投稿元:
レビューを見る
文庫になるまで放っておいた自分を責めつつ、「だって」やっぱり軽いし安いし、それにほら、「文庫版のためのあとがき」なんてものも付いてるし…、と、誰も聞いてないのに言い訳ばかり。
ひとつ前の『目白雑録』よりも「冴えている」と感じられるのは、連載時期がより近いからか、私の中の毒がますます熟成してきているからか、あるいはまた、などと考えながら、ああ、んなこたぁどうでもよろし、痛快なんだもの、と結論。
読みながらずーっと、なんだかなあ、モリマリに似てるんだよなあ、と感じていましたが、帯には「華麗なドリブラー」とのコピー、なるほど。
「沢口靖子とシナリオ・ライターの内館牧子を足して二で割ったよう」な「スカパーの、ブンデス・リーガ情報に登場するドイツと日本のミックス美女」の顔というのを、どうしても見てみたい。
どこで見られるかご存知の方は、ぜひともご一報ください。
投稿元:
レビューを見る
『目白雑録』の1冊目の単行本を昔読んで以来、このシリーズご無沙汰だったのだが、いつのまにやら2や3まで文庫化されているのを知って久しぶりに読みたくなった。読んでみると相変わらずの辛辣ぶりでハラハラする。自分にはそれなりに気分が整っていないとやはり読めない代物だと思った。
あれっこんなにサッカーのことを書いている人だっけ?と思う。悪口が多く、そもそも金井さんがすごいと思うチームとか試合とかプレーってどんなもんなんだろうかと思ってしまう。食傷気味になりつつもはっとするような記述もあり、そういうものを読むと「うーむ」となってしまう。
それにしても金井さんはどうしていつもなんだか苛々としているのだろう。それを解くのに「記憶力の強さ(凄さ)」のような言葉を当てはめてみたく思ってしまう。金井さんは「よく覚えているなあ」という量的な凄さというよりも、色彩や微妙なニュアンスとでも言うようなものを頭の中に止めておけて、しかもそれを文章で表現できてしまう(様々な名詞の羅列だったりするのだけれど)ような能力を持ち合わせるがゆえに、自分の頭の中にある「ある美しいイメージ」との「ずれ」をいつも感じているのではないか? そしてその「ずれ」に対する感覚がイライラとしてこのような形で言葉で表現されているのではないか? というようなことを考えてしまう。金井さんを読んでいてやはりよく思い出す言葉は「記憶」だ。創作に向けてのメモを作る作業はとても楽しいと本書の中でも金井さんは語るが、自分の記憶の中の素材を使ってパッチワークをしていくような感覚なんだろうか。それならきっと楽しそうだなと思う。
中上健次について語るところは、いつもほのかに敬意というか愛情が感じられて好きだ。学生の時読んだ中上健次の発言集成の中に金井さんとの対談があって、金井さんの発言に「てめえ」みたいにキレてしまう健次氏が、その後金井さんにいなされてしまう場面があったように記憶している。当時けっこう強烈だった。金井さんにかかると中上健次も「変な子だったわねえ」となってしまうのだ。
ただ、好きで読んでいるのかと言われるとちょっとわからないところがいまだにある。でも定期的に読んでいくのだろうなと思う。
投稿元:
レビューを見る
2巻はサッカーと映画の話が中心かな?
どちらも詳しくないのだが、読んでいると面白い。
サッカーに限らず基本的に辛辣な内容が多いのだが、同じ毒でも倉橋由美子とはちょっと違うところが面白い。
投稿元:
レビューを見る
著者でさえ読み返すと「面白い!」と口をつく面白さ。
いわんや読者をや。
批評性とは圧倒的な記憶力のことなのか?
いやいや、違うんだけどね。