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おとなはなぜ戦争するの 2 イラク編 みんなのレビュー

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紙の本

戦争がイラクの子どもたちの人生にどれほどの影響を与えたのか。そして、今もどれほどの影響を与えているのかを知る1冊。

2009/09/29 22:18

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る

2003年のイラク戦争から1年後に、
日本の子どもたちの戦争反対の声をまとめ、
『おとなはなぜ戦争するの』ができた。

その本は、イラクの子どもたちに届けられた。

イラク戦争から6年、本が届けられてから5年が経った今の
イラクの子どもたちの声を届けるのが、本書である。

佐藤真紀氏は、日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)の事務局長で、
「1 ぼくたちは生きています」と「2 戦火の中の病院―バスラ」の章を担当した。

本木洋子氏は、児童文学作家で、
「3 あれから6年―おぼえていますか、わたしたちのことを」の章をを担当した。

第1章では、イラクの子どもたち10人と
平和のために活動する米国兵1名を取り上げ、
戦争当時の様子と写真、今のメッセージと写真を紹介している。

  わたしたちは戦争が好きではありません。

  なぜ戦争を起こしたの?

  平和だけが好きなのに。

  そう、わたしたちは戦争はきらい。

  そして怒っています。

  わたしたち子どもは

  なぜあなたたちが戦争を始めたのか

  聞きたいのです。

イラク戦争が始まる1年前、
9歳のスハッドはバグダッドの小学校でこの手紙を書いた。

友だちになった日本人といっしょに、
戦争が起こらないでと、習字で平和と書き、折鶴を折って、祈った。

スハッドが描いた絵は、日本で戦争反対を訴えるポスターとなった。

「イラクを攻撃したら世界は平和になりますか?」と問いかける。

だが、1年後、戦争は起こった。

5年経った2007年、スハッドは14歳になっていた。

バグダッドは危険な町となっていた。

彼女は日本の友だちに現状を訴え平和を願う手紙を書いた。

2009年、スハッドは16歳になっている。

お父さんが音楽学校の守衛でずっと住み込みで学校を守っていたということもあり、
彼女も音楽の勉強を続け、現在はオーケストラの一員となっているという。

写真の彼女は、オーボエを吹いていた。

イラクとヨルダンの国境の難民キャンプで、血液のがんの闘病を続けていたディアール。

ヨルダンは難民の受け入れを拒否し、国境を閉ざしていたため、
ディアールは2006年に容態が悪化するまで
ヨルダンの首都・アンマンの病院に入院できなかった。

入院してやっとがんの専門病院で検査を受けることができた。

だが、進行していて治る見込みはないという診断が下り、死を待つだけとなった。

彼女は、「5年、5年」とつぶやくように言った後、昏睡状態になり息を引き取ったという。

家族でオーストラリアに移住したランダ、

当時の思い、そして、今の思いを絵にするムハンマッド、

脳腫瘍の手術に6回も耐えたイラフ、

白血病闘病中のハウラ、

劣化ウラン弾により被爆し、劣化ウラン弾禁止の国際条約を作ろうと活動する元米国兵・ハーバード・リード氏、

腫瘍で右目を摘出したが、絵を描く楽しみを知ったサブリーン、

戦争で父を失ったアハマッド、

ミサイルの破片が足に突き刺さり、大怪我を負ったムスタファ、

骨肉種になったアヤ。

故郷を捨てて移住せざるを得なかったり、
家族が亡くなったり、
自らが障害を負ったり、ガンになったり・・・。

戦争の影響で、子どもたちの人生はあまりにも大きく変えられてしまった。

第2章では、バスラの病院のことが語られる。

イラクの都市名は、6年前の戦争のニュースの中ではよく出てきてはいたが、
それがイラクのどのあたりなのか、正確にわかる人はどれくらいいるだろうか。

実は、私は、『バスラの図書館員』を読了したあとでさえ、
バスラがどこにあり、どういう意味を持つ都市なのか、わかっていなかった。

第1章では子どもたちの住む都市の場所を地図で示していて、バスラの場所もそれでわかった。

イラクはチグリス川とユーフラテス川が流れている肥沃な土地でメソポタミア文明が栄えた。

南端のバスラは港町で古くからアジアに向けた交易が盛んだった。

バスラはイランと国境を接し、また、クウェートとも国境を接する。

1980年のイラン戦争でも1991年の湾岸戦争でも激しい戦闘があった地域なのである。

2008年3月、イラクは、クルド人の北部イラク、
シーア派住民を中心とした南部イラク、スンニ派の多い西部、
シーア派、スンニ派の混在するバグダッド周辺の4つの地域に分裂しているという。

イラクでは違う宗派の結婚は当たり前だったが、
アメリカの占領が始まってから、宗派間の対立が激しくなってしまい、
お互いが殺しあうまでになってしまった。

バグダッドの街中に壁ができ、
スンニ派とシーア派は住み分けをするようになったという。

第2章では、バスラの病院の小児がん病棟で
院内学級を運営するイブラヒム氏の活動にスポットが当たっている。

彼もまた妻を血液のがんで失い、
3歳の娘と1歳にならない双子を抱えて男で一つで育てるという
過酷な状況で仕事が見つからなかったが、
日本のNGO・JIM-NETに出会い、手伝うようになったという人である。

第3章では、この6年で何が起こったのかがわかりやすく説明されている。

クラスター爆弾が使われたために
今も子爆弾が不発弾として作動中の状態のまま地上に残されていること、

劣化ウラン弾が使われたために、大地が放射能で汚染されていること、

その汚染された空気を吸い、水を飲み、食べ物を食べることで、
細胞や遺伝子が壊されがんになること。

イラクには18歳未満の子どもが1400万人(人口の約半分)いるが、
その子どもたちは1991年の湾岸戦争時に生まれているため
誰も平和な時代を知らないということ。

劣化ウラン弾の影響により小児がんの患者が増え続けていること。

そして、憲法第9条の価値。

本書を読むことにより、
戦争がイラクの子どもたちの人生にどれほどの影響を与えたのか、
そして、今もどれほどの影響を与えているのかを知ることができる。

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紙の本

戦争

2019/07/23 18:15

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る

イラクの戦争によよって何の罪もない子供たちの人生を大きく変えることになってしまっている。みんなで考えたい。

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