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長期刑で服役中の殺人犯が、自分について、また同房の囚人たちについて、その犯歴や性格等について述べた物。著者、ものすごく勉強していて、博識だし、きっと知能も高い人なのだろう。最初、まるっきりフィクション(殺人犯を装って誰かが書いた物)なのかとちょっと疑ったけれど、最後まで読んだ限りでは、どうもそうではなさそう。うーん・・・。観察眼や批評力になるほどと思うところもあり、勉強になります、という感じのところもあるのだが、ちょっとズレてるんじゃないか???と思うところもあり。その「ズレ」が殺人犯ゆえなのか、ただ個性なのか、何とも言えない。総じて、びみょーな読後感。いずれにしろ、人が人を裁くのは難しいねぇ・・・。私はきっと、誰も裁かず、誰にも裁かれず、ひとりぽっちでやっていく道をよかれあしかれ選んでしまうのだろうなぁ・・・(と、これもこの本の感想としてはズレまくりと思うけど)。
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殺人の、その形而上学的じゃない個別具体的な詳細は、たしかに殺人者以外からは聞けない訳ですから、これはきわめて貴重な本です。
いつもは《殺される側の論理》(あっ、これって、1971年刊行の本多勝一の著作のタイトルでもあります)で発言していますが、もちろん現実的には被害者の正当性以外に何もありえないと考えますが、それはそれ、必殺仕事人が大好きな私のこと、理不尽な差別・抑圧・虐待の怨念を晴らすための殺人であればOK問題なしで、私が請け負ってもいい位に思っているほどですが、ことに私たちみたいなミステリー好きにとっての殺人は、想像力の中でだけ大いにたくましく残酷無惨に繰り広げられる虚構として、そんなのダメですよ、なんて誰にも言わせないですよね。
現実に自分がすることが不可能なことを、どれだけ理解できるかは、むずかしいことですが、でも考えてみれば、人間の過去の歴史的体験で、たとえば被爆や疎開や何でも、問題意識さえ持っていれば想像力と思考で理解できるのは経験済みのことだと思いますが、あっ、そうか、いまピーンときました、ミステリー好きの私は自覚せずに、今まで《警察》とか《殺人》に関する本は、必ず集めて読んでいたのでした。
知的好奇心は人一倍旺盛で、たとえば団鬼六は読みますがSMはちょっと、稲垣足穂は大好きですがA感覚もちょっと。
そうなんです、冒険心旺盛なタブーに果敢に挑戦する私にも苦手はあるのです。食わず嫌いじゃないかって? ・・・コメントは控えさせていただきます。
食わず嫌いといえば、人肉食って?どんな味がするの?、という興味で、武田泰淳の『ひかりごけ』(1954年刊行。これは戦争中1943年に7人の乗組員が乗った日本軍船・第五清進丸の船長が遭難して2か月後に帰還、調査の結果、彼は乗組員6人の人肉を食べていたという事件をもとに書かれた小説。)を読みましたが、戦争中、特に南方戦線では日本軍は圧倒的な食料不足のために、敵味方なく人肉を食べたそうです。
横たわっている船員の遺体を見て我慢できなくなって、股の当りを包丁で切って味噌煮にして食べた、今まで味わったことがないおいしさだった、脳みそも食べたが精力が付く感じだった、と船長は証言したそうです。
考えてみれば、人肉食(カニバリズム)というのは人類の歴史上世界中に見られる慣習ですが、特に最近では飢餓をしのぐ究極の方法として北朝鮮でも行われているという報告もあります。
・・・・・なぜカニバリズムまで話が飛んだのか不明ですが、この稿 続きます・・・・・
この感想へのコメント
1.船橋胡同 (2009/04/26)
いつも素晴らしい体験感想!昔の体験もおいしく召し上がったようですね。コワゴワと拝読してましたが、途中で 我が身体を薔薇様に壊されたら気持ち良いかな~と?
乞う!次回の実践体験談。 この本の評価は次回で決まる。
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2.ヨナキウサギ (2009/04/30)
愛の究極は相手の身体を喰らうこと、とは、時々言われますよね。ちょっとだけ(ひょっとし���かなり)理解できる気がする自分がコワイ。サタケ君、まだ読んでいませんが、私の場合は脂身が多くて調理の仕方を選ぶだろうな、と思う程度で・・。この本には興味おおあり、です。形而上学的に議論するだけではすまない部分があると思うのです。いつか読んでみます。鬼六せんせあたりやA感覚は犯罪ではなし、冒険なさったら?
3.薔薇★魑魅魍魎 (2009/05/01)
なんともはや身体変態感覚は風太郎流に想像力と創造力をフル回転しても空想だけに。ここではけっして科学までへは追及しません、御免ねマルクス! だから虚構の領域なら、わたし阿部定にもなれます。主演女優賞下さいな。
何だかとんでもない逸脱、話が歪曲して猥雑めいて来ました。そろそろ戻さなきゃ。
4.ヨナキウサギ (2009/05/01)
そうですね、逸脱失礼。
でも、いつかドキュメンタリーで見た晩年の阿部定さん、なんだかとても穏やかな顔のおばあさんでした。ちょっと憧れました。あれはきっと、ホントに人を愛したことのある顔だ、と勝手に思ってしまいました、私の妄想かもしれないけれど。
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あまりにストレートな題名で手に取りづらい。表紙も怖い。それでも違う世界を知り刺激を受けた。自分にとっては読む価値があった貴重な1冊だけれど★をつけるのに困った。著者は無期懲役囚。前半は自分の成育から経歴、そして刑務所に入るまでの部分。こちらは先に読んだ小説「夢の国」の主人公の息子が著者であり、小説が自伝的であったので了解していた。それでも改めて特異な半生にうなる。刑務所での著者は多くの本を読み、まじめに作業に励み、何より罪について償いについて、生きること、死ぬこと、被害者について、遺族について深く考え続けている。知的能力が飛び抜けて高いのは本当だろう。本当の反省、償い、贖罪とは何なのかを考える時に、他の人はこの問題にどう向き合っているのか、本音を聞きたかったのが動機となって、仲間を観察したり質問や話をして他の12人もの受刑囚について分析したのが後半の部分になる。この告白・分析が読みごたえがあり、空恐ろしさでぶるっとした。長期刑に服している受刑囚の倫理観の欠如に驚く。人のことを全く考えない人間というものが実際に世の中に存在するのだ。100%でないがほとんどのLB級刑務所の受刑者に人間として大事なものを欠いているという。偏見を持ってはいけないと思うが、人は誰しも良心を持っていると思っていた自分の考えは改めようと思った。見た目ではわからないという。人間についてよくよく考えさせられる1冊だった。
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大変 面白かったです。近所の刑務所は LB刑務所なんだろうと思います時々 週刊誌に あの有名事件の犯人は今ここ みたいに 記事が載っていることがあるしどこまで 本当なのかな? と思わせるところはありますが。刑務所でまっとうな人は みんな やくざ というのは そうだろうな とは思うそれから 俺は ○○をしただけなのに なんであんなところにいたんだよ いるから殺しちゃったじゃないか という風に考える というのは あるかも知れないなぁ とは思った。
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人を殺すとは?
償いとは?
人間とは?
偏りのある意見かもしれないが読む価値はある。
衝撃的だがおもろしろい。
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ロングのB級の刑務所って知ってます?オイラは初めて知りました。
LB級刑務所──そこは、受刑者の半数が殺人犯。刑期8年以上の犯罪傾向が進んだ者のみが収容されるところなんだって。
著者は、自らに絶対的確信を抱いて冷徹に二人の人間を殺した男。殺すことに全く疑問を持たなかった人物。そして、収監された刑務所で、全く反省しない同囚たちに囲まれながら、自分の罪とどう向き合ったのか?
この著者はまちがいなく頭がよいのだと思う。
知能抜群ですよ。
しかし、彼には社会とのツナガリより、自分の信念に正直であるべきだという価値観が優先しているんだよね。それが2件もの殺人を犯すきっかけとなった。
彼にとって信念とは、つまり、父親なんだ。
父親からの影響が彼を殺人へとイザナウんだなぁ。
しかも、いまだに彼はそんな父親を愛しているんだ。すでに他界しているにもかかわらず。
これって、ショック。そんな人、いるんだね。
この本の記述の中に時々難解な用語が出てくるのは、ちょいと行き過ぎかもね。青臭い。
この本の後半には、同じ刑務所にいる囚人の話が出てくるが、飛びぬけて優れたやくざの幹部たちを除いては、どれも救われないヒトビトです。こういう人、職場にもいるよね。
おすすめ度は5点中、4点。なかなか読み応えありますが、ここまでオイラは強くなれないかなぁ。
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二流小説家 という作品を読んで犯罪者の心理に興味を持った。
塀の中の生活はもちろん、服役している他の様々な犯罪者にインタビューしているのが興味深い。
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ノンフィクションの、無期懲役囚による手記。
著者は服役するあいだに自分の行為がとても罪深いものだったと感じるようになり、「贖罪とはなにか」「自分はどう生きるべきか」を考え続けてきたそうだ。
中盤では親しく話すようになった囚人のケースを紹介しているのだけど、それによって「犯罪」が決して遠い世界のものではないと感じてしまったり(いつ誰が被害者になったり、あるいは加害者になるかもわからないのです)、それにこれを書いている人は現に加害者なのだと改めて感じてしまい、怒りや嫌悪感がこみあげてきて、ちょっとハードだった。
手記の終盤で、彼は
「殺人という行為は、実行した本人より周りの苦悩の方が圧倒的に多いのです。」
といっている。
当たり前のことじゃないか、と思うけど、これって殺人に限らず、あてはまるかもしれないと思う。
悩みの深さは本人しかわからない、というようなことを言うけど、わからないからこそ本人以上に思い悩んで心配してくれたり、ずっと見守ってくれている人がいるはずなのだ。
こんな風に、命や生きることについて考えることができたのでさいごまで読んでよかったかなと思う。
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2件の殺人を犯し服役中の著者。
好き嫌いが分かれるテーマだが、
「人を殺す人とはどんな人でどんな心理なのか。」を知ることができる一冊。
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リアリティとしては深くないが、人柄にとても興味をそそられて一気読み。
作者がいわゆる天才気質で、その考え方の偏り加減がはげしい。
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描いてるお話の参考資料にと思って図書館で借りてきました。
興味深くはあるがおもしろいとは言えない。
著者がちょいちょい難しい言葉知ってて、なんか想像と違った。
殺人犯の肖像読んでて思ったのが、
こういう精神状態の人って結構身近にいるんじゃないかな、と。
働いてるとき、よくこんな感じの人たち来てた気がする。
あくまで偏見ですけど…言動が近い
(もちろん私は堅気の仕事ですよ)
怖くなった
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養護施設への支援を続けてきているような著者がなぜ二度の殺人に至ったかということを自己分析しながら書いており読みごたえがある。残りの部分は他の受刑者について書かれていて、更生の可能性が非常に少ない旨が述べられている。「累犯障害者」でも指摘されていた受刑者のIQが慨して高くないことにも少し触れられていた。現在の更生システムが機能してないのが指摘の通りでも、それをなんとかしようという仕組みがこの国にはない気がする。海外のことは調べていないが、よい方法を見つけ出している国はあるのだろうか。
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2件の殺人で服役中の無期懲役囚の著書。
自身も殺人犯でありながら、他の服役囚の話しを客観的に分析しているのが興味深いです。
服役囚の多くが倫理観が欠落し、「被害者があんなところにいるのが悪い、おかげで何年も刑務所にはいらなければならず、こっちも被害者だ」というような、自分の欲望しか頭にないとう話を読むと、恐ろしくなる。しかも、そういう人達が反省も後悔も罪の意識すらないままに、再び社会に出てくるのだから、刑務所ってなんなんだ…と思わずにいられません。
著者自身は、そのような囚人達とは異なり、自省し学習し贖罪について深く考えています。著者は、頭がいいというか知能が高く、知識も豊富で、物事を深く考えることのできる方という印象です。殺人犯にならずに今の心境に辿り着けたならどんなにか良かったでしょうに。
著者は毎月100冊の本を読み、管理者を通してブログも書いています。書評のブログのようですね。
殺人犯、服役囚…といえば、恐ろしい・関わりたくない人、と思って来ましたが、今はこの著者の別の著作も読みたいと思っています。
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一気に読み、うーんと考える。
罰と反省って、因果関係があるのだろうか?
罪に問い、罰を与えたから反省するってことがありえるんだろうか? 子供にやっていいことと悪いことを教えるために叱るのとはわけが違うのだ。
少なくともこの本に出てくる獣みたいな殺人者たちは、刑務所に入れられたことは反省しても、人を殺したことは反省していない。著者ですら、収監されたから反省したわけではない。そのための時間は与えられたが。
しかも反省していない殺人者たちは反省したふりをして仮出所を狙い、反省した著者は反省したがゆえに刑務所で一生を終えるつもりでいる。
ぼくは刑務所は必要だと思うが、それは単にこういう人間もどきを隔離して、それ以上の悪さをさせないための施設として必要だと思う。
気が滅入った。
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★はつかなかったけれど、犯罪者を見る目がついて勉強になった。本当に殺人犯が書いているのかという声もアマゾンなどではあったが、取りあえず破綻とか矛盾は感じなかった。多分同著者の他の本も読みます。
***以下抜き書き**
・ここでは心の病んだ人は、私も含め大勢いますが、その病み方は千差万別です。病気というなら覚醒剤、窃盗、強盗、殺人等どれも病気なのでしょうが、強姦と放火に限ってはそれが異質なように思えるのです。他の病がドライ系(そんなものはないのですが)だとすると、放火と強姦はウェット系のような感じです。何かじとっと沁み込んでいくみたいな感じです。
(人嫌いで人付き甲斐が下手で暗い。常に抑圧され心の中に不満を一杯抱えて上手にそれを排出できない感じ)
・受刑者の中には、ほんの一握りだけですが、反省しているということ自体に自己満足していたり、酔っている人も見られます。浅い反省や贖罪の念で、償いをしてる気になって自虐的に喋ったり事実以上に己を悪く言うのですが、じっくりその言葉と行動、そして言葉の表現の強弱を追うと自己満足、つまり反省しているんだという行為で止まっているのです。いつしか被害者や遺族への慰謝の心は霧散しているのです。
・ずっと以前にトルストイの『戦争と平和』を読んだことがありましたが、ロシアの貴族でロシア軍の将校でもあるピエールが捕虜収容所に入れられた時に幸福を知ったという記述がありました。一字一句まで正確ではないですが、幸福は自分自身の中にあり、一切の不幸は欠乏からではなく過剰からくるというようなことが書いてあったと思います。当時の私は、これが感覚として理解できず、不自由な収容所で貴族でもあるピエールがこんなことを思うのは無理があると解釈していましたが、かなり遠回りしたにせよ、今やっと分かった気がします。