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紙の本
糸瓜忌に寄せて
2008/09/18 17:31
10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この夏、不意に腰を痛めた。屈めないどころか起き上がるのさえ痛みを伴った。数日して痛みは和らぐどころかいよいよ増して、ついに起き上がることさえ出来なくなった。自分ひとりでは何もできなく、わずか数メートル先の世界さえ遠くにある。かつて正岡子規はその著作『病床六尺』の冒頭に「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである」と書いた。これは子規独特の痩せ我慢だったにちがいない。子規の性格からいって、たった六尺の世界に満足できるはずもない。しかし、脊椎カリエスという難病をかかえ「誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか」(同書)とまで書かざるをえない状態にあって、六尺といえども耐えざるをえない世界だったのだろう。ささやかな腰痛で「病床六尺のよう」といったとしても、所詮子規とは深刻さがちがいすぎる。
その子規が亡くなったのが明治35年9月19日のこと。その最後のようすが司馬遼太郎の『坂の上の雲』に詳しい。もちろん司馬の創作がはいったうえであるが、文章の調べは哀切であり、悲しみをこらえた静けさをひめながら、筆がはしっている。子規の死を友人たちに伝えるべく根岸の子規庵を出た高浜虚子は十七夜の月が加賀屋敷の黒板塀を明るく輝かせているのをみる。「子規逝くや十七日の月明に と、虚子が口ずさんだのは、このときであった。即興だが、こしらえごとではなく、子規がその文学的生命をかけてやかましくいった写生を虚子はいまおこなったつもりだった」(「坂の上の雲」より)。正岡子規、わずか34年の人生であった。
短い人生ながら、その死から百年以上経ってもいまだに子規の光は衰えることはない。この夏井いつき氏の本にしても出版されたばかりだ。子規の何がこれほどまでに多くの日本人を魅了してやまないのか。それこそ六尺の世界を広すぎると感じた子規の根底にある明るさであったように思う。正岡子規はたぶんけっして完璧な人間ではなかっただろう。痛いとわめき、おいしいものをねだり、えらそうにふんぞりかえり、子規の顔など見たくないと思った人も多いにちがいない。それでいて子規がこれほどまでに愛されるのは、人として無邪気であったから。そして、その無邪気さは人間の根幹としてあるから。そう思いたい。
そんな子規の俳人としての作品はどうであったのか。有名な「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」以外に実際にはあまり読む機会も少ないかもしれない。もちろん俳人という冠がついているぐらいであるから子規はたくさんの俳句を残しているが、本書のように毎日なんらかのコラムをつけて紹介されていくと自然と子規俳句にふれられて、子規がいおうとした写生とはどのようなものであったのか、あるいは俳句という短詩のありようが少しでもみえてくるようで楽しい。また新聞連載時の意図としてあったように、俳人夏井いつきが書くことで実作者の視線が作品の鑑賞に深みをあたえてくれる。たまたま私の誕生日に紹介されている俳句は「手にとれば飯蛸笑ふけしきあり」といささかなさけない句ではあるが、子規の俳句のなかでもっとも好きな句のひとつが「鶏頭の十四五本もありぬべし」だ。これこそ写生の極みではないかと思っている。もちろんその好みは人によってさまざまだし、それでいいのだと思う。ただ、そのような句の多くがわずか六尺という病床から詠まれたものであるというのも感慨深い。そのように読めば、またちがう世界をもたらしてくれるから、子規の魅力は尽きることがないのかもしれない。
糸瓜忌や野分ちかづく早仕舞い 夏の雨
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