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少年少女向きだが、明治から昭和の著名な作家の短編を手っ取り早く読めるので。それに、解説が詳しい。図も親切。まさに国語の教科書です。
そのシリーズの中でもこの本を選んだのは、林芙美子さんの短編が入っているから。川端康成さんのも読んだけれど、今回は林芙美子さんの作品についてのレビューだけ。
『風琴と魚の町』
父は風琴を鳴らすことが上手であった。
私は、冒頭のこの一文だけで、もう心を掴まれてしまった。〈風琴〉なんて詩的な言葉なのだろう!林芙美子さんの作った言葉ではないけれど。ところで〈風琴〉って何? 流石この本には、ちゃんと挿絵がついてます。アコーディオンのことです。
林芙美子さんの幼年時代のことを元に書かれているようです。お父さんは行商人で、軍服姿で風琴を鳴らしながら薬の効き目を面白く語り、薬を売り歩いていたそうです。そして、あちらの町、こちらの町へと汽車で旅をしていたそうです。
蜿蜒とした汀を汽車は這っている。動かない海と、屹立した雲の景色は十四才の私の眼に壁のように照り輝いていた。その春の海を囲んで、たくさん、日の丸の旗を掲げた町があった。………
「この町は、祭りでもあるらしい、降りてみんかやのう」………
「ほんとに、綺麗な町じゃ、まだ陽が高いけに、降りて弁当の代でも稼ぎまっせ」
で、私達三人は、各々の荷物を肩に背負って、日の丸の旗のヒラヒラした海辺の町へ降りた。
そうして、気の向くまま、まさこ(主人公の名)の一家は、尾道の町に降りたのです。お父さんが早速、風琴を鳴らしながら、坂になった町のほうへ上がっていく間、まさこは辛子蓮根の天ぷらを一つ買ってもらって、お母さんと分け合って食べました。章魚(たこ)の足の天ぷらも食べたいと言うと、貧乏だから買えないと、お母さんにビンタされてしまいます。
それでも、一日目の商売は上手く行って、三人でうどんを食べに行きます。自分のうどんにだけ、油揚げが入っていることに気づき、その一片をお父さんの丼の中に入れてあげます。
夜、旅館の布団に入ってから、両親がまさこのことを
「背丈が伸びる頃ちゅうて、あぎゃん食いたかものじゃろうかなァ」
「早う、きまって飯が食えるようにならな、何か、よか仕事はなかじゃろうか。」
「あれも、本ばよう読みよるで、どこか決まったりゃ、学校さ上げてやりたか」
と話しているのを聞き、こっそりと布団の中で涙を流します。
因みに、わたしも一人っ子。両親は自営業だった。こんなに貧しくはなかったけれど、苦労していた両親の背中を見ていたし、家族三人肩を寄せ合って暮らしていた感があったので、まさこ一家の様子は沁みます。
商売が割と上手く行き、両親は尾道にしばらく居つくことを決め、お父さんはまさこを学校に連れていきます。
学校では校庭に綺麗な花が沢山咲いていて、それを見るのは嬉しかったけれど、行商人の子だと言って苛められるので、次第に学校へ行くふりをしてさぼるようになります。
一方、お父さんのほうは、次第に商売が上手くいかなくなり���次に始めた化粧水の商売のほうは最初上手く行ったが、商品がインチキだと分かり(仕入れ元が悪いのだが)、警察に捕まってしまいます。
子供が親のそんな姿を見るのは堪らなく切ないです。
『泣虫小僧』
主人公、啓吉の父は亡くなり、母親が新しい男の人と会うたびに、啓吉は母の妹達の家へ預けられます。母も貧乏ですが、妹達も売れない作家や売れない画家と結婚しているため、みんな貧乏で、預けられるたびに、四人の叔母の家をたらい回しにされます。それでも、お母さんが好きなのに、ある日とうとう、お母さんは、啓吉の学校に来て「これから、お母さんは礼子(妹)と九州に行かなければならないから、あなたは暫く伯母さんの所に行ってなさい」と行って、叔母への手紙を持たせて、啓吉を置き去りにして、妹だけを連れて、新しい男の所へ行ってしまいます。
なんて切ないんだ!これを少年少女向きの本に載せるか?
しかし、大人というより男と女であるという現実から目を逸らさず、そしてそのことをはっきり理解して、それでも母を愛している少年の姿をくっきり描いている。そして、少年が聞いていることも憚らず、「こんな子預けて、姉さんは勝手よ。」という叔母の言葉や「あんたなんか、本当にお父さんのお墓の中へでも行ってしまうといいんだよ」という、虐待とも言える母の言葉をズケズケ書いている。それが虐待だ、問題だという今の繊細な正しい世の中の本より、林芙美子さんの書くものは人間のドロドロした生き方をありのまま書くことによって、切なさとか、そのドロドロの下にある、本人も気づかない愛情とかを感じさせられる。
私には林芙美子さんの文章が感性に響くらしく、いつも心を掴まれる。