紙の本
本作は“痛いけれども心地よい”島本ワールドのエッセンスが詰まった作品集である。自分の進むべき道をひたすら着実に進んでいる島本さん。結婚されて幸せそうですね。今後もずっと純真でかつ瑞々しい作品を書き続けて欲しい。
2009/05/24 18:52
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トラキチ - この投稿者のレビュー一覧を見る
初出papyrus。
3編の中編からなる作品集。
かつて島本さんの大ファンだった時期があった。
彼女の代表作だとされている『ナラタージュ』、当時そのセンセーショナルな三角関係の内容に大いに共感したのであるが、その後やはりプレッシャーが強かったのかあるいは、『ナラタージュ』で精根尽き果てたのか定かではないが、やや尻すぼみ的な感が否めなかった島本さん。
しかしながら本作で島本ワールドが帰ってきたと確信したいと思うのである。
本作は一番長い表題作の「君が降る日」がいちばんインパクトが弱いかなと思われる。
恋人(降一)を交通事故で喪ってずっと引きずっている主人公の志保。
車を運転していて軽傷ですんだ五十嵐と接近するのであるが、やはりいつも降一のことを忘れることが出来ない志保。
少し五十嵐の描き方が男性読者からしたら滑稽に感じないでもないのだが、切なく仕上がっていると言えばそうとも取れる一編。
主題的に書きにくいですよね。
まあ同じ悲しみを持つ2人の恋愛なんだろうけど、引きずりすぎとも取れないかな。
五十嵐も他にいい子見つけなよとアドバイスしたいです。
女性読者からしたら博多に会いに行った主人公にイライラでしょうね。
でもこのイライラ感が島本作品の真骨頂ですよね。
亡き恋人の弟祐嗣が良い味出してましたね。
続いて年下の彼氏が出てくる「冬の動物園」
これは結構軽めかな。
5年間付き合ってた彼氏に振られた主人公OLが英会話教室で高校生の森谷君と知り合い再生して行く物語。
なんといっても森谷君が初々しくかつ頼もしくて読者をもリードしてくれるのである。
恋愛が始まる前を描いた秀作と言えよう。
そして最後の「野ばら」。テーマは“すれ違い”ですね。
内容は割愛します、読んでのお楽しみということで。実はこれが一番のお気に入りですね。
島本さんの小説を読むといつも“恋愛ってドラマなんだな”と痛感するのであるが、この作品は読者の胸の中に突き刺さるような痛さがある。
読者が実生活で体験している、恋愛のもつ楽しさ、喜び、そして苦しさ、悲しみが短い作品に凝縮されているのである。
3編とも終わり方がハッピーエンドではないんだけど、そこが島本さんらしく余計に読者の想い出に残るのである。
まるで読者の恋愛を応援するが如く、切ないんだけど少し余裕を感じさせられた作品でありました。
それぞれの主人公たちに共感できたでしょうか。
やはり男性読者はアドバンテージがあるのでしょうかね。
私は私なりにおぼろげなりに共感できました(笑)
恋愛小説はひとそれぞれ、性別や環境によって捉え方が違っていいんじゃないでしょうか。
これは個人的な達観した感想であるが、島本さんが恋愛を描くとそうですね、たとえば恋愛の残酷さを描いたとしてもそれが読者の前では切なく時には清々しく感じられるのですね。
とりわけ最後の「野ばら」にはそういう部分が凝縮されてたのかなと思うのである。
代表作『ナラタージュ』で感じられた胸の締め付けられるような思いというほどでもないけれど、切なくてやり切れない部分が読者を襲い、それがとっても心地よく読者の胸のうちに吸収できるのですね。
まあ、公私ともども島本さんって幸せなんだなと認識出来そうですね。
文は人を表しますもの(笑)
もし現在恋愛中で少し悩みが伴っているあなたが読めば、恰好の処方箋となる一冊だと確信しております。
悩み抜いた恋愛は人を成長させる、あなたも悩んでください。
“痛いけれども心地よい”島本ワールドのエッセンスが詰まった作品集なのである。
続活字中毒日記
紙の本
解放された魂。広げた翼は白く輝く。
2009/07/20 00:22
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:はりゅうみぃ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「恋」
とてもよく知っているのに、これほどわからないものもない。
何がどうなったら「恋に落ちた」と言えるのだろう?そもそも自覚すら難しいのに証明することなど無理な話だ。
ただ、相手を想う時心を満たす「何か」がある事だけは実感できる。大概それは温かく、思わず笑みの浮かぶような幸せな感情だが、なかには辛い痛みを伴うものもある。
そして作者はいつも後者に目を向ける人だ。
第18回山本周五郎賞候補作にもノミネートされた「ナラタ―ジュ」で感じた、贖罪の恋愛感は今作も健在だ。
この作者の描くヒロインはいずれもみんな、自分を求めて差しのべられた手を必ず振りほどいている。即座に振りはらったり、一度手に取ったのち手放したり、そもそも気付かなかったり…。
意図的でも無自覚でも、とにかく手に取らなかった自分の選択を歯がみ、後悔し、でもその選択を正す気のない自分への怒りと嫌悪すら持って贖罪しながら1人で生きていく。
恋愛小説と銘打ちながら作者は「恋愛=魅かれあう男女」を描かない。「男」を通して「女」である自分を見ているだけだ。むしろ自分を見つめる手段として他人が必要で、それがたまたま「男」だったから「恋愛小説」という形を取っただけ、と言える。
つまり作者は初めから「恋愛小説」を書こうとしていない。ヒロインと同じ生き方をしてきた作者の懺悔の告白を小説にしているのだ。
贖罪の触発が男性でなければならなかったのは、作者が男性を明らかに違う生物として別格視しているからだろう。
おそらく作者にとって「男性」とは側にいて欲しいのに側にいても苦しくなる、自分でも持て余す感情を抱かせる不思議な存在だったのではないだろうか。苦しみながらもどこか王子様然とした男性像がその事を裏付ける。
自己憐憫と自己嫌悪。男性不信と男性崇拝。
せめぎ合う作者の感情がそのままヒロインの葛藤となって映し出されている。
この作者にとって作品とは、一番見つめたくないものを見つめる事で初めて生み出せるいわば勇気の結晶だ。向き合う勇気に比例して作品の純度が高まるのだから因果と言うよりない。
せめて世に出して人の目に触れさせたい、と思うのも道理だろう。そうでなければこのような自傷行為、耐えきれるはずがない。
そんな作者が表題作で「恋人の死」という自分の意思にかかわらず否応なく手から切り離される立場を描いたのは、大きな変化のように思える。
懺悔とは結局内なる自分を見つめての行為、他人に触発はされても他人を踏みこませない自己完結の行為だ。
しかし今作のヒロインはいずれも、自己完結しながらも周り(他人)を見回す余裕がある。
憐れんで謝って後悔して終わりではなく、母に、妹に、友人に(これらはすべて女性だ)感謝を伝える気持ちがあるのだ。
これは作者の「男性」への不思議意識が薄れてきたせいとも言えるだろう。
調べてみると作者はこの作品の頃、ご結婚されている。やっぱり。
読後感は相変わらず苦しい。ヒロインは結局1人だから。
でも寂しいままでいるとは思わない。
作者はもう、それを望まない。
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3つのお話が収録されています。
3つめの『野ばら』が好きです…
谷川俊太郎さんの詩とともに、切なさが胸にささります。
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わたしの好きな作家さんの一人である島本理生さんの新作です。
この人の新作はどうしてもハードカバーで買ってしまうくらい好き。
今回のお話は「大切な人の死によって出会った男女を描いた切なくも儚い恋愛小説」(ハードカバー帯より)でした。
●君が降る日●
交通事故で亡くなった降一。
その車を運転していた五十嵐さんと降一の彼女・志保。
降一のお母さんと弟の祐嗣。
降一が亡くなったことで前に進むことの出来なくなってしまった人たちの再生の物語。
亡くなった降一がつなぐその関係はとても複雑で単純に恋愛にはならない。
寂しさが溢れたとき、誰かのぬくもりを求めたくなる。
でもそれは恋愛ではなく、簡単に誰も幸せになれない。
いつか思い出になることを頭ではわかっていても、すぐに理解して行動には移せない。
もどかしくて、ハッピーエンドではなかったことがリアルで、切なかった。
残された人たちは未来を生きるために自分で前を向かなければいけない、でもそれは簡単に出来ることではないと考えさせられたお話でした。
福岡の地名(博多、太宰府、天神、呉服町)がたくさん出てきたので地元民としては珍しくて新鮮でした(笑)
●冬の動物園●
年下の高校生・森谷君と社会人(と思われる)美穂。
ずうずうしくもプライベートに入り込んでくる森谷君。
彼氏に別れを告げられたばかりの美穂にはありえないことで、でもその強引さが気になり始める。
新しい恋の始まりを垣間見た、続きが気になるお話でした。
●野ばら●
男女の友情が成り立つ物語。
わたしはそこに恋愛が成り立てばステキなのにな、と思ったりしたけど、友情というひとつの形として男の子のぶっきらぼうな優しさが好きだな〜と思ったお話でした。
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2012.02.06. 久しぶりに読んだら、途中でボロボロ泣いてしまいました。2年前読んだ時は、泣いていないのにね。最近、涙もろいのかな。五十嵐くんの闇に、惹かれてしまいます。実際にそんな人を受け入れられるキャパシティは、私にはないのですが。島本さんと、感性が似てるんだろうな。幸せになれない恋はもうしたくないとか、自分のこといろいろ考えてしまいました。
2010.06.06. 泣きそうになる。真っ暗な部分をひとりでは抱えきれない時、人は誰かと抱き合うんだろうか。「野ばら」は、タイトルがうまいっ。
2009.04.30. 胸がひりひりする。すごく、ずっと泣いてしまいたい気持ちだった。「ナラタージュ」が1番好きだったけど、「君が降る日」に変えます。彼女の描く主人公の女の子たちは、似ていると思う。だけど、少しずつ強くなっているとも、思う。
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この作家さん、同年代ってことで、新作が出ると、なんとなくチェックしてますw
『冬の動物園』が好きです。
この人の書くお話って、痛かったり切なすぎたりする恋愛が多いと思ってるのだけど、
今回のは、ちょっとあったかさみたいのを感じました。
『野ばら』は、祐くんが切ないなぁ。
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恋人の降一を事故で亡くした志保。彼の母親が営む店を手伝う彼女の前に現れたのは、その事故の原因をつくった五十嵐だった。皮肉にも同じ悲しみを抱えることで繋がる2人。最初はお互いを遠ざけていたが―――。
表題作は島本理生らしい切なくて泣きたくなるような物語。どうしても埋められない孤独の影と闘う志保や五十嵐が切ない。他2作も素敵な話。『冬の動物園』は心があたたかくなる。『野ばら』ではラストの谷川俊太郎の詩がすごく活きていた。
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中編の『君が降る日』。
島本さんが得意な、はりつめた心を持つ少女のお話。
終わり方が唐突で、それまでの余韻が急に断ち切られ、あれ?と戸惑った。
短編の『冬の動物園』と『野ばら』はきちんと物語がまとまっていて、特に『野ばら』の最後は胸がきりりと痛んだ。
主人公の自分でも気付いていない感情が、最後で立ち上ってきて、たまらなくなる感じ。
島本さん自身後書きで"個人的にとても好きな作品"と述べていて、私もこんな作品を読みたいな、と思わされた作品だった。
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恋人をある日突然失って、自分を見失ってしまうことに恐れを抱いた。もう一生あえないことは死んだもおなじことだと。
主人公の志保が、事故の原因を作った五十嵐に会いに行ったところから、永遠のさよならをするところで、泣いてしまう。
傷を塩でこすることをしなければ、納得がいかなかった。そこで二度目のさよならをすることで、永遠の愛を封印しようとしたのだろうか。
痛すぎて、嗚咽がこぼれた。また強制終了的な終わり方に、無常感を感じる。
三作収録されているが「野ばら」がよかった。恋の残酷さが透明な雰囲気と共に描き出されている。
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島本理生らしい。
おきにいりは、『野ばら』
野ばらの棘のようなひりひりとした切なさ。
表情や動作で切なさとか喜びの感情を表現するのがうまい。
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死を話の中に入れてしまうと途端に陳腐になってしまうのは何故だろう。
嫌いじゃないけど、取り立てて好きでもない話。
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▼村上春樹の最高傑作を読んだ後だから点が辛くなってしまったけど、割といい小説。もちろん『熊が〜』や『クローバー』のが好きだけども。
▼読んでる間は「はやく終わんないかなあ」「おんなじことを何度考えるのかなあ」なんて思っていたのだけど、本を閉じると、いろいろなエピソードが色鮮やかに思い出されて、いい気持ちになった。
▼表題作より『野ばら』がお勧め。ラストの三ページくらいがとても痛かった。(09/6/8 読了)
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あの日君に恋されている予感はなかったのに、今ならはっきりと君の痛みがわかるよ。それでもそばにいたかったよ。
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★3つが妥当かもしれないけど。
短編三本なんだけども、久し振りに個人的な体験にジャストミートなかんじでちょっとわらえた。(わらえたと笑えたってけっこう明確に使い分けてる気がするなーどうでもいいんだけど)
表題作ねー。恋人が事故で亡くなったときに一緒にいた男のひと(加害者?ではないけど)と残された女の子の話なんだけど。この男のひとみたいなのがさーけっこう好みだなと思った。
>一生責めながらそばにいるべきなんじゃないかと思った。今すぐに抱き合って、お互いに建設的なことを考えられなくして永遠に月が沈まない夜の中にいればいいんじゃないかと、一瞬、本気で考えた。
>でも無理なのだ。
>私たちは、これぐらいの苦痛では死んだりできなかったから。もっと鈍く、頑丈にできていた。隆ちゃんがいなくなった今も、毎日、呼吸をし、死んだものを食べて、疲れれば眠りに就く。生きるということはきっと特別なことではなく、次に必要なものが選べるということだ。
ってとこがあるんだけど。なんとなくこの思考プロセスには共感した。共感装置ってのは大事なもんだよーたぶんねー。
無理とか無理じゃないとかわかんないけど、建設的ななにかを目指すことができないのなら、それはもう、一緒にいるのが難しいんじゃないかと思う。一緒に堕ちよう?てのはいつの世でも魅力的なフレーズであり続けるだろうけど。笑 わたしにとってだけか、どんまい。
んで次。
今度はふられた女の子が次の男に切り替える話。乱暴ないいかただがまーこんなもん。
最近の男の子はね!実際、おんなのこになれてるよね。扱いとかね。そんな感じはしますなーこれまったく関係ないけど。
本彼との思い出の品を焼いてるときにさ、
>「(中略)彼は、そういう私のことが嫌いだった。主体性がないって。四六時中恋人のことばかり考えてる女は、世界が狭いって」
>「別に狭くてもいいじゃん。広い世界がどうのって言い出す男って、たいてい新しいもの好きで飽きっぽいだけだよ。自分さえ満足していれば、誰に狭いって言われても気にすることないよ」
っておニューな恋人との会話なんですが。誰に狭いって言われても気にすることないよ、てのは違うんだろうと思うのねー。自分にとって大事な人に言われたんだったら気にするべきなんだろう。しかし!理生ちゃん的いいオトコってのはきっとそういうことを言わないのね。笑
ゆうちゃんは世界がせまい!て言われ続けるゆうこさんとしては複雑ですねー。嘘。まあそうなのかもなー。てとこかな。うまくいえないけど、ひっかかった。
あと主人公が、考えたくないことから逃げようとして、思考の速度を極端に落とす、って書いてあるとこがあってそれもなんか理解できますな。でもなんか。混乱するという感じも強いけど。思考の順序がめちゃくちゃになるかんじ。でもなんつーかぐるぐる迂回してる気はとってもするね。大事なところでは速度を落として、避ける。みたいなさ。解決にまったく結びつかないってわかってるんだけど。
んで最後の作品。
説明するのは面倒なのでわたしにとって大事なことだけいうとさー。
>私たちは、あ���雪の日から、別れると言えない関係を紡いでいたのだと、初めて気づいた。ただ一つの、好き、だけが欲しい思春期にとって、それがどんなに棘だらけの野ばらだったか、私は知らなかった。
て主人公がラストで回想するんだけど。
まさにわたしもこれと同じことを主人公の女の子なんかよりずっと執拗にしてたわけだなー。でもどうしても失わないためには別れると言えない関係でありたかったんだよなー。ぜんぜん正当化できてないけど。相手が欲しいっていったものを適当にはぐらかして求めてばっかりいた気がするし、相手にわたしが思うような関係でいることをだいぶ強要してたような気がする。今考えるとうまくいかなくて当たり前だわ、と思うのだけど、それでも、その当時のわたしにとっては、精一杯だったんだよね、んで、なんか死ぬほど傷ついたり傷つけられたりしたんだよね。
こういうの、若かった、ていってもいいのかわかんないけど、そういうやつだと、思う。はは。
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島本さんの作品を初めて読む。
帯には「大切な人の死によって出会った男女を描いた切なくも儚い恋愛小説」
表題作よりも「野ばら」が 好き。
(思わず 谷川俊太郎さんの「あなたはそこに」を探してしまいました)
ちょっと物足りなく感じたけれど 懐かしいようなちょっと切ないような
あの年代の気持を思い出しました。
同年代で読めていたなら もう少し評価が違ったかも・・・
やっぱり若い人の話かな?