投稿元:
レビューを見る
小林恵子 「 高松塚 被葬者考 」
高松塚の被葬者を天武天皇、築造者を高市皇子として、高松塚が呪いの墳墓であることを立証した本
高松塚の形状、副葬品、壁画から築造年数の期間を絞り、政治的背景と合わせて、被葬者を天武天皇と結論づけた展開は見事
天武と天智は直接の兄弟関係になく、高市皇子は 天智の子という驚きの仮説から、高松塚は 死者を冒涜するために最初から破壊されたものと位置づけ、高松塚の築造者は被葬者に恨みを持つものとしている
壁画の時代考証
*顔料〜法隆寺と同時代
*四神像〜デザインのルーツは北魏
*男性と女性の髪型、服装
*星宿図を描く発想
被葬者を天皇に限定した根拠
*南面の松
*三種の神器〜鏡、刀、玉の出土
*壁画に描かれた四神像、天皇の従者たち
壁画は死者の身分と人物を表し、死者の供養のために描かれたものではない
被葬者天武説の根拠
*上記条件に合うのは、大津、草壁、高市、天武
*頭骨がなく破壊された遺骨〜死者の再生を否定するため、死者に恨みを持つものの行動
*海獣葡萄鏡は天武を表象する鏡
天武=親新羅
高市=反新羅、天智系