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私の大好きな「おさん」収録。
「ヴィヨンの妻」にしろ「おさん」にしろ、男の薄っぺらいロマンチシズムをぶっ壊してくれるよな!
ホロリとしそうな場面やのに、女性の冷静なこと冷静なこと。
08.07.01
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太宰の小説は、なんとなくどこかしら自己批判がこめられているような印象があります。その皮肉な感じがすごく好きだけど。
この短編集は特にその色が強いように思いました。自分のエゴに対する批判と「妻」や「家庭」への憧憬と皮肉。
「トカトントン」が特に面白かったな。ユニークで突飛な発想だけど、なんとなく分かるな、その音。
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ちくしょう「ヴィヨンの妻」よかった… 追記:映画化したときの日記より 煽り文「なぜ彼女の生き方はそうまで美しいのか?」っておかしかろ?美化するんじゃあないよ
ヴィヨンの妻ってヴィヨンがなんだったかも忘れたけど
あれはしょうもない話なんだぜ…「アイスクリームの用に溶けてしまいたい」ってきりきり舞いながら給仕しながら自分の窮境にすら酔える女なんだぜ…もう死んでもいいって投げやりになったあとに事は無事済んでしまいまた明日から昇り飽きたような階段を一歩一歩昇ってゆくわけまた?みたいな、どーしようもない
そんでも懲りない あまえた作品です。大好きなんです。
マイC(コメディアン)も私大好きですがそれと並ぶくらい好きなのだヴィヨンの妻のそのシーン。ぜひ感動系にはしてくれるな。その給仕シーンは市川昆映画みたいなストロボ?とか使ってさー
ダメ男を優しく抱きとめるからいい女ではないそれはダメ女だどうみても
まあ予告みた偏見のみの話ですが、どこにも「いい女」だなんて書いてはなかったんですが…ごめんなさい。
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『親友交歓』、『トカトントン』、『ヴィヨンの妻』が気に入った。
新潮の文豪ナビを見たら『トカトントン』は太宰の手始めに良し
と書いてあったような。
幸せとか不幸せとか、一体なんなんだろうと思ってしまう。
自分と社会を切り離し、本当に己の価値観にのみ従って
生きてる人なんてこの時代は本当に少ない。
社会と切り離して考えるってのは、
一般的に体験できないような苦悩に溢れているってことか。
そうでもないと、切り離せないだろうよ。
太宰晩年の短編集。
「仕事なんてものは、なんでもないんです。
傑作も駄作もありやしません。人がいいと言えば、よくなるし、
悪いと言えば、悪くなるんです。
ちょうど吐くいきと、引くいきみたいなものなんです。
おそろしいのはね、この世の中の、どこかに神がいる、という事なんです。
いるんでしょうね?」(『ヴィヨンの妻』)
「自分の妻に対する気持一つ変える事が出来ず、
革命の十字架もすさまじいと、三人の子供を連れて、夫の死骸を
引取りに諏訪へ行く汽車の中で、悲しみと怒りとかいう思いよりも、
呆れかえった馬鹿々々しさに身悶えしました。」(『おさん』)
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8つの短編集。特に好きなのは・・・
○ヴィヨンの妻
家族がテーマの小説。
酒ばかり飲んでいて飲んで中々家庭に帰らない父親とそれに悩む母と子の話。母親からの父親への批判が書かれている。太宰の過程に安住できない不安感が伝わってきた。晩年は『死』、『過程』に悩み続けていたことが感じられた。家庭のエゴイズムねぇー。おれは家庭のエゴイズムも嫌いじゃないけど。
○トカトントン
太宰を思わせる作家のところにトカトントンという音に悩まされる郵便局に勤める青年から手紙が来る。青年は何かに夢中になれそうなとき、真剣に何かに取り組んでいるとき、何かに心から感動したとき、どこからともなくトカトントン。その刹那、すべては色褪せ、くだらなく思えてしまう。大体の人がこんな経験あるのでは。こんな感情を文章に起こせるのは天才のなせるわざ。
○親友交歓
皮肉に満ちていておもしろい。
「威張るな!」
っていう最後の一行に衝撃。
○桜桃
『子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親の方が弱いのだ。少なくとも私の家庭に於いては、そうである。』子供よりも、その親のほうが弱いのだ。」
この冒頭のフレーズに少し考えてしまった。桜桃とはさくらんぼのことである。桜の木とその果実であるさくらんぼは、生産者にとっては、子供よりも親が大切である。なぜなら親がいなければ子も生まれてこない。しかし消費、つまり食べる場面ではこの関係は逆転する。さくらんぼをみて桜の木を思う人なんていない気がする。
親って何なのだろう。
全体的に難しくて深くは理解できなかった笑 なんとなくだがすぐに読めてしまった^^
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昭和初頭に生きる人々の息づかいが聞こえてくるような、一人称短編小説集です。
特に、原稿料を家にも入れず遊びまわる詩人の夫に対する妻の複雑な心情と、彼女の淡々とした独白で綴る表題作「ヴィヨンの妻」と、何かを始めようとすると突然頭の中で聞こえるトカトントンという音によって、物事に対する執着心をなくしてしまう男の苦悩を、彼が出した作家(太宰治)への手紙として描いている「トカトントン」は、秀逸でした。
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最近ばなな三昧だったので久々に太宰を読んだ。
どの短編に出てくる男も、その頃の太宰自身を書いてるっていうのが色濃く出てる。
女遊び・飲み歩き・散財という絵に描いたような家庭崩壊男の自責からくる苦悩。
巻末の解説にあるように、太宰には倫理観があったからこそ罪悪感に苦しんだんですね。もっと太宰作品読んでみたい!と思うきっかけになった。
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生誕100周年ということで、本屋にコーナーが出ていたので久しぶりに太宰を読みました。
晩年の作者の心情が表れているのでしょうか。
面白かった。
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自分の人生が終了したと感じてしまって仕方がない、そんな時に読みたい本です。2回通読しました。内容は決して読みやすいものではないですが、薄いので楽に読み終えることができます。
絶望的に暗い時には、それこそ鬱病の人がモーツァルトを聴きたがらないのと同じように、明るい本など読みたくないものです。暗い時には暗い本や音楽などを鑑賞して絶望感に浸る。そうすることで精神がかえって安定することがあるそうです。
太宰は基本的に家族を省みず自分のお金は自分で使ってしまうと言うダメ人間ですが、自らの手で自らを駄目な境遇に陥れてしまうと言うその人間性には妙に親近感を覚えるものがあります。
お薦めは「おさん」。これは読みやすく比較的わかりやすいです。この短編集に限らず多くの短編において、主人公は太宰を模しています。そうして、家族を省みず他に女を作って最後には自殺に至る(そこまで書かれていないことも多いですが)過程が描かれています。
この短編集のほかの短編集に含まれている小説にもそのパターンは当てはまり、悪く言えば暗くてワンパターンなのかもしれませんが(それゆえ太宰を嫌いと言う人も多いのだと思います)、絶望的でいてどこか人を引き込むその描写には、やはり惹かれるものがあると思えるのです。
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太宰のぎりぎりの部分がストレートに現れている小品集。崩れそうになっている太宰はこういった作品を書くことで何を表現したかったのか。結局、客観的には破滅的で自堕落だった自分を一生懸命だったという表現で残して正当化、粉飾したかっただけかもしれない。
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『人間失格』から太宰に入ったクチ。
当然こう…苦手意識が^q^
でもこれは好き。『親友交歓』おもしろい。
ただ、『桜桃』はもはや救いようがない。
強すぎる負のオーラに圧倒される。
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平凡な物語が、太宰の手にかかると何らかの意味、特に皮肉を帯びてくる、そんな感じにさせる短編集だと思う。全編を通じて思うのは、生きるということは、生活は、苦しく大変なものなんだよなぁということ。
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平田に苛々。夫に苛々。
読み終えたものの、時代背景があまり分からないので深く理解できてない感がします。
でも太宰さんの書く女の人視点の文章は素敵。
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このひとの文章はいつも若さを感じる
フレッシュとかそういうんではなく、身近さというか、なんというか
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『親友交歓』『トカトントン』『父』『母』『ヴィヨンの妻』『おさん』『家庭の幸福』『桜桃』収録。
『親友交歓』は、好いところが一つもみじんもない「親友」が突然家へ酒を飲みに来る話。
『トカトントン』は、玉音放送の直後に「トカトントン」という幽かな金槌の音を聞いた男の話。敗戦後、男が何か物事に感激し奮い立とうとする度に、どこからともなくその「トカトントン」が幽かに聞こえて来て、途端にきょろりと白々しく馬鹿らしい気持ちになってしまう。深く信じて命をかけてきたものが一瞬で崩壊してしまったら、こんな虚無感に襲われるのかな。
『父』は、地獄だ、地獄だと思いながら、毎晩子わかれの場を演じて酒を飲み続ける男の話。意地になって地獄にはまり込まなければならない男の義とは、男の哀しい弱さか。
『母』は、疎開生活中に、復員の青年の実家である日本海に面した港町の旅館に一泊した話。少年らしいほど若い帰還兵の客と寝た女中が、翌朝、その帰還兵が自分と同じくらいの歳の母をもつと知って息をのみ、「電気をつけちゃ、いや!」とするどく言ったところが印象的だった。
『ヴィヨンの妻』は、金もないのに女と飲み歩いてばかりの作家の夫が、行きつけの飲み屋で金を盗んだたため、妻はその店で酔客を相手に働いて金を返す。店に行けば夫に会え、一緒に家へ帰れることもある幸せ。だが、夫は店の奥さんとも昔出来ていて、妻は店の客にけがされた。それでも「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」と言うのは凄かった。
『おさん』は、妻子の疎開中に浮気を始めた夫が、その女と心中する話。「夫はどうしてその女のひとを、もっと公然とたのしく愛して、妻の私までたのしくなるように愛してやる事が出来なかったのでしょう」「気持ちの持ち方を、軽くくるりと変えるのが真の革命」「自分の妻に対する気持一つ変える事が出来ず、革命の十字架もすさまじい…」という最後の部分が良かった。
『家庭の幸福』は、冒頭部分が今にもテレビから聞こえてきそうで、面白かった。
『桜桃』は、酒と女ばかりの夫が、「子供より親が大事、と思いたい」と、妻子をおいて虚しくずぶずぶ飲み歩く話。
どれも、敗戦後の虚無感と絶望感、家庭への嫌悪感と妻子をおいて酒と女にはまる罪悪感が漂っていた。