- 現在お取り扱いが
できません - ほしい本に追加する
- 予約購入について
-
- 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
- ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
- ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
- 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。
5 件中 1 件~ 5 件を表示 |
紙の本
「『硫黄島からの手紙』を見た」と文中にありました。
2008/09/04 22:54
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
北原亞以子(あいこ)著「父の戦地」を読みました。
かぞえ年四歳の時に父親が出征した北原さんです。
「父についての記憶は、あると言ってよいのかどうか迷っている。」
そんな風にこの本は始まっておりました。
その父が葉書を送ってきていたのでした。
「戦地の父から届いた私宛ての葉書は、七十数枚に及ぶ。そのほか母宛てのもの、祖母に宛てたもの、祖父に宛てたものをかぞえると、百七十枚近くなる。なくしてしまったものもある筈で、それらを含めると優に二百枚をこえていたのではないか。」(p75)
北原亜似子氏は昭和13年生まれ。NHKドラマ「深川澪通り木戸番小屋」の原作者といえば御存知の方もいるでしょうね。
この本の後半に、おケイちゃんが語られております。
「私が二十代の頃だったと思う。遊びに行った私の目の前で、おケイちゃんがカラダを震わせて泣き出したことがある。小学生くらいだったおケイちゃんの息子が、戦争物ののっている漫画雑誌を買ってきたのである。おケイちゃんは、息子の手から雑誌を奪い取って畳へ叩きつけた。戦争漫画は読むなと、日頃から息子に言っていたそうだが、息子もまさか母親がそこまで怒るとは思わなかったのだろう。呆気にとられたように口を開け、母親を見つめていた。・・・昭和二十年のおケイちゃんは、二十六、七歳だった筈である。婚約者は戦地にいて、寝たきりの母親とあまり動けない父親をかかえていた。動きの鈍くなった父親をまず防空壕に入れ、母親を連れ出しに行ったというおケイちゃんの話を思い出すと、戦争漫画を面白がる息子に腹が立つ気持ちもよくわかる・・・」(p170~171)
ここから、その日の大本営発表を引用しておりました。
「『大本営発表』といえば、今日でもあてにならないことのたとえに使われるが」(p159)という、その発表をキチンとふりかえっております。
そのおケイちゃんとの関わりが、この本の理解を助けます。
「おケイちゃんが見たのは、空襲がつくる地獄だった。思い出すなどしたくなかったにちがいない。が、有馬頼義先生が企画された東京大空襲の記録収集には協力すると言ってくれたのである。私はすぐに飛んで行くべきだったのだ。言訳をすれば、私はその頃、新潮新人賞受賞後の20年間沈みっ放しの真っ最中で、何とかして水の上に顔を出そうとあがいていた。おケイちゃんのところへ行く暇がないと思っていたのだが、実は、一行も書けずに原稿用紙を眺めていたこともあったのだ。まとまらない考えなど、放り出せばよかったのである。そのうちに、おケイちゃんの体調がわるくなった。・・・手遅れだった。癌だったのである。」(p178)
作者・北原氏は、この本で、父の葉書を道案内として、ご自身の戦争体験へと、あらためて錘(おもり)をたれてゆきます。そこでの戸惑いが、小さい頃の体験を、あちこち、断片的にふらふら回想して進んでゆきます。まどろっこしげな文体で、反芻(はんすう)しながら、たどられます。その歩調でもって戦中へと着地してゆきます。ということで、私の紹介はここまで。
ああそうそう。こんな箇所がありました。
「このエッセイを書き始めて、少し気持ちが変わってきた。・・・
それで今、映画『硫黄島からの手紙』を見に行こうかと迷いはじめているのである。・・・」
葉書と手紙と。その背景にある戦争と。
5 件中 1 件~ 5 件を表示 |