紙の本
この本との出会いもまた「偶有性」の幸せだったのだ。
2009/08/04 14:16
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:wildflower - この投稿者のレビュー一覧を見る
借りて読んでみて初めて
この本がちょっと耳馴れない「エンジン01文化戦略会議」
なる200人の各界著名人が、円陣を組んでエンジンになるべく
講演などを行っておられて
そのなかの活動の一環として新潟で行われたシンポジウムの
いわば講演録なのだと知った。
脳科学者の茂木健一郎さんと、スピリッチュアル・カウンセラーである
江原啓之さん。
異色な取り合わせである。何を語り合っているのだろう?
それが一番の関心事だったわけなのだが
偶有性、ということばの意味するところ、みえない存在への感受性という
内容で、お二方が意外にも近い感性を持ち合わせておられるのは新発見
だった。ぴあ株式会社から08年11月の発行。
本書は3部構成で、シンポジウムの講演2つのあとお二方の対談が
載っている。
江原さんから、茂木さんへ「感受性」というキーワードが差し出され
それを茂木さんが、ご自身の体験談やご専門から説いて行かれる。
ここのところが本書の真骨頂であって、第3部はちょっと舞台裏の雑談風。
どれも楽しく読むことができた。
偶有性 という耳慣れない言葉は、なにかといえば
副題にもあるように「人生何が起こるか分かんない」。
具体的には第2章p48あたりの記述になるのだけれど
「生きる」ということは、脳科学者にとってはどういうことか。
現実に起こることと起こらないことの間の関係
そしてそれらとどう折り合いをつけるかということなのだ。
というのである。
容姿とか、自分の伴侶とかを例にして「理想」と「現実」は違うと説き
では、現実ばかりを見ていればそれでいいのかといえば違うと。
自分が思い描いていたことが、必ずしもそうはならないということ
が偶有性。
そしてそれほど人生を鍛えてくれるものはないと、茂木さんは
言う。
そしてそれを喜ぶことができる、そのときに生まれる笑いが
すばらしいのだと。
そして偶有性というある意味不確かで不安なことを引き受けて
いくときに欠かせないのが「セキュア・ベース」つまり安全基地。
それが保証されてこそ、何が起こっても大丈夫と笑えるのだと。
タイトルの『偶有性幸福論。』のエッセンスは、多分そこなのだ。
この講演は、かの中越地震が起きた新潟で、被災の3年後に
行われている。
軽妙な語りを交えながらも、生きてあること、そして死を抱くこと
について
講演者お二方からの新潟の方々へのエールに満ちたメッセージが
じんわりと伝わってくる。
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偶有性について知りたくて読書。
一億総評論家時代、人のふり見て我がふり直せが失われつつあることを危惧している。なんでも白黒つける、グレーが存在しない価値観。
目に見えない存在へ感謝するなどの行為は日本人であれば当たり前に信じられるものであるが、現在は薄まっているとの指摘は納得できる。「お天道さまが見ている」「ご祖先さまが見ている」は私の世代でも祖母から言われて育った。
最近、感心を持って調べている道についての江原氏の説明も面白く読めた。
コミュニケーションや人間関係において想像力が欠落している。想像力が偶有性を生み出し、新しいことを発見したり、機会を生む。だから人生が豊かになり、面白くなる。相手の立場で想像したり、配慮したり、考えることは当然と思われているが、できない人が増えているし、またその認識も乏しいから問題が起こる。
読書時間:約30分
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講演会がベースになっているので、会場の雰囲気やスピーカーのテンションに着いていけないところが多少ある。が、私が期待していた茂木さんの偶有性についての話はもちろん興味深かったし、そこから展開する江原さんの執着心についての話は、思いがけず今の私の問題点を指摘されたようで、刺激的だった。
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エンジン01オープンカレッジ イン 新潟での対談講演を文章化したもの。テーマは、笑うこと。何が起こるかわからないから人生が楽しい話をメインに語られている。その場で聞いている語り口で面白かったが、文章化によって、わかりづらい部分もあった。
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茂木さんと江原さんの、講演会での対談録。
立場も専門もまったく異なる二人であるにもかかわらず、その違いをまるで感じさせない対話の進み方を読むと、会話を成立させるものは共通した専門性があるかどうかではなく、相手に対する想像力と理解力なんだということがよくわかる。
こういう、きちんと話しがかみあっている対談というのは、お互いが相手の意見に対して切り込んでいける分、客観性が増すし、どういう展開になるか予想がつかないライブ感もあって、非常に面白くなる。
対談の前に、まず、それぞれが独演という形で話しをしているのだけれど、特に面白かったのは、茂木さんの話しだった。講演で話した内容をそのまま記録したものなので、普通の本よりもだいぶくだけた口調で話しをしている。
茂木さんが言っているのは、簡単にまとめてしまうと、「すべての人生はその偶有性において等価である」ということなのだけれど、これはかなり衝撃的な言葉だった。この言葉に出会ったというだけで、自分にとっては相当プライスレスな価値がある本だった。
日本は本来、陰徳の国なんですよ。表に見えない、そこに心遣いをするという、非常に想像力の優れた国であったわけです。この国だけなんですよ、お茶が入りましたよって言うの。これは英語だったらば「私があなたのためにお茶を入れました」になるんですね。ですから、そうするとある意味ではすごく押しつけがましくなってしまうんですが、「お茶が入りましたよ」って日本語では言う。(江原)(p.31)
よく『水戸黄門』とかのドラマでやっているでしょ。悪人が「へ、へ、へ、死んでしまえば、もうおしまいだ」とか言って。確かにね、現代の物質的な世界観からいえば、死んでしまえばもうおしまいなんですよ。死人に口なしなんですから。でもほんとにそうなんですかね。死んでしまった人、亡くなった人の実在性をどう考えるかってこと以外に、僕は人生の本質的な問題はないんじゃないかと思ったことがあります。(茂木)(p.46)
人間って面白くて、例えば、美人じゃない人って美人にあこがれると思うんですよ。でも美人になってみると大したことじゃないんだよ、きっと。俺、川嶋なお美さんになったことないから分かんないけど、大したことないんだと思う。だって、一度に付き合える男は一人だけだし。美貌持ってたって、一度に100万人の男と付き合えるわけないんだから、そんな大したことないんですよ。どういうことかというと、要するに、才があると、見上げたときになんかすごいんだろうとか、うらやましいとか思っちゃうんだけど、でもどんな人生にもどうなるか分からないっていう楽しみがあるわけですよ。例えば、新潟に在住で、コンビニでバイトしながら安アパートで暮らしている青年は、「今日はちょっと早く仕事終わったな」って家に帰って、ビール飲みながらテレビつけたらたまたま自分の好きなタレントが出てて「うわっ」とか言って喜んでる。そのときに、携帯に気になってた子からメールが来たりなんかして、ラッキーみたいなね。そういう偶有性と、金持ちが「今日シャンパンは何にしようか」とか言って、「もうドンペリも飽きちゃったから何とかにしよう��」って言ってるのって、そんな変わんないんだって。分かります?説得力ないですか。脳科学的に言うと、その両者は変わんないんです。つまりドーパミンという物質が脳の中にはあるんですよ。そのドーパミンっていう物質は、偶有性、どうなるか分かんない、それに反応して出るんです。一番喜びを感じたときに、人は自然に笑うわけです。にっこりと笑うわけです。その偶有性というのは、ほんとにどんな人生でも平等にあるんです。(茂木)(p.54)
向上するということは大事ですよ。向上するということは大事ですけれども、そこの中にある偶有性、どうなるか分からないということの喜び、これを楽しめるという覚悟があれば、もうこれでいいんです。
実は、その偶有性という覚悟を支えるのに、非常に大事なものが一つあります。それは何かというと「安全基地」というものなんです。子どもっていうのはね、なんでもチャレンジするんですよ。偶有性を楽しむんですよ。子どもっていうのは自然に笑うんです。ところが、それをやるためには親が安全基地を提供しなくちゃいけない。過干渉とか過保護は駄目、自由放任も駄目。安全基地って何かというと、子どもが自由に何かをやる。困ったときに助けてあげる。なんかアドバイスを求めてたらちゃんと向き合ってあげる。ただ愛するというね、これが何よりも子どもにとって安全基地になるんですよ。そしたら人は覚悟をもって、人生という偶有性を楽しむことができるんですよね。(茂木)(p.61)
捨てる勇気だと思うんですよ。結局物質的価値観。例えば今日、自分の家がなくなったらどうするかとか、それは心配性という言葉になるかもしれないけど、そうじゃなくて、なくなったらどんな世界が自分にあるだろうか。いつも私の中にあるのはそうなんです。この日本を捨てたらどういうふうな人生になるだろうかとか常に思う。そうするともう無限に道があるんですよ。(江原)(p.90)