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共生社会を織りなす民主主義とは、水と油の関係にある暴力的資本主義の中で、自分と全体の関係を客観視する環境を創るには、BIがもってこいのシステムだと教えてくれる。
BIによって社会性に奪われていた選択肢を取り戻し、自分で自分の人生を創ることを可能にできる。
競争社会にすくんでしまった恐怖心に、まずはBIの無条件という平等観を与えることによって、自分を取り戻し対等観にたどり着くための大事な一歩となるだろう。
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ジェンダー思想史などの部分をわかっていないと、かなり読み進めるのが難しいです。労働とはそもそもなんなのかを考えさせられる本でした。例えば、家事をする主婦にはなぜ賃金が払われないことになっているのか。だって、資本主義を敷衍すれば家事にも経済的な価値とか需要とかがあるわけでしょう。だから、家にいる主婦にも賃金を、と主張する人たちがいたっておかしくない。実際に、アフリカでそのような運動をしている主婦たちがいたんです。付け加えるならキング牧師はその団体と関係があった。その運動がひとつのベーシックインカムを主張する形態であった、と筆者は言います。
それは、ホリエモンが主張するところのベーシックインカムと少し違うように思えるかも知れません。ただ、根源は同じだと。
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私には難しすぎる。最後の方はざあっと流し読み。分かったことはBI関係の理論の歴史は相当古いということ、そして千差万別。私も知っているような有名な哲学者や経済学者も各々言及していたのには驚かされる。そもそも人類の社会的生存の基礎に関わるような問題だからなのだろう。外国と違って逆に日本では昔からあまり取り上げられていないようなのはなぜなのか。それでも子ども手当や給付付き税額控除など部分的なBI政策も出てきているのか。将来に向けたBI理論・政策をもっと知りたくなった。私のような一般の人に興味を持ってもらうには入門の入門書が必要だと思った。
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入門というタイトルと新書らしさを考えるとギャップがあるかも。過去の経過を書いてる本ははじめて読んだので為になった。他の本も読んだ方が良さそうという意味では確かに入門?
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著者が出演する番組(http://www.videonews.com/on-demand/591600/002494.php)を観たのをきっかけに手を取った。
ベーシックインカムの定義は「すべての個人が無条件で生活に必要な所得への権利」(p.9)ことである。具体的には、毎月すべての国民が生活するのに必要な一定額のお金を国家から受け取る、ということだ。この本のはじめに出る例としては「医療、教育、介護、保育、住居などにかかるお金はほぼ無料に近い社会…で、仮に毎月1日にすべての成人の銀行口座に国から10万円が振り込まれ、子どもには7万円が振り込まれる」(p.10)と説明している(ちなみにこれはあくまで例である)。
制度としてはこういうものとは知っていたので、だからベーシックインカムというと、なんだかバラマキ政策のようだなという印象しか持っていなかった。そりゃータダでお金をもらえるのはいいけど財源どうするの? とか、金があればいいってもんじゃないだろ! とか。そういう杜撰な認識だった。
しかし本書を読み、その印象はがらりと変わった。まずは「はじめに」から印象的な言葉を引用しよう。
「例えば、私たちが生きている社会は、生きるためには長時間の賃金労働に従事せよと要求する一方で、子どもが熱を出したときに保育園に迎えにいこうとする労働者は要らないということがしばしばある。この場合、社会が私たちに要求しているのは、単に生きるためには賃金労働に従事せよ、ということだけでなく、子どもが欲しければ二人親家庭を築き維持し、フルタイムで働くのはそのうち一人にせよ、ということである(…中略…)つまり、私たちは家族のあり方、働き方について自由に選択できるのではなく、社会が要請する制約のなかに生きている」(p.13)
私たちは「長時間の賃金労働」と「保育園に迎えに行けない」ことは、仕方ないものだと認識するのが一般的だと思う。しかしほんとうにそれは「仕方ない」ことなのか。本書はベーシック・インカムの理念や歴史的経緯、その哲学を追うことで、私たちがもつ社会観・労働観を問い直すような契機を与えてくれる。
「この息苦しい社会のなかで、完全な形でのベーシック・インカムなどすぐには実現しそうもないかもしれないが、それでもこの考え方について議論することに今ここでの解放感があるとすれば、それは将来に起こりうることへの希望だけではなく、この新しい所得保障について語ることが、今は社会から否定されている生き方の肯定につながる部分があるからだろう」(p.14)
政治学者・丸山真男の有名な言葉に「作為の契機の不在」というものがある。私たちが生きる制度とは私たちによって決めた(=作為の契機)変更可能なものにも関わらず、あたかも動かしがたいものとして認識(作為の契機の不在)してしまう事態を指す。その作為の契機を与えるものとして、ベーシック・インカムは重要な概念であろう。
もちろん「概念」にとどまらず、それが実装可能かということは大事なことである。本書の最後には日本における部分的な実装案を挙げている(生活保護や自動扶養手当の利用簡便化、年金の税方式導入、20歳未満人口への平等な子ども手当等)。
しかしそれよりもベーシック・インカムを通して、社会のあり方についての認知が変わってくると思う。その方が根本的に大切なことのように思う。
個人的には、完全雇用を前提とした福祉国家モデル(完全雇用・社会保障・経済成長のサイクル)の機能不全に、ベーシック・インカムを前提とした「エコロジー型ベーシック・インカムモデル」(ベーシックインカム・持続可能経済・労働時間減少)を対置しているのを面白く読んだ。
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本書はベーシックインカム論の歴史・叫ばれるようになった背景にフォーカスが当たっている。
本当に政策として実現させるのであれば、その理念を固める上で重要なのかもしれないが、じゃあどうやって実現するの?という部分に関してはほとんど述べられていない。もっとHowについても語ってほしかった。
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ベーシックインカムってなんか胡散臭いと思っていたけど、本書を読んでそうでもないなと思った。
著者が「衣食足りて礼節を知る」と「働かざるもの食うべからず」の間を行き来してブツブツ呟いているといった趣旨のことをあとがきに書いていたが、まさにベーシックインカムってそんな感じのものかもしれない。
とにかく無条件で全ての人に給付をしようというのが基本的な考え方だそうな。そうするとタダ乗りが出たり働かなくなる奴がいるんじゃないのという疑問が起こるが、家事労働などの「タダ働き」が存在している現実があるし、一定の収入があると給付を受けられなくなる生活保護の仕組みよりずっと良いのだという説明がなされる。確かにそうかもしれない。
どんな制度にも裏をかく奴が出てくるので完璧とはいかないかもしれないが、現行の制度よりも良いのかもしれないと少し思った。
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近年熱を帯びるベーシック・インカム論。本書は入門書としてとても良い。欠点を挙げるとするならば、反対意見に再反論する部分が少ないかなという印象であり、「本当に良いこと尽くめなのか」と読みながら勘繰ってしまう点か。
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昨今の生活保護ブームは高額納税者だけでなく低所得者層や社会的弱者までをも一斉に生活保護バッシングへ駆り立てている。現物支給や労働の強制が公然と主張され、受給者は完全に怠け者の犯罪者扱いである。現代に懲治院を復活させようと言うのであろうか。
こうした状況は論外としても、社会保障を論じる上で避けて通れないのは、特定の人々の救済を図ることが、結果としてそうした人々の生き方を制限することにもなるということである。例えば、生活保護受給者や被扶養者として税制優遇を受けている人々が、対象者から外れてしまうことを恐れて生きた方や働き方を間接的に強制されてしまう場合や、児童扶養手当を受給している人々がまさしくセックススパイによる監視を受けることなどである。
ベーシックインカムの導入は、こうした社会保障の抱えるジレンマにコペルニクス的転回を与える。それぞれの生き方を最大限尊重したうえで、さらに家族の監獄からも解放するのである。社会保障が治安対策の地位にとどまってしまってよいはずはない。現状をこえて、更なる自由を提供してこそ、その本来の機能を果たすことになる。
興味深いのは、ベーシックインカムが労働の価値まで変質させてしまうことである。われわれは労働をあまりに尊重しすぎたのではないか。同時に、あまりに軽視していたのではないか。こういう問いは、仕事を通して多くの人々を傷つけて来たことを、全人類に対して悔い改めるよう要求するのである。必要のない生産関係にしがみつくのはやめて、もっと自分の人生を大切に生きたいと切に願う。
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ベーシックインカムとは、一社会集団を構成するあらゆる人に対して、要件を問わず、一律の所得を個人に給付する制度である。
つまり、賃金労働に従事せずとも、生きていくために必要な金銭を皆がもらえるというのだ。
この文面だけではいかにも夢物語であるように感じられるかもしれない。私自身、そう思っていた。しかし、この本を読んで、私の中の印象は大きく変化した。
このベーシックインカムが担っている役割とは、人をただ生かすことではない。
有り体に言ってしまえば、過剰な労働力を抑制することで不要な生産を改めるという、社会全体の効率化にある。
過剰な労働、不要な生産。現代社会において、この言葉に心当たりのある人は、そう少なくないはずだ。
身近なところでは飲食業界。建設業界。製造業界。いわゆる『人手不足』を訴えている業界は、そのすべての生産が、不要な生産の為に行われている。
そもそも、なぜ不要な生産が行われるのか。それは、生産がもともと何のために行われてきたのかを考えればわかる。かつて、生産とは生活を豊かにするためにあった。
しかし、現代において生産とは、利益を出し、その利益をもってさらなる生産、さらなる利益を重ねるための手段だ。
それが数字の上だけで行われるのであれば、まったくもって問題はない。しかし、生産には労働力が必要である。
現在、ロボットだけであらゆる生産工程を可能としている製造工場なども存在するようだが、基本的には、労働力といえば人間である。
上記にあげた業界の運営において、数字だけが膨れあがっていき、業界は一人、次に二人、四人、八人……と必要とする労働力を鼠算式に増やしていく。しかし、誰もが知っている通り、人間の数は有限なのだ。2014年現在、産業の複雑化、散逸化が進み、さらにそれぞれの業界が多くの労働力を必要とするようになった今、これまでの利益を使ってその営業規模を大きくし、多大な労働力を必要とせざるを得なくなった彼らが行きづまるのは当然である。
少子高齢化もいよいよ重大な問題となり、2014/04/15、総務省発表において、日本の生産年齢人口が八千万を割ったというニュースも流れた。これから労働力は減る一方になっていくだろう。
そこで、移民受け入れという話が出てくる。
現首相である、安倍晋三首相が「受け入れの是非を検討すべき」と意見を述べたことは記憶に新しい。とっさに反発を覚えた人は少なくないだろうし、かく言う私も治安悪化の懸念を覚えた。
話を戻そう。労働力という一面において、移民政策はどうだろうか。日本という一国家が保有する労働力は限界に達してしまった。不足分を、外から持ってこようという。なるほど、いたって単純だが、真っ当な方法だ。
しかし、一歩踏みこんで考えてみると、その歪さがよくわかる。
そもそも日本の労働力が足りなくなったのはなぜか。
「少子高齢化があれほど叫ばれているのだから、それが原因なのだろう。一夫多妻制をとっとと成立させて子供をばんばん作らせろ! 俺は作る気ないけど」と思う人はいるかもしれない。日本の生産��齢人口がピークだったのは1995年であり、それ以降減り続けている。今年に至っては、32年ぶりの八千万人割れ。
ここで論点になるのは『こうなることは、誰にでも予測できたことだった』という点だ。人口と生産年齢人口は政府が公開している情報なのだから、企業だけではなく、経済活動に従事しない一市民でさえも、その好奇心を刺激しておけば知ることができた事実なのだ。
生産年齢人口に数えられるのは15~64歳の人間である。つまり2014年の生産年齢人口は、1999年までの新生児の数を把握していれば、誰にでもわかることだったのだ。わかっていたにも関わらず、その生産規模を調整することなく、多大な労働力を必要とする形態を改めなかったことが大きな問題なのである。
“少子高齢化は労働力不足の決定的要因ではない”。これは疑いようがない。
では彼らは、労働力不足を訴え(あるいは架空の生産目的まで用意して)、移民までをも確保し、なにをしようというのか? 当然、生産である。もっと言ってしまえば、これまでの不要な生産よりもさらに大きな規模の、不要な生産である。
彼ら(業界)は利益を求めてその不要な生産を行うはずなのだが、不要な生産とはすなわち消費を超えた生産であり、利益率の増加が見込めない生産なのである。
ああ、なんということだろう、哀れにも、彼らはその目にドル記号を映しながら、一昼夜を彼ら自身の信仰と共に過ごすのだ。無限の成長という名の信仰と共に! 彼らの正気を保証してくれる方がいるのなら、ぜひ私にご一報いただきたい。私に残るかすかな善意をかき集め、メンタルクリニックまで案内して差し上げよう。
さて。こういった諸問題を抑制し、労働力と生産が正しく運用されたとして、社会的な効率化を行う段階に入ろう。
これこそ、単純な話だ。人間が生きるため、そしてその欲求をもって必要とする労働というものと改めて向きあう、という話なのだ。
女性において、出産・育児、そして家事も、立派な労働になる。
一時期、専業主婦の仕事を年収で換算すれば、などという言葉がどこからともなく流れてきたが、たしかに家事を外注すると考えたとき、そこに賃金は発生するし、労働と考えることは間違いではない。次に出産・育児、言い方は悪いかもしれないが、子供という生産物を労働力にまで仕上げる、という言葉にすれば、この価値を疑う人はいないだろう。次世代の労働力を用意するという労働だ。
男性においては(家事を生業とする男性もいるかもしれないが)、警備や物の運搬、設置などが入るだろうか。インターネット上で自宅警備などと揶揄(自虐)することがあるが、しかし、警備会社との契約を考えてみれば、これも立派な労働だと呼べるはずだ。物の運搬、設置についても語るまでもないだろう。
しかし、こうして例を挙げてみたものの「馬鹿なことを言うな」という声が聞こえてきそうでならない。そんなものは労働でもなんでもない、と。
では逆にお聞きしたい、なぜこれらは労働ではないのか?
おそらく、多くの人が「そこに賃金収入がないから」と答えるのではないだろうかと思う。現代社会において、ボランティアが労働と呼ばれないのも、すなわちそこに金銭が絡まないからだ。
しかし、理由が正しくその一点に限るのであれば、やはりこれらは労働足り得る。
ベーシックインカム、すなわち基本最低所得とは『人の生命活動』、また“個人が不便なく生きるうえで、その人自身が必要とする生産”に支払われる賃金なのだ。
ベーシックインカムは、現代の年金制度や生活保護のような社会保障ではなく、これそのものが独立した所得なのである。
これは、ベーシックインカムを考えるときに、重要なポイントとなる。
万が一、このレビューを見て、この本を読もうと思うような奇特な方がいらっしゃるなら、念頭に置いておくと良いかもしれない。もちろん、奇特でない方にも本はオススメできる。本は。
この本は、ベーシックインカムとはどういったものなのか。基本最低所得として過去の為政者に求められた歴史的背景から、現在に求められる在り方に至るまでを非常にわかりやすく説明してある。
現在、スイスではベーシックインカムが導入され、アメリカや欧州の一部では議論が始まっているらしい。
日本では、議論の俎上にあがるまでにしばらくの歳月を要するかもしれないが、知識として得ておくに越したことはないだろう。
最後に、ベーシックインカムを語るうえで当然出るであろう疑問について、私なりに答えてみようと思う。
Q.具体的な金額は?
A.生活モデルが必要になります。現在の最低賃金のような、胡乱な測りではなく(そもそも最低賃金の地域格差ほど不平等なものはない)、衣食住にそれぞれの金額を設定したうえで導き出さなければいけません。この中で、金額としてももっとも基準にしやすいのが住なので、住に全国一律のモデルを設定したうえで、住:食:衣:他=3:2:2:2程度(住が三万円となったとき、給付額は十万)が望ましいのではないでしょうか。
Q.財源は?
A.某社長曰く「不可能というのは嘘つきの言葉」らしいので、彼を宇宙に放り出して、他惑星から純金を掘り出す仕事をやってもらいましょう。スペース出稼ぎ。働くことがハッピーらしいので無償でやってくれることは間違いありません。
まあそれはさておき。年金や生活保護の調整という考え方もありますが、私的にはスマートではない。生活保護はまあ代替できるから良いとしても、年金に関しては、いきなり返金とするのも具合が悪く、崩すのも当然、社会的な信用という意味で好ましくないでしょう。
雇用保険や児童手当、先にあげた生活保護の解体(在日の受給者については『在日保護』として支給。ただしベーシックインカム以下に設定)。医療負担は難病、その他特殊治療に関しての補助は据え置きで、一般の医療費を五割負担程度に。所得税、法人税&法人住民税アップ、住民税アップ。消費税は20%(可能なら15%)。これでなんとかいけないかな。足りないぶんは相続税&固定資産税、といいたいところですけどこの辺りは調整が難しそうですね。ベーシックインカムはあくまで効率化なので、資産を奪うところまで均すと不公平感がでますからね。とりあえず、あとは経済に詳しい人に任せます。
Q.日本にいるなら誰でも? 在日外国人でも?
A.日本の選挙権を有する人だけ、にすればいいんじゃないかと私は考えています。ベーシックインカムはその性質上、政治に大きな影響をもたらします。なので当然、選挙権を持つ人は、いままでのように政治に対して無知蒙昧でいることを良しとしてはいけません。学んでください、参加してください。私の個人的な考えでは、選挙の投票を完全な義務の労働としてしまっても良いと思うぐらい。つまり、ベーシックインカムの給付をもらうために選挙で投票してくださいね、という。一回二回ならともかく、複数回、正当な理由なく欠席ならベーシックインカム給付の一時停止という措置を行ったり……まあ、「それはベーシックインカムの理念に反する」と言われれば反論のしようがありませんが。あくまでこれは私の希望として、そういう形にしたほうがいいんじゃないかなという程度の考えです。
また、禁固以上の刑に服している場合は、大幅減額で。少年院についても、同様の措置を期間限定で行うと良いでしょう。ちょっと話はズレますが、ベーシックインカムの減額というのが犯罪の抑止力になるかもしれません。子供のしつけにも身が入るでしょうし。
Q.労働意欲がなくなって、最低限必要な生産すら行われなくなるのでは?
A.なくなりません。自分の生活を守るということは、不便を感じないように労働するということです。あなたは、あなたが不便を感じないために、なにかしらの労働を行います。
また、生産が効率化されるということは、必要とされる労働力が限定されるということであり、ベーシックインカム以上の収入を求める人は、例外なく『必要な生産』を行えることになります。それでも労働力が足りないのであれば、移民を使うなり、待遇を見直すなり、それぞれの業界、企業に応じたやり方を取れば良いのではないでしょうか。
Q.個人単位にした場合、監禁や拉致などの犯罪に悪用される危険があるのでは?
A.一月毎に、本人でないと手続きできないような仕組みを作る必要があります。これは犯罪に限らず、身元保証のためにもあったほうが良いでしょう。不慮の事故もありますし。
Q.子供にも渡すの? 「お年玉はママがあずかっとくね(パチンコ屋直行)」みたいなことになるのでは?
A.これは非常に難しい問題。実際、子供の判断能力が乏しい以上、親が子供の金を管理したほうが良い状況というのは少なからず存在するので、一概にどうすれば良いとは言えない。十五歳以上の子供に対しては、本人が手続きを行うようにするということで良いかもしれません。
Q.ぶっちゃけ、実現可能だと思う?
A.ネコ型ロボットに任せましょう。
以上。
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ベーシックインカムについて、文字通り入門書ともいうべき一冊。
日本では生活保護の延長みたいに捕らえられてますが、海外では200年以上も前から議論の対象になってるといことを知りました。
キング牧師が銃殺される前に最後に取り組んでいたのはベーシックインカム運動だったそうです。
また、フェミニスト運動や障碍者差別撤廃運動などとも連動してきたようです。
また、書籍に書いてあったことはその歴史と背景に留まらず、建設的意見もあり、勉強になりました。
プロテスタント的価値観の延長線上である労働自体が、今後高度情報化社会の中で不要になることが増えるはずなので、その分をベーシックインカムの原資に回せば良いと考えます。
そして、月20万円の雇用のために30万円費やしたり、20万円稼ぐ主婦が10万円の家政婦を雇うみたいな社会の無駄をなくして(あくまで一例なのでざっくり言ってます)、その分をベーシックインカムで払った方が、社会にとって効率的です。
就業意欲が失われるという話もあるけど、子供を私立に入れたり、毎年海外旅行に行きたい人は働くかと。
あるいは、著書に書いてあるように3K仕事にはその分手当てを就けるみたいな方法はあるはずです。
今だって原発関連には手当てをつけてるわけで。
年金問題などでもすぐに原資が無いという話になりますが、防衛費同様本当に必要なものなら捻出するものだという著者の意見にも同意です。
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ベーシックインカムの内容、歴史的な流れや、そこに流れる思想などの概論が示されている。入門書としては、基本的内容を網羅しているが、その内実を具体的にイメージすることが難しく、釈然としないものが残った。しかし、本書を通じて、「働くとはどういう事なのか」、「生活費を保障してそれですべての問題が解決するのか」、「どこから何処までをベーシックインカムの範疇に含むのか」といった議論をすることができたのではないかと思われる。今後、各人がその興味の中で学びを深めてゆくきっかけとして、意味のある一冊と思われる。
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ベーシックインカムの思想的背景まで丁寧に書かれており、入門書としてもちろんのこと、資本主義の考え方にまで言及してあります。
思想的な背景は難しいところもありますが、ベーシックインカムの考え方には歴史があることが分かります。
生活保護の問題にも切り込んでいます。
濫給ばかりが話題にされますが、より深刻なのは漏給の方であることがよく分かりました。
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ベーシック・インカムにまつわるさまざまな疑問について、ていねいに答えている本です。
もう少し政治哲学よりの内容を期待していたのですが、ベーシック・インカムと福祉運動やフェミニズム、労働運動などの関係について説明した歴史的な叙述や、その実現可能性についての経済的・社会的な検討など、多様な観点から分かりやすく解説がなされています。ただそのぶん、一つひとつの論点についてもうちょっと説明がほしいという気にもさせられてしまいますが、ベーシック・インカムをめぐってどのような議論がなされているのかということを広く概観するためには有益な本だと思います。
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意外と高評価が多くて驚く。エッセイとしてよむならいいが、これを学術的な観点から読むならお粗末な一冊。
ベーシックインカムによってなにもかもが解決するかのような書きっぷり。リバタリアニズム的発想は全て無視。都合のいい部分だけを抽出し、そのほかの批判に対しては「ここでは立ち入らない」。
ベーシックインカムに対する批判意見をくみ取るのではなくすべてかわしていくスタイルはまるで官僚の答弁のようだ。あるいみ芸術。
はっきりいってベーシックインカムはリベラリズムの側からみても保守主義者からみても到底受け入れないものであり、これらのイデオロギーとの対話が必要。対話する気がないなら本を書くな。
評価する点は社会運動的な側面をくみ取っていること。しかし、なぜラッセルの主張やミルの主張、こうしたフェミニズム運動の視点が現在の議論から抜け落ちているかというと、「関係ないから」。ちょっと「社会配当」的な文章があるとすべて「これはベーシックインカムのことをさす」と都合よく解釈しているのには笑った。
久しぶりに図書館で面白い本を見つけたと思った。