投稿元:
レビューを見る
新谷氏の死生観、葬式の日本史
ホモサピエンスの増殖
大量殺戮による種の保存という仮説
死の発見は宗教の誕生を意味する
神前結婚式は日本の伝統ではない、高度氏長期の庶民の憧れが実現したもの、レストランウエディングは宴会だけの農村の結婚式と同じ
葬儀の大変化 自宅での死亡から病院での死亡への転換点は、1976年、高度せ長期の後半期
「千の風」ブーム 「供養」から「記憶と交流」へと重点のおき方の変化
自分の死 70才以前 救急車で病院へ
75歳以降 自宅で静かに死
軍神 広瀬中佐 軍神の創造
投稿元:
レビューを見る
1 死と葬儀の歴史と民俗
2 慰霊と軍神
内容は大きく二つ。1は講演から。
個人的には1が特に面白かった。
投稿元:
レビューを見る
文章全体がとてもわかりやすい文章で書かれている。
元になったものが、民俗学を知らない人向けに話した講演になっめいるからかもしれない。
後半で軍神について解説されていたのは読み始めの時は「なぜ…?」と思っていたけど、当時の特定の人による人為的な信仰の作られ方と、そういうものは脆くすぐに変容してしまうことに気付かされる。
また、古来の神社信仰と、明治政府の神仏毀釈から太平洋戦争終結までにでてきたものとはやはり分けて考えるべきである。(神社庁管轄下の神社は天皇は現人神だと説くようなところだ、と思うのは歴史を正確に理解できていないからだと思われる)
また、神道と仏教を全く別の宗教と考えることもやはり間違っている。(自分は子供の頃、教師から「日本人は信仰心が薄いから七五三で神社へ行き、クリスマスを祝い、葬式は仏教でだす」などと嘆くような言い方をしていたが、日本の仏教は他の仏教国とちがい古来の信仰と習合しあいながら発展しているからこれも正確ではないと思った)
本書では、例えば真言宗では弁財天との結びつきが強く、祀られていることなど。
それと話はそれてしまうが、ここで生きて帰れない攻撃に出撃する兵士について、新聞報道では、「行って参りますとは言わずゆきますと言った」ことを紹介しているが、このときは行って来ますが、行くと来る、行ってまた戻ってくるという言葉であることが意識されていたのだなぁと感じた。
葬式や死に臨む本人や家族の価値観の編成については興味深く読んだ。
現在はピンピンコロリなど、いかに苦痛を伴わずに死ぬかに重点が置かれているが、かつては魂のゆくえ、死後の魂はどこへ行くのがであったと。
そこで仏教が魂が安らかになれるように教えを説いていたと。
この魂の考え(意識するかどうか)は葬送習俗にも当てはまり、魂の観念が忘れられてしまった結果、習俗のみが残り形骸化したまま習俗そのものも変化してしまうことはこの手の本でよく見る。
喪服はかつて白=死装束と同じで世間から隔離する目印にしていた。
そのような変遷を辿って来ても、ヒトというのは霊魂を意識する生き物で、だから人が死んだ後にはその人を見たとかいう話が聞かれるし、幽霊話はいまも絶えない。