投稿元:
レビューを見る
章終わりのまとめが無いと、内容をつかみにくいところもある。
ただ、基本的なことは書いてあるので、まずは目を通すべきかと。
投稿元:
レビューを見る
うーーーーーん。
ひとつの理想ではありますが
実際導入した場合、いったいどういうことになるのか・・・。
投稿元:
レビューを見る
「ベーシック・インカム」とは,すべての人間が生きているかぎり国または地方公共団体から受けとることのできる定期的な所得を言うそうです。日本語でなら,保証所得とでも言うんでしょうか。そんなお金をくれる制度が実現しているわけではありませんし,すべての「人間」でなく「国民」と言うほうが穏当なんでしょうが,いまその点は問題ではありません。『ベーシック・インカム入門』(2009,光文社新書)が簡単にスケッチするベーシック・インカムの制度は,次のようなものです。
■■■■■
例えば医療、教育、介護、保育、住居などにかかるお金がほぼ無料に近い社会を想定してみよう(完全無料とまではいかなくても、日本に比べれば格段に安い先進国は沢山ある)。そうした社会で、仮に毎月1日にすべての成人の銀行口座に国から10万円が振り込まれ、子どもには7 万円が振り込まれるとする。2人の子どもを育てているシングルマザーであれば、3人で合計24万円の給付を受ける。子どもを保育園に預けて「働き」(家で子どもを育てることも「労働」だと思うが、世間的な用語法にとりあえず従っておく)に出ることによって得られる収入が手取りで10万円だとすれば、それと 3人分のベーシック・インカム24万円をあわせた34万円が、その家庭で使える1カ月分の金額ということになる。(p10)
■■■■■
著者の言うベーシック・インカムは「すべての成人」および「子ども」に給付されるべきものなので,職に就かずぷらぷらしている者にも高額所得者にも給付されます。
いい話じゃありませんか。告白すると,ぼくはできることなら一生を寝て過ごしたいと思っています。本書の著者は,「働かざる者食うべからず」という偏見を想定して,それにたいする反論に紙幅を割いていますが,ぼくにかぎって言えばそんな反論は必要ありません。働かなくても食えるなら,それに越したことはありません。だからぼくは,それ以外の疑問を本書に尋ねようとしました。
ベーシック・インカムという制度には,いくつもの疑問点があります。たとえば,古代ローマで無料の「パンとサーカス」を享受していた無産階級のローマ市民たち(のちにドイツ語でプロレタリアートと呼ばれた人々)は,ベーシック・インカムを給付されていたと考えられるか。しかし,本書にプロレタリアートの話は出てきませんでした。
じゃあ疑問点その2。なんでお金を給付するのか,むしろお金をなくせばいいじゃないか。著者はこの論点について,エーリヒ・フロムの議論を紹介するときにちょこっと触れています(p252)。『自由からの逃走』の著者は半分マルクス主義者ですから,生活必需品を無料にしろ,くらいのことを言うわけです。しかし著者は,その議論を貨幣の廃棄という方向に進めず,入会(いりあい,commons)の方へ話を逸らします。じゃあ,著者はマルクス主義にどういう態度を取っているのか。よく分かりません。今日ヨーロッパでベーシック・インカム運動を推進するベルギーの政治哲学者フィリップ・ヴァン=パレイスについて,彼は「初期」にマルクス主義者であったものの,「1990年代に入るとヴァン=パレイスは、左翼が思想的に復活するには、ネオリベラル思想に拠るしかないと見切」った(p144)と,著者は記しています。マルクス主義はそのころ死んだと認定されているのでしょう。著者はまた,イタリアのアウトノミア運動の紹介に紙幅を割き,アントニオ・ネグリの著作を頻繁に引用しています。にもかかわらず,ネグリがマルクス主義者であるか,あったかについて,著者はなにも記していません。ヴァン=パレイスとネグリについての記述がつりあいません。著者がマルクス主義に賛成であろうと反対であろうと,どうでもいい。ただ,歴史上で貨幣の廃棄(揚棄)を求めた人々がいて,彼らの視点では,ベーシック・インカムというのは中途半端な──過渡的な制度であると位置づけられるはずですが,そういった見解に著者はどう構えるのか。そこのところが本書でまったく触れられていないのが,ぼくには歯がゆく感じられます。冒頭に紹介したように,著者はベーシック・インカムの給付額をとりあえず全員一律でいいと考えているフシがあります。一方,ヴァン=パレイスやネグリは,給付額は「各人の必要に応じて」異なるべきであると言います。彼らはそういった構想で,究極的には貨幣を殺そうとしているようにぼくには見えますが,それを著者はベーシック・インカムの諸変種のひとつと分類するに留めています。
ただし,そのような見方は一面的です。著者のために言いそえるなら,ベーシック・インカムの要求や構想の大半は,マルクス主義と関係のないところで行われてきたことが本書で紹介されています。マルクス主義は,実在の共産主義国家が自己正当化する場面を除けば,究極的に貨幣と国家をなくすことを目標にしているので,国家が人々に定期的に貨幣を給付するというベーシック・インカムの発想と相性がよくありません。
ベーシック・インカムを求めた運動の例として,本書では,アメリカの福祉権運動,イタリアのアウトノミア,イギリスの要求者組合が紹介されています。たとえば1960年代のアメリカで,子沢山の貧しい家庭の夫が酒飲みで暴力的で離婚が成立した場合,残された元妻と子どもたちはどうやって生活すればいいのか──そういった状況から,ベーシック・インカムを求める運動が起こったということはよく理解できます。
また,今日のベーシック・インカムを求める運動は,失業率の高さと切りはなせません。この高失業率は,一時的なものか不可避的か──言いかえれば,完全雇用を維持することは,原理的に可能か不可能か。昨今の先進諸国は,「持続可能な経済成長」というスローガンを掲げることによって,完全雇用が可能であるという姿勢を崩していませんが,それは,ブレジネフ時代の5か年計画と同じような絵に描いた餅であるかもしれません。完全雇用が不可能であれば,失業者に一時的な給付を行うより,ベーシック・インカムの制度を導入するほうが,理に適っています。
ベーシック・インカムや,それに似た制度を,提唱または支持した著名な思想家たち,経済学者たちの名が,本書には次々に現れます。登場順に,マーティン・ルーサー・キング牧師,マリアローザ・ダラ=コスタ,ネグリ,バートランド・ラッセル,ヴァン=パレイス,トマス・ペイン,トマス・スペンス,ジョン・ステュアート・ミル,ジェイムズ・ミード,ジョージ・スティグラー,ミルトン・フリードマン,ジョン・ガルレイス,ジェイムズ・トービン,ポール・サミュエルソン,エーリヒ・フロムなどなど。著名人の名声に頼って権威で説得することはよくありませんが,時と場合によって権威を利用せざるをえないこともあるでしょう。けれど,スティグラー(スティグリッツではない)やフリードマンといったシカゴの連中の名が挙がっていることに,ぼくは違和感を覚えました。フリードマンのアイデアは,基準所得に達しなかった者に「負の所得税」を給付する(つまり貧乏人は税金を払うのでなく貰える)というものです。彼にとって重要なのは,失業者が増えることより労働市場が均衡していることであり,彼の主張に従えば失業者が出ることは不可避ですから,その手当てとして彼は「負の所得税」を提案しました。彼の計算によれば,高い給料で要らない労働者を雇っているより,要らない労働者をクビにして「負の所得税」を給付するほうが安くつきます。そういう仕組みは,今日日本でセーフティー・ネットと呼ばれていて,その仕組みが十分でないことが問題になっています。日本の政策立案者たちが経済学を学んでいるのかどうか疑われる一例です。それはともかく,フリードマンのような主張は,単純に最低所得を保証するだけで,著者が考えているような,「生活に足る所得」(p242)を保証するわけではありません。
一方,ラッセルは,「生活必需品には十分な、一定の少収入は、働くと働かないとに拘らず、何人にも与えられる」(p140)と,著者と同じ趣旨の主張をしています。そして,ラッセルは「こうしたベーシック・インカムのある社会においてこそ、科学や芸術が発達すると考えた」(p142)と著者は言います。じつは,ここの部分がぼくにとって最大の疑問でした。つまり,疑問その3,人間は食うに困らなくなったらなにをするのか。今後日本では,団塊の世代が年金生活者になることで,この疑問にたいするひとつの大きな実験が始まるわけですが,彼らの大半は数十年間にわたって賃労働を行ってきたので,彼らのあいだで賃労働を支持する価値観が揺らぐことはないだろうとぼくは思います。むしろ,子どものころから食うに困らないことが保証されていれば,人間はいったいなにをするのか,というのがぼくの疑問点です。ラッセルは上のように「科学と芸術」と言い,ジョン・メイナード・ケインズもまた「宗教」を含めて似たようなことを言っています。しかし,「芸術」やら「宗教」やら,要するに生きるか死ぬかという問題を,子どものころからずっと考えるという生活に,すべての人々が耐えられるわけではないだろうとぼくは思います。労働は,生産であるとともに,マルティン・ハイデガーの言うゾルゲ(気を紛らわせるもの)の役割を果たしてきました。ぼくは十分なベーシック・インカムが得られれば一生寝て暮らす所存ですが,未来を構想するたいていの論者は,人間は強制されなくても労働を行うだろうという点で合意しています。きっとそうでしょう。しかし,人間が自発的に短時間だけ労働する社会では,ゾルゲ(気を紛らわせるもの)としての労働の役割は低下することでしょう。すると人間は,科学や芸術や宗教に没頭するより,新しいゾルゲ(気を紛らわせるもの)を創造するだろうとぼくは思います。そのいくつかは,今日すでに創造されているかもしれません。
ベーシック・インカムについての疑問は尽きませんが,そのうち小さなものとして,著者の言うような「生活に足る所得」を保証する制度がはたして実現可能であるかどうかという疑問があります。著者が例示する,成人1名に1か月あたり10万円,子ども1名に同じく7万円という数値を用いると,成人が約1億人,子どもが約2500万人いるとして,単純計算で年総額140兆円ほどが必要です。500兆円ほどの国民所得のなかで実質約3割の負担を賄うために,どのような税制を導入すればいいのか,また,その制度を実現したあと現在の国民所得水準が維持できるのか,といった点について,本書はなにも答えていません。また,こういった制度は1か国だけで先行導入するのがむつかしいから世界同時のほうがいいんじゃないか,とか,この制度で大損をする人々は猛反対するに決まっているが,彼らの公民権を一時的に停止する措置を取るべきかどうか,といった実践的な問題点についても,本書は沈黙しています。つまり,本書はあくまで『入門』であって,議論は不十分であると言わざるをえません。
そうしているうちにも,現実の社会では,一度かぎりの定額給付金が給付され,農業部門では部分的な所得保障が行われようとしています。
投稿元:
レビューを見る
福岡に帰ってからというもの、なにか予定がある日以外は、すべからく、寝ている。家族から「よくそんな寝れるね!」とつっこまれるほど、老後のような生活を送っている日々だ。どういうわけか、実家に帰ると自分でも信じられないほど寝る。起きては寝、食べては寝、完全なダメ兄を演ずる。おそらく、身の回りの世話をしてくれたり、何もしなくても自分のことを認めてくれる存在がいてくれるから、こうもダラダラしてしまうのだろう。東京に帰れば、そんなこともなくなり、なかなか優秀な生活をする(はず)。
「ベーシックインカム」が導入されれば、こんな「くそ生活」にも「死なない程度の支給(8万から10万)」がつく。ベーシックインカムの理念からすれば「くそ生活」すらも多様な生き方のひとつとして(貨幣価値の対象として)認められるというわけだ。こうなればアメリカによくいる自然を愛するCO2愛好家のボンボンでなくても無理せずヒッピー的生活が可能となる。
こういう事を聞くと、「働かざる者食うべからず」的価値観から色々と疑問が沸いてくるだろう。本書はその疑問に、歴史・理論・経済・法律等々様々な角度から答えてくれる。「くそ生活」の例は少々極端な例であったが、全ての国民に現金を支給するベーシックインカムの要求は「何故賃金をもらえない仕事(家事・社会奉仕等々)は『労働』ではないのか。何を持って『労働』とするのか。『労働』とは何か。」というより根本的な問題を提示するということを理解することができるだろう。(10.08.18)
投稿元:
レビューを見る
ベーシックインカムは「すべての個人が無条件で生活に必要な所得への権利を持つ」というもので、本書によると
1.個人に対して、どのような状況におかれているかにかかわりなく無条件に給付される。
2.ベーシック・インカム給付は課税されず、それ以外の所得はすべて課税される。
3.望ましい給付水準は、尊厳もって生き、実際の生活において選択肢を保障するものでなくてはならない。その水準は貧困線と同じかそれ以上として表すことができるかもしれないし、「適切な」生活保護基準と同等、あるいは平均賃金の何割、といった表現になるかもしれない。
というものである。
現在の生活保護などと決定的に異なるのは「世帯や世帯主に支払われるのではなく個々人に支払われる」「資力調査なしに、全員に支払われる」「稼働能力調査なしに支払われる」「毎月ないし毎週といった定期的な支払い」となることである。
基礎年金や雇用保険、生活保護などは廃止され、すべてベーシックインカムに置き換わることになる。
この根拠は
「私たちが現在享受している社会の冨が、現在の私たちの労働からだけではなく、過去の世代の労働の遺産からもなりたっているとすれば、その分は私たち全てが平等に継承できるものではないのか」というものであり、「例えば私たちは、この地球に等しく生れ落ちたという点で平等であるなら、一定の土地を平等に与えられなくてはならない」というものである。「その土地が一部の私有に任されていることの補償としてベーシックインカムを正当化する」。
このことによって、ホームレスやワーキングプアは完全になくなるし、おそらく老後の生活の問題もなくなり、将来に展望が持て、したがって個人消費は活発になり、人々は明るく生きることになるだろう。
「働かざる者、食うべからず」とか「働く気のないものにも給付するのか」とか「お金持ちに給付する必要があるのか」とか、そういう疑問にも本書は丁寧に回答していく。
投稿元:
レビューを見る
-20090430
基本所得を無条件給付とするベーシック.インカムについて近現代200年を概観することを通して、労働.ジェンダー.グローバリーゼーション.所有といった問題のパラダイム転換を試みる。
投稿元:
レビューを見る
平成の大不況、少子高齢化、グローバル経済、・・・・。
今後さらに変化が激しくなるこの時代に私たちはどう生きていくのか。
仕事は人生のなかの大きな目的でもありますが、どう仕事と向き合うかも重要です。
またお金さえあれば幸せかと問われれば私はそうではないと思います。
難しい時代に生きる私たちに良いヒントを与えてくれる1冊です。
投稿元:
レビューを見る
ベーシックインカムとは何ぞや。そんな疑問に歴史から、思想から、哲学から、経済から、と多方面から応える本書。民主党が提唱する最低保障年金はまさにこのベーシックインカムの考え方から来ているものだろう、という事で読んでみた。確かに入門書としては良書なのだろうが、アプローチが幅広過ぎて自分にはあまり合わなかったですねえ。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
ベーシック・インカムは直接的には新しい社会保障の考え方であり、何より貧困問題の解消に一役買うことができると私は考えているけれども、本書は社会保障についての技術的なものではなく、もう少し別のものを目指している。
個人の生活と社会の関係、労働とは何か、といった事柄について改めて考えてみる、そんな本のつもりである。
近年におけるグローバリゼーションのなかで、約二〇〇年の歴史をもつ「ベーシック・インカム(基本所得)」の概念が世界的に注目を集めている。
この新しい仕組みは、現代社会に何をもたらすのか。
労働、ジェンダー、グローバリゼーション、所有…の問題を、あらゆる角度から捉え直す。
[ 目次 ]
第1章 働かざる者、食うべからず―福祉国家の理念と現実
第2章 家事労働に賃金を!―女たちのベーシック・インカム
第3章 生きていることは労働だ―現代思想のなかのベーシック・インカム
間奏「全ての人に本当の自由を」―哲学者たちのベーシック・インカム
第4章 土地や過去の遺産は誰のものか?―歴史のなかのベーシック・インカム
第5章 人は働かなくなるか?―経済学のなかのベーシック・インカム
第6章 “南”・“緑”・プレカリティ―ベーシック・インカム運動の現在
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
ベーシックインカム(BI)は「すべての個人が無条件で生活に必要な所得への権利を持つ」という考え方。
著者の山森亮氏は1970年生まれの経済学者。同書は6章立てになっていて、興味によって、どこからでも読めるようになっている。章の終わりには「まとめ」もあるので、おさらいもできる。
この「無条件給付」という考え方は疑問がある人もいるだろうと山森氏はいう。自身も90年代にBIについて初めて聞いた時は嫌悪感を持ったと告白する。
(1)お金持ちにも給付するのは馬鹿らしくないか?
(2)働く気のない人に給付するのはよくないのでは? というものだ。
「働かざるもの食うべからず」ということわざがある。
しかし、働けない者は生きる権利はないのだろうか?
逆のことも言える。先祖代々の土地や財産を所有し、不労収入を得ている人はどうなのか? 相続税100%として没収すべきなのか?
いやいや、すべての個人は生きる権利(生存権)がある。
福祉国家の理念として1)完全雇用 2)社会保険 3)公的扶助(=生活保護)の3つがある。
しかし、実際はどうだろうか? まず、この完全雇用が崩壊し、ワーキングプアが存在する。
生活保護については不正受給がクローズアップされたこともある。不正受給は当然、おかしいが、これ自体がBIへの抵抗感にもつながっているように思える。また、捕捉率も20%と他国に比べて、極めて低い。
生活保護に関していえば、現状の5倍の予算が必要ということになるわけで、こうした事情を考えば、BIの方が政治的な実行可能性は高いのではないか、と投げかける。
ごみ収集、図書館利用など社会のシステムの多くは誰でも利用、参加できるものだが、生活保護に関して言えば、選別の仕組みの中にある。そして、多くの人がそれを当然と考えている。しかし、この選別性は特殊と言える、と山森氏は書く。
BIは突拍子もない考えのようにも思えるが、実は200年以上の歴史を持つ。イングランドの思想家トマス・ペインは18世紀末に原型とも言える考え方を披露している。マーティン・ルーサー・キング牧師が1968年に行った「貧者の行進」もBIを訴えたものだ。
ジョン・スチュアート・ミルは「経済学原理」でこう書く。
「生産物の分配の際にはまず第一に、労働のできる人にもできない人にも、ともに一定の最小限度の生活資料だけはこれを割り当てる」。つまり、BIである、と。
BIを唱える経済学者はけっしてマイナーでもなく、右派左派共通の認識だ。例えば、ネオリベを自称するフリードマンも「負の所得税」という形でBI的な考えを提唱しているという。
BIへ懐疑的な人は2つの疑問を持っている。
1)導入されれば、人は働かなくなるのでは?
2)財源はどうするのか?
また、炭鉱労働者、ゴミの運搬人など危険であったり、汚れる仕事は誰もやらないのでは? との問いもあるが、「現状の労働条件ではしないだろう。しかし、それに値する高賃金を支払えば、働く人はい���だろう。また、それが正しく尊敬を払うあり方だ」とブリュッセルのフーリエ主義者ジョゼフ・シャルリエは言う。
不労の可能性についてはミルトン・フリードマンやミードの考えを例に出す。フリードマンらは労働インセンティブを高める必要があると主張していると披露。山森氏は「不労の可能性があるとは一概には言えない」とまとめる。
財源問題については「奇妙なのは、お金がかかるすべての話に財源をどうするのかという質問されるわけではないことである」「財源をどう議論したいのではなく、単に相手を黙らせたいだけであると思わざるを得ない」と手厳しく言った上で、論を展開していく。
財源の問題については定率所得税派、再分配重視派、消費税派、環境重視派などがあるが、この議論とは別に、どんな税制と社会保障の組み合わせが公正か、効率的なのかと議論が進んでいる、という。
最後には日本でどのようにBIが進む可能性があるのかを提言する。
1つ目は生活保護や児童扶養手当の制度改正。困窮者がいるのに、受給者数が増えない現状を問題視すべきではないか、という。
2つ目は年金の税方式化の推進。払い始めから支払いまでタイムラグがあれば、コストも多大。税方式とすれば、高齢者対象のBIになる。
3つ目は児童手当の所得制限の撤廃。(同書は子ども手当以前に書かれている)。
4つ目は所得控除の給付型税額控除化。現在の扶養控除は課税最低限の低所得層には意味がなく、給付型の税額控除に変えるべき、という。これは英米では導入済み。定額給付金でも、ある程度の経済効果があったわけでBIには一層効果があるのでは、と主張する。
つまり、年金が税財源化され、児童手当が普遍化、増額され給付型税額控除が導入されれば、多くの人が部分的なベーシックインカムを手にすることになる。システムを簡略化すれば、コストも人件費もカットできるだろう。
「誰でも生きる権利はある」という基本的な考えは賛同できる。急激なBI導入は危険だが、徐々にBI的な政策を取り込むことは可能であろうし、今後も大いに議論すべきだろう。
投稿元:
レビューを見る
- Basic Connection
- p.020 2011/02/03 22:57
- p.052 完全雇用ではなく自由を
- p.110 2011/02/04 14:53
- p.190 2011/02/04 20:46
- p.236 2011/02/07 14:38
- p.280 堅田香緒里
投稿元:
レビューを見る
経済•政治の知識がない状態で読むのはつらいかもしれない。
ベーシック•インカムについて、軽く知りたい人は終章から読み始めるとよいだろう。
投稿元:
レビューを見る
ベーシック入門とタイトルにあるが、入門として読むにはやや難解な内容であると感じた。ただ現在の硬直化され、機能不全に陥っている社会保障や労働環境を改善するひとつの手段として、ベーシックインカムが持つ魅力やその可能性は十分に感じることが出来た。
またベーシックインカムという考え方が近年になって急に現れてきたものではなく、ずっと昔から提唱されてきたものであること、また社会保障をめぐる世界の様々な動きを知ることが出来、参考になった。
投稿元:
レビューを見る
【読書】ここ数年様々な場面で耳にするベーシックインカム論。財源論等で批判を受けることが多いが、そのルーツの一つに女性運動があったことを知る。いいとこ取りで現行制度に単純な置き換えをすることは難しい思うが、その問題意識を学び、改善点について考える。
投稿元:
レビューを見る
最近はやりのBIを概観することができて良かった。
そもそも社会保障は貧困な者のためになっているのか、という命題がBIを考える上での軸になるのかな。
財政破たんしても駄目、不足しても駄目、不公平でも駄目……
その命題を考える上で、税金が何に対するものなのかという視点は必要だと感じた。
・法人税、所得税=価値を生むことに対する税
・消費税=価値の消費に対する税
じゃあどこに税を課して、どうやって再配分すればいいのか。
再配分の仕方は社会保障も含めて色々と考えられるけど、税の課し方はなかなか思いつかない。
完全雇用が破たんしたら、労働と所得(すなわち生存)の分離が必要になる。
技術革新によって生産性は向上するけれど、その一方で娯楽産業に代表される新しい産業も生まれてきた。
だから、完全雇用はかろうじて保たれてきた。
今までは。
これからは、どうなるんだろう。
もし破たんしたら、再配分の仕方も税の課し方も随分変化するんだろう。
とはいえ破たんしていない現在も、問題は山積している訳で。
その解決策としてBIだったり、負の所得税だったりを少し考えてみましょうってことなんだと思う。
政治家の方、官僚の方が議論するまでにはまだまだ遠いみたいだし、近づく見込みも薄いけれど、視点の切り替えという意味では有効かもしれない。
世の中を、未来を、問題点とその解決策を、見通すことのできる目が欲しい。
そのためには、考え続けなければ。