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松岡正剛という人が一般的に知られるようになったのは、やはり、ネットにおける意欲作「千夜千冊」からであろう。いや、これでさえ、必ずしも一般的とはいえまい。しかしながら、この著作(インタビュー形式でまとめられたものなので、厳密に言えば、著作とはいえないのかな)によって、相当、リアルワールドに降りてきた人物となったのではないだろうか。
実際、既に、ネット上でこの著作の紹介が相当数の方からなされているし、私自身もひと月近く鞄の中に入れて持ち歩いて、何度か拾い読み。
ということで、面倒な説明をしない。私自身が、共感し、実は、既に取り組んでいた読書の仕方(松岡正剛ならともかく、私においては、「術」なんていえるほど敷居の高いものでもない)をいくつか。
「本は二度読む」
いわゆる、再読というやつ。読書というものは「いつ読んだか、どんな気分で、どんな感受性のときに読んだか」が密接に繋がっている。そして、「初読当時の感想を今日の時点からあらためて眺める視線が必要です。この時間と空間をまたぐ視線が、意外に読書力に必要」
40歳も過ぎると、つまんない本を読んだら(もっとも、そんな場合はさっさと見切りをつけるが。もちろん、あくまでも、そのときの私にとってそうだったという意味であり、いやしくも、正規の出版社を通して発刊されている本に、つまんないという表現も適切ではなかろう)人生を損したような気分にもなる。だからこそ、昔読んだ本で、印象に残ったものを再び読むことが本当に多くなった。
「たまには違ったものを食べてみる」
社会人になると、どうしても、仕事関係のもの、もしくはビジネス書、ハウツーものが多くなる。私も意識して、いわゆる小説というものも読むようにしている。
「本にドンドン書き込む」
「本はノートである」とも記述がある。本当にそうだ。私の所持している本も、ラインだらけである。だから、古本屋さんには持っていけない。それに、そのことは、「予想しながら読む」ということに繋がってくる。大体、そうしないと、よっぽど頭のいい人以外は、頭の中で整理をしながら読み続けていくことができるはずがない。
ただし、小説はそうとも言い切れないだろうな。
「掩巻(えんかん)」
江戸時代の先人の読書術から引用したもの。「これは書物を少し読んだら、そこでいったん本を閉じて、その内容を追想し、アタマの中ですぐにトレースしていくという方法です」
松岡正剛も今でも時々実践しているという。「おススメします」と書かれている。吉田松陰もしていたそうだ。
実は、私自身も、ここでは大きく膝を打った。私は学生時代、新聞を読む際、意識的にそうしていた。それなりの知識人ではいたかったし、それでも、なんども新聞を読み返すのは面倒だし、こうして時事問題等々を理解するようにしていった。
ある記事を読んだら、そこから目を離し、その記事内容を頭の中で整理する。時には、声にこそ出さないが、口の中で反芻する。効果はテキメンだったように思う。
ちなみに、この時期、これも意識的に新聞の速読をするようになった。最初は、数行をまとめて読む、慣れてきたら、記事の真ん中に視点を当てて、広がるように読む。記事が目に入ってくるタイミングはやや前後するが、ある程度「予想しながら読む」ことによって、十分理解はできるようになってきた。
まだ、他にもいくつかあるが、疲れてきた。
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日経の書評にあったので、早速購入。
会社の上司がおすすめの人なので、1冊買って読みかけましたが挫折・・・
とても信じられないぐらいの量の本を読んでおられる方です。
この本はとっても読みやすかったので一気に読んでしまいました。
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出会った感じ。
著者の松岡正剛氏に、まさに出会ってしまった感じ。
先日、速読関連書籍を購入したこと、すこ〜し後悔も。
でも、それすらも肯定してくれる、そんな本でした。
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情報科教員MTのBlog (『多読術』を読了!!)
https://willpwr.blog.jp/archives/51242495.html
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読書界の巨人、松岡正剛氏が読書についての自身の経歴、スタイル、方法論などをインタビュー形式で語っている。
あまりの読書量とそれに比例する文筆量がすごすぎて、何を真似していいのか、圧倒されてしまった。最終的に氏が言っているのは、多くの本を読みこなすことで、自分なりの読書スタイルを身に付けること。それがタイトルの「多読術」の意味するところなのだろう。
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花を終えた頃、丁度この本が発売された。
花で体験したことを、そのままキーワードにして読み進めるうちに理解したことがあった。ISIS田中さんからも勧められたこの本。メタモルフォーゼの言葉と共に、忘れられない一冊。
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正剛さんの読書との付き合い方がにじみでてて…
おもわずクスリ。
そうそう、読書ってラフなものなんだよね☆
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自分のしている事に自信が持てなくなったとき、私はよくこのような類の本に背中を押してもらいます。
今回はセイゴオ先生の多読術。
日経新聞に書評が掲載されていたので読んでみました。
題名は「多読術」ですが、内容はほぼ「読書とはなんたるか」。
筑摩書房の編集者によるインタビュー形式なので、サラッと読めるし分かりやすい。
とはいえ著者のセイゴオ先生は「メディア・思想研究者」なので、かなり難しい表現も登場します(ま、テクニック本として使うなら読み飛ばしてもらっても結構でしょう)。
「読書とは編集である」というスタンスの著者の紹介する読書術は様々。
簡単なものなら、事前に目次とあとがきから想像力を膨らます「目次読書法」。
本の中で登場する年号を年表に記載していく「クロニクル読書法」、これは手間はかかるけど個人的には魅力的ですね。
自分の使える時間・読書が生活に対して占めるウエイトによって、採用できるものから採用していけば良いんじゃないかな。
著者も結局は「どんな本をどのように読んでも良い」って言ってますから(本末転倒な気もしますが…笑)
最後に著者の言葉で共感できるものがあるので一つ紹介。
「読書というのは、書いてあること(筆者)と自分が感じること(読者)が【まざる】こと」
私も上記が読書することの最大の利点だと思います。
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2009年5月8日に読了。書店で見て衝動買いした本です。
この著者は読書のプロです。すんごいです、量が。本をあまりにたくさん読みすぎるとこうなるのか、という見本のような方です。といってもそれは決して悪い意味ではなくて、尊敬の念をこめての表現です。
これは新書ですが、編集担当者の質問に著者が答えていくという形式で書かれており、スルスルと読めます。本好きとしては「そうそう!」と深く共感することはもちろん、「へぇ、そういう考え方もあるんだ、おもしろい!」と教えられることなど、読書にまつわる知識や方法がたくさん詰まっています。
ただ著者独自の「編集工学」の話になると難しくて、正直「何言ってんのかよくわかんない」状態でした。編集工学とは、<コミュニケーションにおける情報編集のすべてを扱う研究開発分野のこと>だそうですが、これは著者くらい本を大量に読んでいくと理解できるのかも?
『多読術』というタイトルをテーマにした本というよりは、この人の本の読み方を語っていったら、それが結果的に自然と「多読術」になっていた、という本になっているように思います。本書には、今後の読書に参考になりそうなことがてんこ盛りです。たとえば、本を読んでいて「どうもアタマに入らない」というのは全力で読もうとしているからで、その著者の<味蕾>を使って読むといいとか、読書というのはその本を読む前から始まっているとか、<調子や好みや仕事にあわせた「読書するしくみをリズムにしていく>とか、「いい本」にめぐり合うためには、<どんどん空振りして、相手を褒めるつもりになったほうがいい>とか。
興味深かったのは、音読から黙読に変化したことで(昔の読書は音読だったそうです)、脳の中に「無意識」を発生させてしまった、という説に近いことはありうる、という話。「読書と無意識との関係」というのがありうる、ということは、かなりおもしろい仮説だと思います。
個人的にうれしかったのは、<読書の頂点は「全集読書」>というところ。わたしは全集が好きなんです。しっかりした全集はお高いので買えませんが、一般の単行本くらいの値段で買えるような全集が出たらだいたい買っています。文庫全集なんか出た日にゃもうバンバンザイ、嬉々として迷わず買います。それで全集はけっこう持っているんですが、それを「これから読む」というワクワク状態がたまらず、読まずに並べておいてそれを眺めてにんまりしております。全集を読むことが読書の頂点なら、わたしが読書の頂点に達するのはまだ早いような気がするので、もうちょっとあたためておいてほくほく気分を味わっていたい……とは思うものの、この本を読んだら自分も全集の<ロック・クライミング>に挑戦してみたくなりました。
著者はとにかく、読書という行為について何も限定していません。ものすごく自由。一見こだわりがあるように見えるんですが、こだわるのはよくない、とおっしゃいます。どんな読み方でも、何を読むのも、すべて「読書」。この懐の深さ、広さこそ、大量の読書で培われたものなのでしょう。本当に読書が好きなんだということが伝わってきます。とても楽し���うなのでうらやましくなるくらい。本書を読んだら、ますます本を読みたくなりました。あ、だから「多読術」なのか!? このタイトルってけっこう深いかも。
ちなみに、著者のサイト「千夜千冊」はこちら↓。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya.html
このサイトが全集になって発売もされています。
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本の読み方を説く本をこれまで何冊か読んできましたが、理論的な部分、直観的な部分でかなりしっくり来た一冊です。
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本好きの人のための、本好きな人による多読術。
なぜ読書するのか?
読書の本質とは?
と問われたとするならば、
「読書するというより、書くことや世界を知ることの方に関心があった」
と、いうこの著者の一言に尽きます。
読めべ読むほど世界は広がる。
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(2009年8月8日読了)
第一章 多読・少読・広読・狭読
第二章 多様性を育てていく
第三章 読書の方法をさぐる
第四章 読書することは編集すること
第五章 自分に合った読書スタイル
第六章 キーブックを選ぶ
第七章 読書の未来
・本は一度読んでいても思い出せない、語れない、勘違いしているものが結構ある。二度目に読んでみて全然理解していなかったということもある。P16
・食べることが出会いであるように、読書も出会い。P22
・本というものは一人ずつに、異なる読後感をもたらす。P44
・一番心掛けたことは、寝ないようにする。1年のうち300日くらいは午前3時前には寝なかった。P46
・読書は「鳥瞰力と微視力」が交互に試されるが、ちょっと話してみるとその両方の歯車が軋んだまま動かなくなっている事がすぶわかる。何かをその著者を媒介にして編集者の読書力に繋げている人は意外に少ない。P48
・社会人になって何度か引越しをするが、たいてい図書館の近くを選んだ。P49
・本を読む時はまず目次からで、これを行うかどうかで、その後の読書に決定的な差がでてくる。そして本の内容を想像する。P70
・書くのも読むのも「これはコミュニケーションのひとつなんだ」とみなす。P95
・記憶力や表現力よりも、編集力が色々な記憶や表現の基本力になっている。P101
・読書とは、著者が「書くモデル」を作ったところへ、読者は自分の持ち合わせているエディティング・モデルを投げ縄のように投げ入れて、そこに「読むモデル」を括って、自分のほうに引き上げ、何かを発見していくこと。P105
・多読のためにはそれなりの関心や手立てが必要だが、基本はあまりジャンルにこだわらずに、好きに色々な本に遊んでみる事。P110
・参考『情報の歴史』P112
・「リンクを増やす偏執的読書法」を基本にするもの。そのためのリンキング・ワールドの入り口を自分でつくっていく。P115
・読書には「読前術」「読中術」「読後術」がある。読前術は本との接し方や目次読書に始まり、読中術はマーキング読書やマッピング読書、読後術は本棚の並びにも自分で感想ノートや感想ブログを買いT見ることなど。P123
・速読術のノウハウ本なんてあんまり頼りにしない方がいい。一定の読み方で速くするというのは、読書の意義がない。それは早食い競争をするようなもの。P124
・本は色々な読み方をするべきで、つまりは平均的な読書を求めてもダメ。P125
・読書はわからないから読む、それにつきる。P138
・参考「ソクラテスの弁明」「高校生のための論理実証主義入門」「ファウスト」「部分と全体」「時の声」「結晶世界」P145
・キーブックをもとに読み進むのが、複合読書法。何かを調べている人や追及している人はそういう何冊ももっている。P152
・読書感覚を維持するために、読書三昧の日々にはしないで断乎として仕事は続ける。それも仲間と共に勧める。そして仕事でいかに時間がとられようともそれでも読書をはずさないと決めた。P162
・読書は、現状の混乱している思考や表現の流れを整えてくれるものだと確信している。P164
・思考や表現の本質���「アナロジー」であり、「連想」であると思っている。P165
・元気がでてくる源泉や領域は、「曖昧な部分」や「きわどい領域」や「余分な所」だと確信している。P165
・本を見つけるには、図書館や本屋で並びをみる。頼みとする人の推薦をうける。一冊の本には参考文献があるのでそれをチェックする。P169
・本との出会いはもともとゲームnようなものなので、どのような連鎖でもいいが、書物を「良書」「悪書」で分けるのだけはやめた方がいい。P171
・いい本に出会う確立は良くても3割5分くらいえ、普通は2割5分くらい。P173
・参考、狩野亭吉こそ本当の国法的人物。P174
・辞書や時点や辞典を身近に持っておく。字書なら白川静、読むときは「字統」、日本語を考えるときは「字訓」、感じを調べるときは「字通」を使う。シソーラス辞典(類語辞典)、「クロニクル・ノート」を作って、それがやがて『情報の歴史』に発展。P176
・「用語集」。読書を妨げている主要な障害に「用語が難しい、用語がわからない」といういらいらがある時は、よく効くこと。読み手はそのハンディキャップを当初から背負っている。P182
・参考「資本主義の文化的矛盾」「資本主義のハビトゥス」「想像の共同体」P197
・一場に言いたかった事は「読書は編集である」ということであり、「読書はナイーブな行為である」P198
・参考「本を読む本」アドラー、ドーレンP203
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新聞、雑誌、単行本、マンガ、楽譜集、どんなものでも全部が「読書する」なんですが、そこには優劣も貴賤も区別がないと思うべき何ですが、やっぱり読書の頂点は「全集読書」なんですよ。これは別格です。
著者による「あとがき」はたいていは内容のサマリーというわけではなく、著者が書いたきっかけや、書いた後の付言や弁解をしているばあいが多いので、親しみは湧くでしょうが、読み手のエンジンが動き出す決め手には欠きますね。
本はリスク、リスペクト、紫湖面デーションの3Rかな。
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本をいっぱい読みたくて、読めるようになりたくて、本書を手に取ってみた。
ヒントになったのは、本をノートにする方法と二度読みすること。
本をノートにするのはやや抵抗があるが、ただのコレクションにするくらいやったら、為になるように使った方が良いよね。
今は付箋をするくらいだけど、心に残るフレーズには、線を引いて、そのときの気持ちを書き込んでおこうかと思います。
やっぱ、やや抵抗があるけど。
二度読みは、その時、場所、雰囲気、気分によって本の捉え方が違ってくる。
少し間を置いて、もう一度読むとまた違った視点で読めるようです。
今まで同じものを読むくらいだったら、別のものを読んだ方がいいと思っていたけど、良書と思えた本は、もう一度読み、自分の中のキーブックにして行きたいと思います。本を語れる人になろう。
いろいろな本読みのスタイルがあり、本を読むという行為は一種のコミュニケーションである。気軽に楽しく、読書して行こうと思います。そして、自分なりの本の読み方を見つけたいと思います。
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超マニアックです。いかにも本を沢山読む人の読み方って感じで、ちょっと一般人の自分には参考になりませんでした。
しかし、読書に対する姿勢や読書というものの捉え方は独特で面白く、本を読むことが好きになります。ちょと横文字
や方々の専門用語が多くてわかりずらいですが。
自分は昔の人と今の人で決定的に変わったことが読書量だと考えていて、何でも即快感を得ることができるモノが多い
ので読書という時間をとり時には挫けてしまう行為は衰退傾向にあるのかと思っていましたが、セイゴウさんの考え方
を知ると、読書はやはり価値があるな〜と思いました。