の悪さ/重さは半端ないが、徹底して救いがないことで嘘くささはなかった。
平井氏を読んだのは初めてで、「頭のいい人」という印象。
自身と言葉の不一致について考えさせられる。
投稿元:
レビューを見る
一気に読んだ。良介の殺害ビデオのシーンはきつかった。冷静沈着の崇が最後はどうなるのだろうと思ったが、救いようのない結末。他の作品も読んでみたくなった。
投稿元:
レビューを見る
「赦し」や「汝の敵を愛せ」とはいえ、あまりに理不尽な暴力が降りかかってきたり、世間が内に秘めた悪意を目の当たりにしてしまうとその矛盾は耐え難いものになる。理知的な崇に残された道はやはり自裁により世間に別れを告げることしかないのだろう。(あらすじ)「悪魔」たちによる良介のバラバラ殺人事件は多くの模倣犯を起こす。崇は容疑者として取り調べられる。友哉は同級生を、「悪魔」は渋谷とお台場で自爆テロを行ない、一連の事件は終息に向かう。崇は電車に飛び込む。■赦すっていうのはね。結局、終わらせることじゃない?…忘れることが出来ないなら、赦して終わらせるしかない