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現在の人間の脳と四万年前の文字を持っていなかった人間の脳に、構造的な相違はほとんどない。脳には読字専用の遺伝子も無ければ、生物学的構造も存在しない。
文字を読むことは脳全体の再編成につながる。脳の各部位の働きが適切に接続されてはじめて文字が読めるというのが、読字のメカニズムのようだ。
ディスレクシアは、脳のある部位の構造物の欠陥、処理速度の不足、そして構造物間の回路接続のいずれかによって起こる。ディスレクシアは脳の障害と断定してはいけない。文字が上手に認識できないだけのことである。ディスレクシアは、脳がそもそも文字を読むように配線されいなかったことを示す最もよい、最も分かり易い証拠である。
ディスレクシアの三大有名人は、トーマス・エジソン、レオナルド・ダビンチ、アルベト・アインシュタイン。
アントニオ・ガウディやジョニー・デップもデクレシアのようだ。
文字を読むということは、文字を認識してから理科するまでの時間が必要とされる。このわずか数百ミリ秒の時間に、熟考することが、読字の最大のメリットだと言っている。
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文字を認識して文を読むというのは、脳が本来持っている機能では対応できないので…ということをめぐるもろもろ。ディスクレシア(読字障害)に対する姿勢も前面に出されている。
おもしろくなったり難しくて立ち止まったりしつつでちょっと苦労、消化率はそう高くないけれど概略の話はおもしろかった。
副題に含まれる「読書」は、巻末の解説で「読字」から変えたと書かれており、たしかに「読書」に関する話と言えるけれど、印象としては「読字」に近いかな。というか、「読書」から連想される内容とは違う。
プルーストもイカもちょっとしか登場しない。「ソクラテスとインターネット」の方がまだ近かったかも(と書いたものの、内容をよくよく考えると根底にはプルーストとイカの両方が関係していますね)。
翻訳は、この分野に十分な知識のある方による感じがするけれど、「リテラシー」は今の日本だと「コンピューター・リテラシー」などと使われているので、注釈なしでいきなり使われると意味がわかりにくいとか、英語では平易な単語でも日本語ではゴツイので初出時に解説ほしいなとか、語順を変えた方が修飾関係がわかりやすいなとか、単語の使い方としてちょっと疑問とか、ときどき気になった。
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「書かれた言葉」と「語られた言葉」の脳に与える影響力とその重要性の違いについての解説があり、それが現代のネット社会においてはどのような意味合いを持つか、について論じられている。
特に気になったのは「指導なくして与えられた情報は『知識』ではない」ということ。本来の知識は面倒な選択を経て最終的に得られるものであり、その過程における思考も理解のためには避けられない。秒単位で得られるネットからの情報はそういった過程をあっさりと省き、思考の浅薄化を促進しかねない、ということ。
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2014 10/7パワー・ブラウジング。
図書・図書館史授業用に購入した本。
こちらも中身についてのメモを大学に忘れてきたので、レビューは後で書く。
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[ 内容 ]
〈文字・読書は、脳を劇的に変える!〉
古代の文字を読む脳から、ネットの文字を読む脳まで、ディスレクシア(読み書き障害)から、読書の達人まで、脳科学 x心理学 x教育学 x言語学 x文学x考古学をめぐり、解き明かす。
[ 目次 ]
●主な内容
・古代の文字は、どのように脳を変えたのか?
・脳は成長につれて、どのように読み方を学ぶのか?
・熟達した読み手の脳とは?
・オンライン・リテラシーの進展によって、何が失われるのか?
・ディスレクシアの4つの原因と早期発見の方法・最新教育とは?
・英語・外国語はいつから、どのように教えるべきか?
・日本語脳・英語脳・中国語脳の違いとは?
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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脳に由来する読字障害であるディスレクシアを研究する発達心理学者、メアリアン・ウルフによる読書についての心理学・神経学的な考察の書。
そもそも、文字を読むための遺伝子など存在しないわけで、読むという行為がどのようにして可能になるのか。楔形文字の発明からアルファベットへ、そして日本語の読み手の研究も少しですが紹介されています。そして文明的な条件とともに、幼児期の読み聞かせ体験から読書するための脳の編成が少しずつ準備されていきます。普段、なにげなく読書している私たちですが、何千年もの準備が必要だったと考えるとまるで奇跡のよう。
インターネットの急速な普及により、書物は淘汰され、もしかしたら私たちが読書をする最後の世代になるかもしれません。たしかに情報摂取だけなら、ウェブで検索した方がずっと効率がいいと思います。しかし、本書でも指摘されているとおり、読書はたんなる情報摂取ではありません。物語の登場人物に共感したり、著者の思考プロセスを検証し批判的に考えたり…、速さの求められる時代にこの寄り道はちょっと悠長ですが、それこそ読書の醍醐味でしょう。なるべく寄り道を楽しめる心にゆとりのある人生を送りたいものです。
そして、忘れてはいけないのが読字障害で授業についていけない子どもたちが多数いるということ。そもそも脳の構造の違いのために読むことが難しいのに、それを努力のせいにされる子どもたち、日本にも多く潜在しているのではないでしょうか。もっと認知度を高めてゆくべきですね。
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タイトルと内容が一致しない本の例として挙げられることのある本書。内容はプルーストについてでも、イカについてでもありません。NDCでは801、言語学の棚に置かれています。
文字の誕生が人間の脳に与えた影響、子供はどのように読むことを学ぶのか、そして著者の専門であるディスレクシア(読字障害)など、文字と読書と脳の関係が、本書のテーマとなっています。
ソクラテスは書き言葉は「死んだ言葉」であり、「生きている言葉」である話し言葉よりも劣ったものであると主張しました。
著者はこの警告を現代でも通用するものとして捉え、「私たちは古代ギリシャ人と同じように、非常に重大な移行に踏み切った。ただし、文字文化から、よりデジタルで視覚的な文化への移行である。」(p.110)と述べています。
手元の端末から世界中のあらゆる情報にアクセスできる現代では、記憶することの重要性がしばしば疑問視されます。果たしてこれは進化か、それとも退化か?そんなことを考えさせられる一冊です。
(ラーニング・アドバイザー/図情 KOMINAMI)
▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1335208
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<目次>
PART1 脳はどのようにして読み方を学んだか?
第1章 プルーストとイカに学ぶ
第2章 古代の文字はどのように脳を変えたのか?
第3章 アルファベットの誕生とソクラテスの主張
PART2 脳は成長につれてどのように読み方を学ぶか?
第4章 読字の発達の始まり~それとも、始まらない?
第5章 子どもの読み方の発達史~脳領域の新たな接続
第6章 熟達した読み手の脳
PART3 脳が読み方を学習できない場合
第7章 ディスレクシア(読字障害)のジグゾーパズル
第8章 遺伝子と才能とディスレクシア
第9章 結論~文字を読む脳から”来るべきもの”へ
<内容>
「読書」に惹かれて読んだが、難しかった。前半の文字の発明と読字に関する脳の発達の歴史。後半は「ディスレクシア(読字障害)」に関する話。著者の息子がこの障害だったことから、彼女は読字障害に関する研究を進め、脳機能の問題から文字の歴史まで考えが及んでいったものと考えられる。
教育の立場からだと、「ディスレクシア」は何となく知っていたが、その障害は一筋縄でいかないこと(つまり、処方箋が簡単ではないこと)。難しい見極めと対策(小学生以上では)難しいことが分かった(ないわけではない)。また、日本語は漢字と仮名があるので、英語や中国語とは違う脳の使い方をしていること。ソクラテスの悩み(口承から文字化が始まった時期に生きていた)は、現在のアナログからデジタルに移行している時代の我々(アナログ派)の悩みと似ていること(人間は考えなくなるのではないか?という悩み)。気づいたことは多かった。
逗子市立図書館
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脳科学に関する本というか、自然科学系で比較的最近書かれた本としては、とても評価の高い本のようである。
これは、なんだ?という衝撃のタイトルが気になっていたが、ようやく読んでみた。
内容として、この問題を延々と論じているわけではない。残念ながら・・・?
副題のように、言語、読字、さらには読書がいかに脳を変えて行くかという話しで、これは喩えではなくて、本当に言葉で脳が変って行くという事が、とても説得力をもって論じられて行く。
これは、能のイメージングの技術が進歩したためで、字を読むときに脳が活性化する領域の変化が、ミリ秒単位で示されて行く。そして、言語の種類による違いなどなど。
文字を読むという能力は、もともと遺伝子にはないわけで、脳が発達の段階で、既存のいろいろな機能を組み合わせ、リンクさせながら、読字能力を発達させていく、らしい。
脳、それから生命の柔軟性に改めて感銘をうける。
それにしても、外国の自然科学者というのは、どうしてこんなに自分の専門領域外の文学やら哲学にもこんなに博識なんだろうね???
それこそ、読書する脳の構造がちがうんじゃなかろうか、と思う。
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この世に初めて生まれた赤ん坊が初めて笑った時、笑い声が粉々に砕け散って、かけらのひとつひとつが妖精になった。それが妖精の始まりだよ
バリー
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あかん。暑さのせいにはしたくないけど、まったく頭に入ってこない…涼しくなってからリトライします(涙)
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読書(文字を読む)という行為を、どのように脳は獲得しているのかを説明した脳科学の一冊。
ちなみにイカの話は少ししか出てこない。
人間が読字という能力を得てから、わずか数千年しか経っていないという当たり前の事実と、そのために(読字の能力は遺伝で獲得できないために)誰もが努力して獲得する必要がある、というのは当たり前すぎて見逃してた。
アレクレシア(読字障害)に対する現在の教育の問題点、ソクラテスの文字に対する懸念、卓越した読み手はどのように文章を読んでいるのか、といった読字に関する話題から、インターネットの影響や脳科学をもとにした文字の誕生の仮説まで、かなり話題豊富でボリュームが多い。
文字を目で追いつつ、思考する時間を持つなど、普段は意識していない読字についての幅広い知識を得ることができた。
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読書と脳の働きの関係についての研究。
幼児期の言語環境の大切さを再確認した。
P125
数十年来の研究により、子どもが親や好きな人の朗読を聞いて過ごした時間の長さは、数年後の読字レベルを予測するよい判断材料になると確認されている。なぜか?上に挙げた場面をもう少し突っ込んで考えてみよう。年端もいかない子どもが大人のひざに載って、色とりどりの絵を眺め、昔話や新しい物語に耳を傾けながら、ページに記されている線は文字であり、文字は単語を作り、単語は物語を作り、物語は何度でも繰り返し読めるものであることを学んでいる。この幼い頃の場面に、子どもの読字の発達に不可欠な前段階の大半が含まれている。
P126
早期リテラシー
書記言語を耳で聞くことと愛されていると感じることの結びつき
P128
子どもたちは話しかけられる機会が多いほど、音声言語を良く理解するようになる。読み聞かせてもらう機会が多いほど、自分を取り巻く世界の言語すべてがわかりやすくなる。こうして語彙を増やしていくのである。
P131
情動の発達と識字の相互関係
幼い子どもたちは読むという行為に触れることによって新しい感情を体験することを学ぶ。
P142
我が子もおそろそろ文字の名称がわかりそうだと思ったら、何歳であっても、親は思い切って子どもに手を貸すべきだ。
P155
語彙の貧困と”夕食時の語らい”
P211
読解プロセスが目に見えて向上するのは、子どもたちが予備知識をつむぎ合わせ、悲惨な、あるいは素晴らしい結末を予測し、あらゆる危険に満ちた窮地で推論を下し、自分の理解に穴はないか検討し、新たに得た手がかりや意外な新事実、追加された知識の断片が自分の知識をどう変化させるか解釈する時である。
リチャード・ヴァッカ
戦略的な読み手とは
「読む前、読んでいるあいだ、読んだ後に予備知識をどのように働かせればよいか、文章のなかで何が重要であるかをどうやって判断するか、情報をどのように合成するか、読んでいるあいだと読んだ後にどうやって推論を導き出すか、どのように質問するか、そして、いかにして自己モニターを行い、読解に欠陥があれば修復するかを知っている読み手」である。
P327
読字の熟達につながる発達の変化は、小学校時代ではなく、幼児期に始まる。親やその他の大好きな人々に読み聞かせてもらった時間の長さは、後の読字能力を予測する最良の判断材料のひとつである。象のババールやガマくん、小ざるのジョージ、、それに『おやすみなさい、おつきさま』などの物語を毎夜読み聞かせられるうちに、ページに記されている得体の知れない記号は単語を作り、単語は物語を作り、物語は自分を取り巻く世界をつくり上げているありとあらゆる物事について教えてくれることを、子どもたちは徐々に悟っていくのだ。
幼い子どもたちは会話に加わるほど、たくさんの単語と概念を身につけていく。読み聞かせてもらう機会が多いほど、本に書かれている言語をよく理解し、語彙���文法の知識、そして、単語に含まれているちっぽけだが大切な音に対する認識を増やしていく。
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目次に目を通して、この辺りに自分の興味がありそうなことが書かれてあるなとあたりをつけて、最初から読み始めた。それが、第5章【子どもの読み方の発達史】、第8章【遺伝子と才能とディスレクシア】、第9章【結論ーー文字を読む脳から“来るべきもの”へ】なのだけれど、ギッシリと意味の詰まった言葉で、書かれた文章なのでゆっくりと読み進めなければならなかった。まるで、サイドプレーキを引いたままアクセルをふかしているようだった。気は焦るけど、いま目に入ってくる言葉が繰り出すメッセージの理解がはかばかしくいかなかった。
でも、印象に残ったのがソクラテスが口承伝達に拘っていた姿を想像しながら、その理由を読み進めることかできたこと。そして、弟子であるプラトンが師の拘りを踏み越えて、時代の流れに適応して書き言葉を重視し、師の言葉を書き残していったこと。このふたりのあいだに生じた、言葉に対する見通しの違いは、まさに現在の“文字によって獲得する知識”から“ネットによる知識の活用”の分水嶺の現象に似ている。
でも、このソクラテスからプラトンへと移行する知性の獲得命題と相違するのは、ネット社会は人類の知性の向上は眼中になく、結果としての知識社会の向上にあることであり、そこには人類の知性を高めるための脳の高度化を図ることではなく、外部化した知識を活用するための脳に変化させることを強いることにあるという点だ。
まさか、ソクラテスはこの時代を予測していたとは思わないが、この本を読みながら『だからいったこっちゃない。人間というものはこういう処に行き着いてしまうんだから』と哲学者ソクラテスが嘆く姿を想像してしまった。
最近読んだ『ネットバカ』で著者が危惧していたネット社会が作り出す人類の脳、それを備えた人類たちとはどう想像しても分かり合えない薄気味悪さを感じていたのと通じる読後感がある。
こんなこと書いてしまったが、この本はとても丁寧に読字から書字へ、そして言葉が与える脳の賦活状態を説明してくれているし、ディスレクシア(読字障害)を詳しく説明することによって、読字を解読する脳の仕組みを分かりやすく炙り出してくれた。
そうか、ディスレクシアは多様な脳の一形態の結果であって、文字を獲得した人類社会にあってはその側面から世の中を見つめると、不利に見えるかもしれないけれど、ディスレクシアの人が社会のコミュニケーションツールを創造していたら、全く違った世の中になっていたのかもしれないのだ。
今私は人類の過去に遡った仮説の話しをしたが、この空想は人類の未来においても起こりえない話ではない妄想にも発展できる。
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amazonでたまたま見つけた(最初はjournal to selfという本の翻訳が出てないか検索)
【要約】
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【ノート】
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