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やっとこやっとこ読み終えました。
最近、韓流の歴史ドラマをよく観るようになったので、かろうじて理解できるかなという感じです。
日本と朝鮮半島との関係は、それはそれは、語れば長い歴史になるわけで、この「街道をゆく」のための旅を司馬遼太郎さんは、1971年になさっています。
日韓国交正常化6年後のことなのですね。今とは、当然、それぞれの人が持つ感情も違うわけですが、司馬さんは、そんな近い時代の話を追おうとしたわけではなく、
もっともっと前の時代の、古の人たちの交流史を感じられたかったのだと思います。
それにしても・・・話を追うのが大変でした。
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今回の紀行では、国交正常化して6年後の1971年に韓国を訪ねる。
でも「韓国」ではなく、「韓のくに」紀行である。
著者は加羅、新羅、百済といった古代国家の残滓を求め、各地を巡る。
時折、日帝支配36年とその後の韓国の反日政策による波紋が、街道をゆく司馬氏を襲う。しかし著者は感情的に反発するでも過度に萎縮するでもなく、かといって傍観するでもなく、淡々とその出来事を咀嚼し、その思考に身を浸す。
そこに流れる静かなる冷徹さはいつも乱れることがない。
故に我々は、その筆の軌跡を追いたくなるのだと思う。
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日本人の源流を探りながら韓国の各地を司馬さんが練り歩く。
ガイドのミセス・イムさんとの軽妙なやりとりと司馬さんの洞察を織り交ぜながら旅は進む。
日本と韓国の関係の良い面での複雑さの一端を理解できる。
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言葉、風俗、考え方、やっぱ近いようで遠いな。因みに私の出身地「周木(しゅうき)」の語源は古代朝鮮語で村を意味する「スキ」が変化したもの。そう考えれば、遠いようで近いのかも。
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やっぱりこの方の好奇心の抱き方が好きだ。朝鮮半島との歴史的つながりをソウル滞在時に感じる事が出来た。
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反韓が叫ばれている今日、興味深く読むことができた。
1972年の初版発行であるから、今から20年以上前の韓国の様子ではあるが、現在も言われているような韓国人の性質、考え方が書かれてあり、昔から変わらないものだと改めて感じた。
ところどころに現れる司馬史観と言われる歴史観に今となっては疑問も感じるが紀行文自体は面白く、日本と韓国のつながりを感じることができた。
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韓国の旅の紀行文。
古代の日本と朝鮮半島の関係が想像も交えながらわかりやすく考察されている。
司馬さんの観察眼で見る韓国の物の考え方は今の政治情勢にも一脈通じるものがある。
朝鮮に対する愛情と怜悧な観察はさすが。
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著者が韓国を訪れたのが1971年、当時の為替相場では円とウォンはほぼ等価だった。植民地支配や反日教育の影響もあり、日本人に対する態度が今よりもずっと厳しい時代。釜山、慶州(新羅の首都)、大邱、扶余(百済の首都)など、韓国南部の都市を中心に回っている。この国が日本国の成立に与えた影響はとてつもなく大きい。
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司馬遼太郎さんが、1971年から1972年にかけて連載した、旅行エッセイ。「街道をゆく」第2巻。
ちょうど「韓国現代史」という本を読み終えた後だったので。1971年と言えば、まだまだ軍事政権の圧に揺れながら、経済成長を胎動している韓国だったんだなあ、と思いながら読みました。
司馬さんは、当然リアルタイム目線で1971年当時の韓国を見ながら、韓国と日本の遥か遠い歴史の風景を見つめています。
ところが読むほうは、2015年の感覚で、1971年当時という歴史の風景の中で、更に茫然たる歴史を眺めている司馬さんを眺めることになります。
この入れ子構造がなかなか楽しめました。
司馬さんのお話は、いつも通り自由に。旅の現実と歴史的過去の風景を往来します。
「韓国の農村が見たい。そこから、日本と韓国の遥か古代な繋がりかなにかが見えるのでは」
というのが旅のテーマだったようです。
「日本と朝鮮半島」という関係は、日露戦争後の韓国併合以来(いや、それをさかのぼって、閔妃殺害以来かも知れませんが)、デリケートで有り続けています。
大まかに言うと、朝鮮側の一部の人は、「日本は悪逆横暴であって、かつその責任を取っていない卑劣漢だ」ということになる。
日本側の一部の人は、「野蛮悪逆たる朝鮮を文明化してやったのであって、あるいはそうでないにしても、彼らが言うほど悪いことはしていない」ということになる。
そして双方に「あいつらは基本的に民族的に歴史的に悪であり劣等である」という感情論がよこたわっています。
司馬さん。
まずは「対馬」という日本と朝鮮半島の間で生き抜いてきた島の歴史からひもときます。
これが実に面白い。
つまり、対馬が生きていくためには、どっちにもいい顔をするしかなかったんですね。
というわけで、必死で二股をかけて生きてきた。
そんな対馬という、一生懸命に生きた小大名のような人格とともに、倭寇や、中国とのかかわりが見えてくる。
倭人というイメージが見えてくる。
そして、イッキに天智天皇の時代まで急降下。
「百済」「任那」という国はどういう国だったのか。そして日本との関わりはどうだったのか。
白村江の戦いはいったい何だったのか。
大化の改新とは、古代日本が短期的に試験した封建制の解体、律令制への挑戦だった。の、だけど、あっという間に失敗に終わった…などなど。
司馬さんの古代史も実に語り口は迷いなく面白い。
そして考古学的?な正誤は判りませんが、司馬さんが、日本の歴史と同じように興味と感心、愛情と観察の眼差しで、朝鮮を見ていることがとても好感が持てます。
そして、漢民族的中国という大国と、チンギス・ハーン的好戦的な蒙古的中国とに翻弄される中で、支配の秩序として儒教をまとった朝鮮の歩みが、すごく判りやすく語られます。
これほどまでに読み易い、「朝鮮半島の歴史」という本は他にちょっと無いのでは。
司馬さんは、政治体としての韓国政府なり、李氏朝鮮王朝なり、というのは弁護も擁護も批判もしません。
ただ、興味と関心を持��て考えているだけです。
そんな司馬さんの筆で、漢民族と蒙古民族に翻弄され、20世紀は中国・ソ連・アメリカに揉まれて、北から南まで、文化遺産含めて焦土と化した、悲しいというにはあまりにも惨すぎる歴史がつづられます。
一方で。
明治以降の日本と朝鮮の関わりから、1971年当時に、日本と韓国の間に横たわっている感情的な溝。
これもまた、平易に受けれいている感じがします。無理に「ともだちになろーよ」なんて思ってない。
そんな空気感が、旅の道案内の韓国人女性との淡々としたやりとりにそこはかとなくにじみ出ます。そんなことだけでも、実に面白い旅行記です。
そして、2015年現在の日本の、「安倍政権的レッツゴー右翼愛国、嫌韓憎中」の風潮で言いますと、感嘆するくらいこの本は、サヨク的である、と石を投げられるのでは。
個人的には別段、サヨク的とは思わないのですけれど。。。
何しろ、朝鮮併合から十五年戦争に至る、1971年当時で言うとかなり「近過去」の出来事で言うと。
「何の言い訳も無く、日本は朝鮮半島の人々に悪いことをした。酷いことをした」とスラっと書いちゃってます。その一言を政治が言うために、ひょっとしたら100年かかるかも知れません。
そして、確実に古代の時間では、文化的にも制度的にも中国及び朝鮮に追随して、おこぼれを貰ってきた日本史も冷静に見つめています。
ただ、そこに一点の卑下もなくて。
おこぼれを貰いつつ、地理的に孤立しているが故に、非常に独自の咀嚼の仕方をした日本のひとびとを、面白がっておられる。
何が善とか、何が悪とかではなくて。
そういうつながりがある。そういう事実がある。きっとこういう気持ちだったのかな。
事実と考察と妄想の風合瀬に、一点の原理主義も交えない。そういう歴史の風景を感じることの面白みが、炙り出されてきます。
大勢が生きたことも死んだことも、鳥瞰の目線で考えて語る。一方で、その最果てを目前の村落や、対面するひとりひとりの人々に感じる。
「冷たい」と嫌う人も居るかもしれませんが、僕は十分に、抑制しきれない司馬さんなりの感情があるなあ、と。
薄味の上方のお吸い物の味わい。深い。
司馬さんは、戦車下士官としての従軍時、中国大陸も踏んでいます。
その道中に、朝鮮も通過しているんですね。
そんな体験も踏まえて、外語大でモンゴル語を専攻していて、戦後は京都の寺院で仏教を咀嚼して過ごした。
司馬さんのような作家を持ち得ただけでも、昭和という時代は豊穣だったのでは、と思えてしまう筆致。読書の快楽でした。
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テレビ番組などで、ずっと疑問だったことがあります。
どうして、韓国や中国の人、スポーツ選手などを、日本では「漢字の日本語読み」で放送するんだろうか。
誰も、その人を知っている人は、そんな音でその人のことを呼ばないのに。
大変に失礼だし、傲慢なんじゃないかと思います。
この本では、大量の朝鮮半島の人物と地名が出てきます。
司馬さんは物凄くデリケートに、そして当たり前のように、「現地で呼ばれいてるであろう音」で表記しています。漢字と並列だったりします。
僕���それだけでもすごく気持ちよかったです。
逆の立場で考えたときに。
あなたの名前をアルファベット表記したときに、日本で誰もあなたのことをそんな音で呼ばない音で呼ばれたら、愉快では無いと思います。
親が、その親が、その音で呼ばれるイメージでつけた名前ですからね。
そういうところでは、当たり前に気を付ける文化であって欲しいなあ、と思います。
本人がどう呼ばれたいか、が、呼び名を決めるべき。
そんな当たり前のことを踏みにじって、「改姓」を強要した大日本帝国の記憶を、忘れずに他山の石としたいですね。
それがたまたま自分の国の政治体だったのかどうか、というのは、僕たちの今とこれからの、集団としてのプライドには何も関わらないと思います。
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1978年刊行(週刊朝日初出1971年)。2巻目は韓国(加羅、新羅、百済)紀行。
釜山にあった江戸期の倭館が焼失したのは朝鮮戦争時。その他にも多くの文化遺産が、朝鮮戦争で失われたことを想起させるのに十分な挿話である。
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暫く前に読んだ台湾紀行に続いてのこのシリーズ。今から約45年も前、もちろん軍事政権だった時代に韓国に渡って様々な人たちなち触れながらも冷静に文化を見つめる眼差しの温和だけれども眼光の鋭さにはドキドキする。
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朝鮮半島の歴史と日本との関係がメインの巻でしたが、殆ど知らなかった内容ばかりで非常に興味深かった。
韓国人と日本人の国民性の違いをこのように理解して互いに受け入れれば、昨今の関係ももう少しマシになると思う。
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歴史好きのオジ様のバイブル司馬遼太郎先生!
どうも日本史に造詣がないため、イマイチ手が伸びなかったのだが、紀行文という手があった。
これはいい!私が知りたかった民族・語族・地政学的な話がてんこ盛り。
これを今の私の年齢で書いたというのだから、やはり司馬遼太郎先生は凄すぎる。自分の薄っぺらさ加減がイヤというほど分かってしまう。かの人のように懐深く、厚みのある人物というのは今の日本にはほぼいないのではないだろうか。2019.6.19
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初めて読むのかと思いきや10年前の8月に読んでいた。もしかして家の中にもう1冊ある……気がしてきたっ。
シリーズ第2作にして韓国を訪ねるとは、司馬遼太郎は韓国に親しみや縁の深さを感じていたのだろう。文章から1970年代ののどかな韓国がそこはかとなく感じられる。
俗に「司馬史観」なんていわれ非難がましく言われたりもするけれど、少なくともこの本のような思いつくままを綴ったかのような紀行本として読めば、何にも縛られない正直な言葉や考え・思いが伝わってくるような気がする。
史観つながりでいえば、いま韓国を非難する人の何と多いことか。彼らはどういう史観をもっているのだろう。司馬遼太郎のなかには、韓国や朝鮮半島への親しみとともに、過去について(謝りはしなくても)日本が韓国・朝鮮半島に対しひどいことをしたという意識があるよう。それは司馬遼太郎に限らず、四半世紀ほど前までの戦争を知る日本人がまだ多くいた時代の多くがごく当たり前にもっていたものだと思う。この本を読んでも古来からの浅からぬ仲があるというのに悲しいこと。
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このシリーズ、ほぼ50年も前のものになるんですね。この頃はまだ気軽に韓国旅行というわけにはいかない時代ですが、韓国人の対日感情はあまり変わってないというか、さらに悪化しているようにも感じます。
司馬さんは韓国の歴史、民族にもリスペクトを払っている感じを受けます。丁度今、梅棹忠夫さんの「文明の生態史観」を読んでますが、司馬さんの日本国の捉え方もその見方に近いところがあるように感じます。
このシリーズ20巻近くまで読んで挫折しているが、改めて全巻読み通したい。