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全マンガ論というタイトルに違和感。
全マンガ論というほどマンガ論を集めた本ではない気が。
感想めいた文章はあるけど論って言うほどのものか??
ただ、萩尾望都との対談は面白かった、萩尾望都が。
絶妙にかみ合ってない感じの所があってそこがすこぶる面白い。
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正直原理論はさっぱり分からんかった…。
対談が良かった。
印象に残ってるのが、萩尾望都さんとの対談で、
お二人が、「子供の頃友逹としゃべってると、なんか友逹がへんな顔するんだ。」「『あんたは変わってる。』『何が変わっているのか。』『そんな事聞くことが変わってる。』」っていう経験を持ってるというところ。
わたしも、そうだなぁ。だいぶ慣れたけど。多くの人に、何度も言われたことがある。最近でさえ「あなたとまともに会話できる人なんて、いるのかなぁ。」と言われたことがあった。
わたしはそこに、自分の存在への疚しさがある。「人が言うところの『変』なことをしてるわたしは、そんな私がすることは、肯定されるべきことなのかどうか。」と。
どんだけネガティブなんかと言われることを恐れなければ、
「存在していてすいません。」みたいな気持ちが拭えない部分があるのだと思う。「こんな「変」な人間が、教職ついてすんません。」「こんな人間が絵描いててすんません。」みたいな。だいぶ吹っ切れたけど、心のどこかには残っているこの疚しさ。
吹っ切れたのは、彼氏さんのおかげもあるだろう。
「例えば地震が起こった時、あなたは、自分が怪我してるの隠して(なぜならそれは疚しいから。)人のこと手当したりしてそうだから、僕はあなたのことを助けに行く。」と言われたことがあり、なんか、疚しくてもいいんだと、ふと思わされたことからだろうか。
まぁ、変な人間、ってことに関しては未だ、分からずじまい。話すのが、下手なのもある。
気づいてはいたのだけどwわたしは、文の構成を頭に描いて言葉を発している気がする。
自分の中で、こういうことを言おうとしていて、こういう着地点がある、というものがあるのだけど、そしてそれは、別に延々と語るものでもなく、2,3文で終わるようなものなのだけど、一文目を発したところで人は妙な顔をする。我慢強い人は、最後まで聞いてくれて、納得をしてくれるのだけど、せっかちな人は一言目でダメ。「KYだよね。」で終わってしまう。
私が人に伝えることが下手なのを変えないのが一番の問題なのだけど、一言目で結論を言う会話の方法が全てだと考えることには危険性が孕んでいるとも思う。
あと、エヴァンゲリオンに関する大塚英志さんとの対談が面白かった。
エヴァンゲリオンは…「何か引っかかるもの」として、常に頭の片隅に鎮座してるアニメなのだけど、あぁ、そういう見方って面白い、って思った。
エヴァンゲリオンは「終わらない夏」が続いていて、そこに対する不安定さがある。
世界が滅びるかのような不条理極まりない生命体が襲ってくるにも関わらず、ひたすら自己の内部を傷つけられることに敏感な主人公。
※私はそこに、この物語は「大人になんかなりたくない」という訴えが根底にあるのかと思ったりもしたのだけど。
そこに関連して、ひたすら自分にしか興味が向いていない「戦争の中にいる主人公」の中に見る「戦争への軽い感覚。」怖い、と思った。使徒��、不条理な災害に似ている。だから、戦争とは違うのかもしれないけれど、戦うことに何の疑問も持たないけど、何かしらの「戦い」への薄っぺらさ。それに気づかない、そのことを知らない世代に自分は生まれてきたのだということを教えられた気がして、背筋がゾクッとした。
最近そういう面の危機感からか、戦中、戦前の作家さんを読んだりしているのだけど、それもまた悩むところで、「昔」を知ったところで、わたしは、停滞を望んでしまうんでないかと思ってしまう。現在自分に足りないものはないかを模索して、それを昔のものに見出していくことは、前進ではないのかもしれないという不安というか。うーん。また考えたいところ。
一つだけ。
「終わらない夏」への不安から思い出したこと。
祖父の葬儀。8月の暑い日だった。
火葬されていく祖父を待つ間、人数の割に静まり返った親族の集まりの中で、私はじっと窓辺から外を見ていた。
蝉の声が聞こえて、アゲハチョウが飛び、蟻がうごめく。アスファルトからの熱気で、相当の暑さが想像できた。
その様子をうかがいながら、静まり返った室内で、「『死』って、冷たいのだ。」とふと思う自分がいた。
あれだけ生命力のあふれる世界が、ガラス窓一枚を挟んで存在しているのに、自分のいる空間は、まるで死に包まれたかのように、身動ぎもせず、静かで、冷たいものだった。
私は、夏がくるたびに、その皮膚感覚の冷たさを思い出す。
でもそれと同時に、「死が訪れるのであれば、夏がいい」と思った。自分を取り巻く環境に、生命があふれていることが、『死』を、自分の中にぐっと収めてくれる感じが、どうしても必要な気がした。
冬の寒い中、死が訪れたとしたら、もしかしたら私は、『死』を冬の冷たさに拡散させ、その「冷たいもの」と向き合い、心のなかに収めることができなくなってしまうのではないかと、勝手に怯えた。
「終わらない夏」への不安。私には常に、終わらない夏の中に、死のにおいを感じてしまう。
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おじいさんがマンガを読んでいるイメージ。このイメージは特に変わらない。エバンゲリヲンの部分はちょっと面白いけど、これはまあ大塚さん部分のようにも思えるし。
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図書館にあったので、エヴァのところだけ拾い読み。
第Ⅲ部 対談
大塚英志……エヴァンゲリオン・アンバウンド
そんなこと考えてもみなかったよ、という内容。
頭がいい人は、分析もすごい。
社会問題とマンガは結びついている。
村上春樹の作品にもあるけれど、エヴァも母胎回帰の象徴だとか。
ずっと季節は夏。
葛藤なく展開される戦争など、私たちはある意味でエンターテイメントとして消費している。
時代が変われば、人と表現も変わる。
何が良くて何が悪いのか、難しい。