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紙の本
明治維新の鍵となった『関が原の悔しさ』薩摩は分かるが長州はなぜ? という疑問点を解消してくれた1冊 輝元の意地にも感動
2009/08/29 01:21
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:やすのり - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治維新に際して語られる『関が原の悔しさをバネにして』という論調。
薩摩島津氏に関しては良く分かる。敵中突破の見事な退却劇で面目を施し、かつ戦後においても巧みな外交で本領安堵を勝ち取った。「天下人でさえ島津には手を出せぬ」、あるいは「島津勢が1万人参戦してれば西軍が勝っていたかも」。そうした誇りや反骨精神、「徳川なにするものぞ」という気分が家中に残存し、250年後に爆発したのだと言われれば納得はできる。
しかし、同じ論調で語られる長州毛利氏に関しては、どうにもしっくりこない。華々しく戦った訳でもなく、吉川広家は内通、毛利秀元に至っては『宰相殿の空弁当』で失笑を買う始末。改易されず、家が残っただけでも御の字。むしろ家康の寛大さに感謝すべきではないか…
学生の頃に自分の中で形成された、こんなイメージはきっとそんなに間違ったものでは無いのだろう。天下分け目の戦いにのぞむ軍勢の総大将とその一族として、輝元・広家・秀元の行動はベストなものではなかったし、見識や力量においても、徳川家康や本多正信と比較して、一段も二段も劣っていたのだろう。
しかし、年齢を重ねた今、当たり前の会社における、当たり前の仕事においてさえ、判断に迷う問題が次から次に発生し、考え抜いた末の対策が必ずしも成功を約束する訳ではないことを知った。あるいは、100%の善人や100%の悪人などめったに存在しないし、100%正しい意見や100%間違った意見というものも、そんなに多くはないのだと思う様にもなった。
「天下を取った後の徳川家が、膨大な領地と財力を有する毛利家を、そのままにしておくものか。難癖付けて取り潰されるのがオチよ」。本作品において、限りなく100%の悪役、卑怯者に近く描かれている安国寺恵瓊の主張にすら、確かにその通りと思わせる妥当性が多分に含まれている。
吉川広家に関しては、「国と石高を減らした張本人にして毛利を助けた殊勲者じゃ。批難もされ、誉められもするのが妥当である。やはり、許せぬかの」という秀元の言葉に全てが集約されるであろう。
天下分け目の戦いにのぞんで、「誰もが、どうすれば良いのか分からなかった」。その中で120万石の大名家の当主とその一族が、正しく判断し、適切な行動を取ることの困難は想像を絶するものがあっただろう。それでも、広家にせよ、秀元にせよ、安国寺にせよ、それぞれが信念や野望に従って、全力で戦い、謀略を尽くした。
関が原で全力を尽くせなかった輝元の戦いは戦後の内政にあった。徳川家からの過酷な要求や、罠に屈せず、家臣・領民一丸となって、国を富ませ石高を向上させた。元就の「やればできる男」という輝元評は間違いではなく、そして終には家康をも感嘆させて…
毛利が250年後に爆発させるべき『何か』が、関が原を通じて培われたことが納得できる1冊である。
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