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基本はやっぱ日記なんだけど、ガンとか、病院とか医療システムを見る独自視点は、フリーライターさんてカンジだな。なんか客観的な視点と主観的な視点のバランスとかすごい。静かな怒り。一定のトーンを保ってる中で、納得、諦観、怒り、開き直り、希望と絶望。自問と他問、混同した感情が見て取れて、感情のままに書いてるものより、精神的なツラさをカンジさせる。あと、やっぱ普通に文章魅力的だし、興味の範囲もいいなぁ。
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2日で読み終えたガン闘病記。
闘病記と聞くと、悲惨な状況を綴ったかなり泥臭い印象が強いジャンルなのだが、この闘病記はそんなものが一切無い。
それは決して悲惨な状況でなかったというのではなく、彼が排除したから。
ガンにまつわる葛藤だとか、ココロの中のドロドロは、勿体無いから誰にも知らせない、とのこと。
排除されているから、淡々と進んでいるように思うのだけれど、決してそうではない。
排除されているから逆に際立つものもあるように思う。
病状の進行はあまり詳細は書かれていないのだが、体調は巻頭と巻末では明らかに異なっていて、淡々と書かれているからなおさら、それが大きなことに感じる。
結果から言うと、彼はもう亡くなっている。2005年に。
私が彼の存在を知ったのは、Yahooのニュース記事リンク。
誰の訃報かは忘れてしまったのだけれど、若くして亡くなった方の記事にリンクされていたのだ。
会社からブログを見て(コラ)、なんて小気味良い文章を書く人だろう、という印象を持った。
闘病記は全部で3冊刊行されていて、一度読んでみたい、と思いつつ、私の行動範囲の本屋さんには置いてなかったので(最新作でも2005年刊行だし)、読まないままになっていた。
それが、先日新しくできた本屋さんで、文庫になっているのを、ほんとうにたまたま見つけた。
表紙が見えているわけではなかったのに、背のたった一行の題名だけで、よく見つけたと思う。
懐具合が寂しい時期だったので、ほんとうに買うのを迷ったんだけど、もうこれは運命だー!とか都合良い事を思って買った(笑)
読んでみてやっぱり、小気味良い文章を書く人だと思った。
やってることはガンプラ作ったり同室の人と喧嘩したりと、なんだかやんちゃな男の人なんだけれど、サクサク書くからカッコよく見えてしまう。
いや、実際カッコいいんだと思う。生き方が。
もっともっと、この人の文章が読みたい。
心からそう思う闘病記だった。
亡くなられたことが悔やまれる。
ガンは若い人に増えてるというから、やっぱり検診はきちんと行かなければな、とも思った。
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友人が読んでいるといっていたので、私も読んでみることにした。本屋にあるのは結構前から知っていたのだが、「ガンの闘病記かあ」という先入観が先にたって、ちょっとしんどいなと敬遠していたのであった。
とりあえず第1弾を読み終えて、気分はがん患者。別に彼は詳しく病気について語っているわけではないのだが、あえて日常生活を綴るという形をとることで、逆にその背後にあるがん治療の大変さが浮き彫りになっているので、私までその副作用のつらさ、点滴のしんどさ、針を刺すのがヘタな医者へのげんなり感を味わってしまうのだ。
つまり、とてもリアルないちがん患者の生活の記録。仕事して、食事して、友達と会って、検査して、点滴して、という感じの。
単行本が出た頃?彼がテレビ番組で紹介されたときに、故池田晶子さんが批判した事件があったらしい。私は知らなくてググッてみたんだけど、どうやら「表現方法」についての世代間断絶と、新しい技術に対する無知から発生した批判だったようだ。つまり「ネットってよく知らないんだけど、なんかおかしなとこなんでしょ?」くらいの認識の人が、ネットを自在にあやつる年代の人間の行動について理解できなかったというだけの話。
池田さんというのは、おうちの中にこもって自分の脳内だけであれこれ物事を考えるタイプの人だったから、たぶんこういう新しい世代の人の行動様式は理解できなかったんだろう。
私にだってちょっとついていけないところもある。だって彼はこのとき31歳だったんだから! バリバリの若者じゃないか。
そう思って読むと、とんがった、自分なりの感性と美学を持った青年の生きた証に見えてくる。
引き続きエヴォリューション、ラストイグジットと読み進める予定。
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基本、闘病記は読まないんだが、この人の文章はネットで知っていて、ときどきなぜかふと読みたくなることがあり、ちょっと読んではやめ、ちょっと読んではやめ、ということをしていた。で、そんなことをしているのなら、と原則を崩して読む。
闘病記には違いないが、闘病記ではない。「怒り、絶望、恐怖、悲しみ、そういう要素は全部オレ一人で楽しむためにとっておく」と書いている通り、内省が意識的に省かれている。ハードボイルドのテクニック。生きるってことは、みたいなステレオタイプはどこにもない。治療して、書いて、ガンダムのプラモ作って、ツーリングに行って、蕎麦食って、喧嘩して、友達や先輩に会って、死んでいく。ほとんど読んだことはないが、闘病記って闘病していないと闘病記にならないんでしょ? でもこの闘病記は、闘病してなくても本質が変わらない気がする。闘生記だ。
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若くして肺ガンを患いながらもあくまで感情的になったり悲壮感を表さずに書かれた日記。なんとも他人事のように読めて違和感を感じるんだけど、余命数年って状況で正気を保つための手段でもあったのだろうか。こう書いて、健康な自分が死に直面してる人間の気持ちを推し量ろうなんてのがどれだけおこがましいかにも気づく。自分よりも少し上の世代なんだけど、脚注に飛び出す言葉がどストライク過ぎて、ところどころニヤリとしつつも、ニヤリを通り越してなんというか鼻に付くというか、気恥ずかしさまで感じた。まあ日記なので当然なのだけど。自分がこの状況になった時にどう生きられるかを突き付けられた気はする。この人の書いた小説があるので読んでみたいと思った。