投稿元:
レビューを見る
かっこいい。
学術的な事柄から、日本の基礎体力の低下についての憂慮、後輩へのアドバイス、果ては「馬鹿」という言葉の意味まで、様々なことが書かれていて、それらが佐藤優という一人の人間を浮かび上がらせる。
佐藤さんはビジュアル的には無頓着なイメージなのだが、彼の眼光の鋭さには非常に憧れる。彼の生き様を背中ではなく目で語られているようだ。
投稿元:
レビューを見る
7年ぶりの再読は、文庫版で行った。これは、単なる獄中の日記では無い。この分厚い本の中で、外務省の後輩、同志社大神学部時代の友人、弁護団に宛てたメッセージだけを抜粋して読み進めてもよい。それだけで、良質な「思想書」として吸収出来る。特に、プロテスタント神学を志す人への入門の書としても最適。
投稿元:
レビューを見る
筆者(私)は、この本の著者(佐藤)があまり好きではない。というのは、①自分の価値観を他人に押し付け、②自分が有している知識をひけらかし、③それを自分独自の考えに発展させず、④他人(読者)にわかりやすく伝える努力を放棄しているからだ。
換言すれば「俺ってこんなに物事知ってるの。すごいでしょ!俺の考えじゃないけど、○○って偉い人が~って言ってるよ。」というスタイル。佐藤の自己満足(マスターベーション)的な匂いが、私にとって鼻につくのである。
そんな佐藤に批判的な私だが、「佐藤の本の中では得るところが多い」という意味と語学に対する参考文献の多さで★4つとさせて貰った。
私がこの本を手に取った理由は、佐藤が獄中でドイツ語をはじめとする語学を勉強していた、ということを知ったからに過ぎない。私の目下の興味は語学なので、その観点からこの本を読んだ。
読めばわかると思うが、この徹頭徹尾、彼のマスターベーションが続く。彼の神学論争やヘーゲル哲学の解釈がずっと続くが、別に理解できなくても飛ばし読みで構わないと思う。佐藤は自分が解釈した神学やヘーゲル哲学を発展させて、読者に「わかりやすく」伝えようとする努力は一切しない。彼は「インテリの世界で一定の発言力を確保したいと考え」一定の発言力を持つために「理解される文章を綴る」べきと考えている。他者に全く理解されない文章は「インクのしみ」にすぎない(p.442)と述べているが彼の著作は到底「理解される文章」だと思わないしこの彼の発言と矛盾するのではないかと考えている。ここで注意したいのは、佐藤は一般人向けではなく「インテリの世界」のみを対象として文章を書いている注意されたい。
哲学・神学を基礎とした彼独特の政治思想・政治哲学に興味を持つ人が多いのか、彼の巷間での評価は高いみたいだが、私はほとんど評価していない。一例を挙げると、この本の中で「(自分は)国益のために働いてきた」という記載が多くみられるが、その「国益」の定義を一度もしないまま議論が進んでいく。彼の考える「国益」と読者が考える「国益」が相違する可能性があるのに、佐藤と読者の国益が同一だという前提があるのではないでしょうか。
いろいろ思うところはあるんだけど、気づいたことや、印象深い記述を備忘録的に以下紹介することで、この本の感想としたい。
○「私は知識人というのは(中略)、事故の置かれた状況をできるだけ突き放してみることのできる人間だと考えています。この訓練が一般教養であり哲学なのだと思います。」(p.172)(←追記3を参照されたい)
○「語学などというのは、覚えなければならないのは二つのことだけだ。文法と単語だ。」(p.180)
○「仕事への適性というのは3-5年で明らかになり、10年くらいの経験を積んだところで一応その道で専門家として食べていくことができるかどうかが明らかになります。さらに5年くらい経ったところで、専門家の世界でどれくらいのところのに行けるかも見えてきます。」(p.229)
○「私が日本の政治家、外交官に対して何を物足りなく感じているかがわかってきました。自らの発した言葉に対して責任を負わない人が多すぎ���のです。」(p.289)(←外務省にいたならこんなこともっと早く気づくべきだろう。佐藤の愚鈍さが表れている。)
○「知らず知らずのうちに恐怖政治を行うのがカルバン・タイプである」(p.362)(←カルヴァンについての言及が短絡過ぎる。なぜカルビニズムが恐怖政治を産むのか?)
○「小泉が自民党総裁に再選され、日本んはあと三年間ハイエク型新自由主義モデルを追及することになる。持続的経済成長がハイエク型新自由主義モデルデ国民全体が裨益するための大前提であるのだが、この大前提が満たされなければ、今後三年で日本社会内の貧富の差がかつてなく拡大する。これが総体として「がんばって勝ち組に入るぞ」という人の数を増やし、日本全体の活力を増すのか、それとも「競争、競争と追われてもなかなか勝ち組には入れないので、どうせ食べていけないほどの貧困はないのだからそこそこ生きていければよい、むしろ自分の時間を大切にしたい」という人々の数を増やし、日本の活力が低下するのか(中略)、僕は後者の可能性が高いと思う。」(p.425)(←経済は佐藤の専門外が故に非常に的確かつ客観的に分析できている。経済分析を行う佐藤は大変思慮深く、僕は評価する。)
○「人間の平均化は危険だ。それを打破するためにはきちんとした学識・教養を身に着け、自分の頭で考える習慣をつけるしかない。」(p.439)(←「自分の頭で考える」ことが不足気味なので身につまされた)
追記1:筆者は外交といえば米国一辺倒といういう政治姿勢に甚だ疑問を持っている。冷戦の影響もあり、露西亜およ露語(露西亜文化)への理解不足が日本では顕著であるが、米国とならぶ大国である露西亜の関係を新たにするべきではないかと考えており、その意味で付録でついている露西亜との北方領土に関する経緯を記した文書は秀逸である。大変わかりやすい。
追記2:獄中への洋書の持ち込みは禁止とのことである。もし僕が何かの理由で投獄された場合には、洋書を読んで勉強しようと思っていたのに、その野望(?)が達成できないことを知って落胆した。佐藤は獄中で、ドイツ語・ラテン語を中心に勉強していたようである。
追記3:この本はないが、別の彼の本で教養を身につけるための外国語は仏・独・英語(中国語などは本来実務言語であり、教養課程の勉強につながらないので、単位を出すべきでないとも語っている。)で最低2か国語、できれば3か国語を(大学で)習得すべきで、加えてラテン語・ギリシャ語も習得することが望ましいと主張している。個人的には英語以外の外国語を知ることは多様な価値観を身につけることにつながるので望ましいと考えるが、単位云々の話とは別次元の話ではいかと考える。
投稿元:
レビューを見る
拘置所生活、国策捜査、外交官の世界、哲学、インテリジェンス。あらゆる事が詰まった一冊であり、佐藤優の執筆生活の原点が読み取れる。文中、何度も拘置所生活を続けても良いとの発言があるが、果たして人はこれ程までに強くなれるのだろうか。運動箱の監視の目。自らを動物園の熊と例える無力感。著者は、悪環境を前向きに捉え、自らの思想、知識を鍛える場と昇華した。うまくいかない時、この人の存在は、少なくとも自分にとっては大きな心の拠り所となるだろう。
投稿元:
レビューを見る
鈴木宗男氏に対する国策捜査に巻き込まれ、実刑判決を喰らった元外交官であり、現在は執筆・評論業に忙しい佐藤優氏が、収監中に書き溜めていた大量のメモや手紙を1冊の本にまとめたもの。逮捕されるまでは対ソ連・対ロシアの外交官であり、モスクワ在任期間が長かったこともあり、ロシアや東欧に関する政治・文化的背景の洞察がとても鋭い。近世以降のヨーロッパの政治史・哲学史・宗教史に対する造詣が深く、このような豊かな教養に裏付けられた現代ロシア論には迫力がある。
本書が執筆されたのは2000年代前半であるが、執筆内容の多くは、現在のロシア情勢にも十分に通用する。たとえば本書を読めば、ウクライナ情勢を受けてロシアが中国に急接近する素振りを見せたとしても、99%はブラフであろうということが容易に想像できるようになる。
神学を高いレベルで究めた著者が、牢獄において自己を律し、頽廃も絶望もすることもなく、論理的かつ客観的に自己の置かれた状況を分析し、検察と正面から闘い続けた精神力には、ただただ脱帽するばかりである。
投稿元:
レビューを見る
強靭的な精神力の持ち主。どんな状況においても自身の考えを曲げずしっかりと持ち続けていることがすごいと思った。
投稿元:
レビューを見る
『基礎体力さえできていれば、人間の能力は与えられた器に合わせてできる。これがポストが人を作るということ。組織には、組織が必要とする水準に個人の能力を引き出す本性がある』
獄中記というのは堀江さんの本もそうだけど、大体興味深く読めます。
この本は知の怪物、佐藤さんが服役していた時の日記です。
怪物に有り余る思索の時間を与えるとどんな思考を生み出すのか?
そんな意味でも興味深く読めた一冊です。
投稿元:
レビューを見る
塀のなかにいることを
ある種楽しんでるよーな?
もしくは
せっかくの機会だから活かそうとしているのか?
どちらにせよ
一般人からすると奇人変人の類い
知の巨人という渾名も分からんでもないです。
投稿元:
レビューを見る
鈴木宗男氏の事件で勾留された筆者の、猛烈な思索の記録。プロテスタントとして神学を軸にしながら、ヘーゲルやハーバーマスとの対話を通じて事件の整理を試みる。
筆者(と鈴木氏)は、一連の「汚職事件」を国策捜査であるとし、鈴木外交の国策としての正統性をかけて裁判に臨む。それと並行して、この事態の分析を進めてゆく。その分析の原動力が、獄中での圧倒的な読書。
筆者は、元官僚、外交官として、国策捜査の必要性を認めている。しかしながら、小泉政権の判断は間違っていると明言している。反対に政権から見れば、革命的に物事を断行するのに、鈴木氏の存在、思想ははなはだ都合が悪かったということなのかもしれない。
そこで、鈴木氏らを「悪者」とし、断罪することで、時代を新たな方向へ進めることを可能にした。国民もそれに賛同した。
しかし、「新たな方向」が、望ましい方向とは限らない。すべては、歴史が明らかにするだろう、と筆者は見る。
さてさて、どうなることやら。
投稿元:
レビューを見る
真実がどこにあるのかはわからない。
わからないが、512日間の強烈な精神力がここに描いてあった。
真似などできるものではない。
[more]
(目次)
第1章 塀の中に落ちて―二〇〇二年五月二〇日(七日目)から七月二八日(七六日目)まで
第2章 公判開始―七月二九日(七七日目)から九月二七日(一三七日目)まで
第3章 獄舎から見た国家―九月二八日(一三八日目)から一二月三一日(二三二日目)まで
第4章 塀の中の日常―二〇〇三年一月一日(二三三日目)から六月一五日(三九八日目)まで
第5章 神と人間をめぐる思索―六月一八日(四〇一日目)から八月二八日(四七二日目)まで
第6章 出獄まで―八月二九日(四七三日目)から一〇月九日(出獄後一日目)まで
付録
投稿元:
レビューを見る
著者は、逮捕前は国益に殉ずるため多忙を極めていた外務官僚だった。一転、時間の流れ方がまるで違う拘置所の中で、自己の思想の歴史を紡ぎ直し、さらに研鑽すべき知的課題を煮詰めていく。
著者の提示する哲学的、政治学的?課題は、正直に言ってよくわからない。とはいえ、実践的な知性は、歴史の知識および理解と高い使命感を欠いていてはありえない、というのが著者の考えではないだろうか。
投稿元:
レビューを見る
獄中生活と入院生活は、少し似てると思った。ほんの少しだけど。
・いつ出るか自分で決められない
・食生活が普段より健康的
・読書くらいしかすること(できること)がない
投稿元:
レビューを見る
佐藤勝の本を読むと「がつがつしたビジネスマン」気分で、刻苦精励し知的能力の向上に勤しみたくなる。受験生活を放棄しやがて奔放に近い一人暮らしを始めた高校三年生のころには、手にすら取らなかった参考書を、大人になってから数十冊くらい買った。特に歴史系。あと、読解技術や作文技術の向上を目的とした参考書など。
新宿紀伊国屋で、対談本にあたる『平成史』の刊行記念として、対談者と佐藤を招聘したトークショーがあった。これは参加したかった。結局いってないが。
『15の夏』は、冷静な宰相の頭に蓄えられた芳醇な青春のエキスがにおいたつような、良質の紀行文学として読んでみたい一冊。
投稿元:
レビューを見る
ハイエク
ハーバーマス
監獄の誕生
ローレンツ『ソロモンの指輪 動物行動学入門』ー刷り込み
旧約聖書
沈黙
太平記
灰色のユーモア
など、言及されている本も読みたくなる。
投稿元:
レビューを見る
佐藤氏の思考の断片がのぞき見られる書籍を
紹介しておくと、
【今日のお勧め本 功利主義者の読書術】
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4104752045/2ndstagejp-22/ref=nosim
【今日のお勧め本 獄中記】
http://amazon.co.jp/o/ASIN/400603184X/2ndstagejp-22/ref=nosim
などの本を挙げておきたいと思います。
■上記のうちの「獄中記」は著者の徹底した思考遍歴を
辿れます。
(こういう生活も悪くない、なんてうっかり
考えてしまいました(汗))
その思索の一部が「功利主義者の読書術」に披瀝されています。
■「獄中記」は分厚く、背景理解がないと読みにくいかも
しれませんが、Amazonのレビューにある、
-------------------------------------------------------------------
多様な読み方ができるテキストはすごく重要──そう著者はいうが、
この『獄中記』はまさにその典型。
僕はこれをもっぱら「勉強法」のお手本として熟読した。
凡百の"how to"ものよりも、はるかに切実な、著者自身の猛勉強の
実践報告だ。なにしろ気合の入れ方が違う。
獄中での毎日の時間を最大限活用し、1冊1冊の本を1行もおろそかに
せず、なんとか自分の肉にしようとする姿勢は、ものすごく刺激的だ。
たとえば、学術書は3回読む。再読のときは抜粋を作り、内容を
再構成した読書ノートも作る。3回目には理解不十分な箇所をチェック。
この読み方だと、10年経っても内容を忘れないという。
(ちなみに著者の記憶力のよさは折紙つき)