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いつにも増して、塩野氏個人の主観・独特の評価基準が目立つ巻
2012/05/22 14:26
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投稿者:ミルシェ - この投稿者のレビュー一覧を見る
個人的には、あまりにも個々の皇帝達の行動・政策に対する評価など、
彼女個人の主観と独特の評価基準が目立ち過ぎる巻であり、
(それが支持される要素にもなっているのは、
わかっていますが、今回はあまりにも彼女の個人的な感覚と私のそれとの、
違いを感じ、それが歴史の一般書とも小説とも言えない、
この彼女の「ローマ人の物語」シリーズの特徴であると思っていてさえ、
今回の巻にはあまりにも違和感を感じる箇所が、目立ったもので。)
何かと違和感を感じる事が多かったです。特にこの巻を読んで、強く感じた事ですが、とにかくこの人は彼女の中での理想のローマ皇帝、
ローマ人、及びそういう人々が大勢いた時代に、強いこだわりがある人なんだなあという事です。
特に本書の中で、酷評され過ぎでは?と思われる、皇帝ガリエヌスに、思わず同情をしてしまいます。この時代の皇帝の中ではましな方なのでは?僭称皇帝達との各戦いも、個別に取り上げる程の必要はないとでも言わんばかりに、ガリア帝国僭称皇帝ポストゥムスとのそれくらいしか取り上げられていなかったり、各僭称皇帝達の名前さえも、全て挙げられていなかったりと、全体的に扱いがぞんざいなような。それにガリエヌス殺害犯の一人の、後の皇帝クラウディウス・ゴティクスに対しては、彼の元老院への書簡を取り上げて「皇帝というよりも、生涯を通じて騎兵であった五十歳半ばの男の、単純で素直な性格を映し出す一文でもある」なんて書き方をしていたり。それに、そもそも恩人の息子で皇帝ガリエヌスを殺害し即位したアウレリアヌスにローマ人の「信義」があると言えるのかな?等疑問を感じる面が。それから「不信任」なんて言って、皇帝ガリエヌスにより、抜擢してもらった立場である、騎兵隊長達の皇帝ガリエヌスの殺害を正当化してしまうような書き方も、どうなんでしょうか?
それは、彼らがガリエヌスの軍事的能力を見限ったという面も、あるかもしれませんが、彼らがこのような行動に至った背景には、
彼ら個人の野心も大きく関わっていたのも、否定できないと思います。外敵撃退に奮戦している様子が見えれば、彼らのこのような野心も、正当化されてしまうのでしょうか?なぜかこの中で、当然指摘されてもいいはずの、
このような混沌とした時代、自分達軍隊で擁立しておきながら、相次ぐ皇帝達の殺害をもたらした、大きな原因の一つとして挙げられるはずの、
彼ら個人のこの野心の存在に関しては、なぜか全然触れられていなくて、このような彼女の執筆姿勢に、疑問を感じるのですが。
彼らのこのような心理・行動の変遷は、やむをえない事として正当化しようとしているようなフシがあるのですが。
やっぱり、自分達で次々と皇帝達を担ぎ出しておいて、見境もなく次々と殺害してはすげ替えていく、彼らの行動もいかがなもんなんですかね?という気持ちも、禁じえないのですが。塩野氏はその時代には、その時代のモラルがあるんだからと言いたいのかもしれませんが、それにしても、あまりにも、この時期のローマ帝国の、軍隊の短絡的過ぎる皇帝達の殺害・すげ替えが目に余るこの時代というか。要するに、塩野氏にとっては、
アウレリアヌスの方が好みであって、ガリエヌスの方は、好みではないというだけなんでしょうが。
前書きにも、「かわいそうに、彫像をつくらせる暇もないくらいに、
国中を駆けまわって、帝国を立て直そうと務めた人なのに、と思ってしまう」
などと書いていたり、何かとこの巻を通じて、彼女のアウレリアヌスびいきが
目についたもので。パルミラの僭称女王のゼノビアの評価は妥当かと。
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人間世界では、なぜか、権威失墜の後に訪れるのは、残されたもの同士の団結ではなく、分裂である場合が圧倒的に多い。束ねる役割を果たしていた存在が消滅したことによって、それまで自分たちよりは上の存在によって束ねられていた人々は、いったんはバラバラになるしかないのかもしれない。(p.12)
人が住むということは、その土地に、有形無形の力を与えることになる。(p.18)
軍人は政治を理解していなくてもかまわないが、政治家は軍事を理解しないでは政治は行えない。(p.39)
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http://blog.livedoor.jp/masahino123/archives/65147828.html
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「三世紀の危機」の時代からローマでは、キリスト教が浸透していく。蛮族の襲来、疫病の蔓延、次々と変わる皇帝と内戦、こういった社会不安が帝国に拡がった。キリスト教の浸透は、ローマ人らしさを失ない、やがては帝国の崩壊へとつながっていく。
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軍人皇帝の時代が終わり、終にディオクレチアヌス帝の時代に入る!!というところで以下次巻です。
しかし、国が衰退して居る時に限って何故人は団結せずに分裂していまうのだろう?
そして帝国の衰退の不安にキリスト教が浸透していきます。
ローマの精神とは相容れないキリスト教がローマに浸透しきったときローマはローマでなくなるのだろうという予感を秘めて・・・。
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能力ある物を暗殺することが、全体の利益に反するということを、理解できないのか?。。。
なんかまじで萎えるよ。この巻。終わりが近づきつつあることを実感できます。
ローマ700年の歴史が三十何巻の本に収められているので読んでいる側からすれば短い気もするけど、アメリカの現在の200年強の歴史と比較すると長さが少しは実感できる。よくもまぁ、こんなに長い期間…
キリスト教徒について
信仰を横軸、論理性を縦軸に取って、負の相関が表れそうな。
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ローマ帝国の栄華も今や昔となった。蛮族対策に東奔西走する軍人皇帝の足元を掬うのは、味方であるはずの一般兵の反乱である。軍功の多さなど関係なし。誰もかれも暗殺され、一人の皇帝の治世は僅か数年。そのような混迷の3世紀を描いた本巻の最後にはディオクレティアヌス帝が登場する。帝政ローマの終わりがいよいよ近づいてきた。
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ローマの歴史には興味があり、内容的には面白いのだが、時々出てくる作者の理屈のこねくり回しが、鬱陶しく感じる時がある。
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ガリエヌス帝からヌメリアヌス帝の治世まで。
この一冊では久しぶりに才能溢れる皇帝が次々に問題を解決していく昂揚感を得られた。アウエリアヌス帝の活躍がそれである。
たった5年の間に、ローマに城壁を築き、北方の蛮族を牽制しながら、パルミラ王国、ガリア王国を相次いでローマ帝国内に再編成した実力は3世紀の皇帝の中で出色だと思う。
しかし、彼も等位後5年で、秘書の謀殺によりこの世を去る。老年のタキトゥス帝を挟んで、その次のプロブス帝も有能と思われたのに6年で軍団兵により殺される。当時のローマ市民の人心の不安定さも露わだ。
続く皇帝が落雷で死んだのも、ローマ帝国が天にも見放されたことの示唆であるようなトラジスティックな感想すら持ってしまうな。情緒的にすぎるけども(笑)
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260年の皇帝捕囚からディオクレティアヌス帝の出現までの迷走が描かれる。蛮族、荒廃する農地、都市の人口流入、失業、インフレ、デフレ、度重なる戦時特別税と神々の守護がローマから離れ、キリストの来世への願いへと移り変わる様がわかる。
皇帝の交代が暗殺による点に、なにか引っかかるのは現代人だからなのだろうか。ローマの軍人にも、なにかサムライと同じ血を持って償うような同時代に共通の精神が流れていたのだろうかと想像している。
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ローマが衰退の一途を辿る場面になってから、以前よりも読む速度が遅くなった気がする。仕事が忙しくなったとうこともあるが、それ以上に衰退していくローマの姿が痛々しく、それが現実であったということが読んでいて辛くなってしまったからだからだと思う。何人かに1人現れる皇帝は蛮族を蹴散らしたり、ガリアを再統合したり(例えばアウレリアヌスのように)それなりに活躍するのだが、あっさりと死んでしまう。これが、ローマ帝国の衰退の象徴だったのだろう。巻末に塩野七生氏がキリスト教徒のキプリアヌスの言葉を借りて語っているように「ローマはもはや老いた」のである。次巻以降はキリスト教の勝利か…
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「同性としては毎度のことながら残念に思うのだが、女とは権力を
手中にするやいなや、超えてはならない一線を越えてしまうもので
ある。しかもそれを、相手の苦境につけこむやり方で行う。」
うぅ…耳が痛い。でも、著者が言う通りなんだよな。
ガリアとパルミラが独立したことで、広大な属州を持ったローマ帝国の
領土は3分された。この時期、ローマ皇帝として就任するのは、叩き上げ
の軍人皇帝たちである。
蛮族やオリエントの君主国の侵攻を防ぐ為、ローマ軍の最高指揮官で
ある皇帝たちは首都ローマに留まることが出来ない。
その中でも特筆すべきはアウレリアヌス帝だ。ペルシア王の策略によって
捕囚となったヴァレリアヌス帝により抜擢された属州の辺境出身の人材だ。
蛮族とオリエントの君主国に対し、ローマの反攻が開始される。注目は
クレオパトラを気取ったパルミア女王・ゼノビアとの対決である。
アウレリアヌスは、女王ゼノビアにローマに降伏すよう手紙を書き送る。
それに対しゼノビアは「私はオリエントの誇り高き女王よ。なんで皇帝が
捕囚になったローマになんか降伏しなきゃいけないのさ。こっちには
ペルシアが援軍を送ってくれるし、アラブ人だってアルメニア人だって、
私の味方よ。堂々と戦場で決着をつけようじゃない?」と答える。
この勘違いした傲慢さで、開戦決定。ペルシアからの援軍は来ず、
アラブ人もアルメニア人も、既に他の蛮族を撃退し、以前の武勲を取り
戻したローマ側になびいいていた。
戦闘には、兵士の数だけではなく情報も大切だということに無知だった
ゼノビアの完敗である。
アウレリアヌス帝の疾風怒濤の軍略で、ローマ帝国は再び帝国としての
再統合がなった。これで安泰…と思ったところで、皇帝付きの秘書の
どうしようもない思い込みで暗殺される。
「アウレリアヌス時代の帝国は幸福であり、市民からは愛され、兵士たち
からは尊敬され、敵からは怖れられた」。
この人の治世がもう少し長かったら、帝国の崩壊はもう少し遅れたかも
しれない。
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迷走する帝国にあって有能な皇帝も出現するのだが、ことごとく不幸な死に方で、短期政権に終わってしまう。
例えばカエサルがこの時代に出現したら、帝国を再び繁栄させることができただろうか。多分無理なのではないかと思ってしまう。
国民自身が劣化していてはいくら指導者が優秀であっても再びの繁栄は望めないのではないか。
我が日本はどうなんだろう・・・・
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3世紀に入って、ローマ帝国が崩壊する兆しが出てきた。皇帝は軍人から推挙され、不信任の時には簡単に殺害される。ローマ帝国の外で戦争をやっていたのが、防衛線の中に押し込まれてから戦うようになったために耕作地や防衛拠点の都市が荒廃し、「ローマ市民」の自信が無くなっていく。そんな中、人々の心に安らぎを与えるキリスト教が静かに勢力を伸ばしていく。
ガミラス(宇宙戦艦ヤマト)や銀河帝国(スターウォーズ)も、こういう歴史を踏まえて描かれているのかなぁ。。。
ローマ人の物語完読まで、あと9冊。
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ローマ帝国の危機に対し、アウレリアヌスもプロブスも敢闘する。しかし、彼らの在位はわずかなうちに、しかもあっけない形で幕を閉じてしまう。”つまらないことに、時間と労力を浪費してしまうのも衰退の証なのだ”という著者の指摘は、そのまま今の日本に当てはまるように思えてならない。沖縄問題における”犯す”発現は、世界経済危機やTPP問題、中国の台頭、社会保障費の抑制など、待ったなしの課題が山積する中では、その発言が個人のエリート官僚に帰するのならば、あまりにも次元の低い問題である。野田内閣にはもっと前進して欲しいと思いながら、読み進めた。