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我々が信じてる<運命>とは、天下り式に手渡される絶対権力のメタファー。それこそが<シラミ>であり、ラスコーリニニフの思想的殺害相手だった。
しかし殺人は殺人。妄執から現実へと魂が引き裂かれる。
さて、光文社新訳文庫によりリハビリはこれくらいにして、そろそろそれ以外に入ろう♪
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なるほど名作。エピローグがほんとうに感動的。涙が出そうであった…。涙を誘う場面がたくさんです。カテリーナさん、プリヘーリヤという二人の母たちの場面はどっちも涙目でした…。
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以前から読みたかった「罪と罰」。亀山訳のドストエフスキーは初めてです。
最初は慎重に読み始めたのですが、どんどん加速度的に面白くなってきて、前のめりに読み進めることに。
上・中・下の3巻なのでさすがに時間はかかりましたが、それだけの価値は十分にありました。
大学に通わなくなったラスコーリニコフは、せまくて汚い下宿の部屋で鬱々としていた。
心を占めるのは、「あれ」を実行すべきか否か。
彼は、「あれ」を実行することで、越えるべき一線を踏み越えることができる、と、確かめるべき何かを確かめることができる、と信じていた。
そして、ついにその時が来る。
主人公の心情をありありと表現する描写の見事さ、
次々と登場する人物たちの生々しいまでの人間くささ、
そして、読み手をひきつけたまま展開していく物語の力強さ。
すごいです。
何よりも、エピローグを読み終えた時の解放感が初めての感覚。
解放感というか、「許された」ような感覚。
また、「カラマーゾフの兄弟」を読んだときにも感じたのですが、
登場人物たちの暑苦しいまでの人間くささと、感情的な言動を、うらやむような気持ちになるのが不思議。
物語の背景をわかりやすく説明し、かつ、読者の主観に立ち入らない、巻末の読書ガイドもいいです。
そのうちまた読みたい。
「カラマーゾフの兄弟」(原卓也訳)より面白かったのは、話自体が面白かったのか、それとも亀山訳がよかったのか。
それは、亀山訳のカラマーゾフを読まないとわからない、ってこと?
こちらもチャレンジせねば。
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110303*読了
ついに読み終えてしまいました。
最後はとうとう…。でも少し光がさすような終わり方でよかった。
ほんとに、ドストエフスキーの作品には引き込まれてしまう。夢中で読みました。頭の中が無の状態で、ストーリーがどどどっと流れ込んで、展開していく感じ。
混沌とした世界の中の秩序。今、ふとそんな言葉が頭に浮かびました。
ドストエフスキーはどうしてあんなに長々と文章を書けるのだろうか。でもそれがうっとうしくならなくて、むしろその手法にハマってしまう。
好きです、ドストエフスキー。
中巻以外は亀山さんの訳で読んだのですが、現代らしく訳してくださっていて読みやすかったです。最後の読書ガイドも好きです。
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デスノートはこれをもとにしてるんじゃないのかなああ
すっごい面白かった。主人公がイケメンだと想像が絵みたいにわいていいよねー
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岩波文庫版は2回読んでいるが、亀山訳の光文社古典新訳文庫で読み直した「罪と罰」。
読みだすと全3巻一気に読んでしまう、ドストエフスキーの面白さは何度読んでも格別。
若い頃に読んだ時には、「罪」を受け入れられないのは、頭でっかちになってしまったゆえの不幸なのかと感じていたけれど、今読むと誠実過ぎるゆえなのだなと感じたり。
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まずは長い。そして難しい。以前までのものよりも亀山訳は読みやすいというが、やはり読みにくい。昔の外国作品の日本語訳だからしょうがないか。肝心の中身だが、かなり深く、かなり考えさせられる。いわゆる「事件」は物語のしょっぱなに起こる。あとは主人公の思いが続く。葛藤や自己陶酔や優越感や反省や、様々な感情が交錯しながら進んでいく。気になったのは、「能力のある人は、能力のない人を殺しても良い」という旨の下り。確かにそうかもしれない。歴史ってそういうものかなと思った。
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当たり前だけど小学生のときとは全然違う感想を抱いた。
自己嫌悪の物語ではない。葛藤は葛藤でも、社会や周りの人が許してくれるかとか、神に許されるかとか、そういう問題ではない。高い思考力をもったばっかりに苦しむラスコーリニコフ。自己の存在と意思と恐怖とのたたかい。
エピローグで、彼は突然変化する。なんともいきなりだなと思ってしまったけれど、最後の一瞬がそこで訪れただけで、本当はいろいろな影響を受けたり考えたりしながら少しずつ積み重ねていたのかな。
自分を変えられるのは自分だけ。現代にも、というか現代にこそ通じそうな話に思えてしまうのは人間性の普遍的な問題を描いたドストエフスキーの力なんだろうか。
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「あなたは、なんてことをなさったの、なんてことを、ご自分にたいして!」
(中略)
「いいえ、あなたより不幸な人は、いまこの世にひとりもいない!」
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ふたりを蘇らせたのは、愛だった。おたがいの心のなかに、相手の心に命を与える、つきることのない泉がわき出ていた。
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最終巻!とうとう来ました!
うわーーやっぱ最終巻がいっちばん!読み応えあり!濃密!
ラスコーリニコフ……!こやつが本当の意味での罪を自覚することはできるのかな、と思って読み進めてはいましたが、…深い。
ラスト、魂のすごく奥深い部分が揺さぶられました。
やっぱり、ソーニャさんがいちばんすてき。神々しひ。
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面白くて一気に読みきりました。
終盤ではラスコーリニコフがどうやって再生するのかどきどきしながら読みすすんだんだけど、
「彼女の信じることが、いまこのおれの信じることじゃないなんてことがありうるのか?彼女の感じること、彼女の意思、それだけでも。。。」
これだけなのかあ。。。ソーニャは何故、彼を愛することができるのか。。。
すっきり得心がいかない。
もう少ししたら一度読むつもり。
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私たち人類は「豊かになれば幸せになれる」と考え、多くの努力をして現在の文明社会を築いてきたわけだけど、そしてその結果として確かに「豊かに」はなったはず(と言うよりは「少なくとも日本人は極貧からは脱却できた」はず)なのに、相変わらずラスコーリニコフと同じような「追い詰められた心理」から犯罪に走る人間が後を絶たないのは何故なんでしょうか??
ラスコーリニコフを追い詰めた予審判事ポルフィーリーが
「あのばあさんを殺しただけですんでよかった。 べつの理屈でも考えついていたら、一億倍も醜悪なことをやらかしていたかもしれないんです!」
と語っているけれど、この「一億倍も醜悪なこと」というのはいったい何でしょうか?? 私たち一般人(普通の人)にしてみれば「あのばあさんを殺した(≒ 殺人)」というだけでも十二分に醜悪なことだと思えるけれど、その一億倍も醜悪なことって・・・・。 そしてその「一億倍も醜悪なこと」を今の私たちが犯していないかどうかは「どうやって」、「誰が」判断できるのでしょうか??? 例えばそれが「文化的な生活を営むためのやむを得ない自然改良(破壊?)行為」のことではない、「原子力には手を出さない」ということではない、「遺伝子操作には手を出さない」ということではないという保証はどこにあるのでしょうか??
上に挙げた例はどれもこれもその道を選ぶにあたっては「何等かの正論」があるわけで、その「何等かの正論」とラスコーリニコフの「極論」の間にある差は「1人勝手な理屈なのか」「それなりの議論を経ての結論なのか」ということになるわけで、「それなりの議論を経た」というところにせめてもの「保障」があるわけだけど、その議論がどのように選ばれたメンバーにより、どんな手続きで行われたのかは不明なことも多いわけで・・・・・・。
(全文はブログにて)
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辛いときには幸せな物語を読むより、同じように辛い物語を読む方が救われたりするので一気に読んでみました
ラスコーリニコフの考えは完全に理解するのは難しいけど、似たように苦しんでる立場だったりするとポルフィーリーに追い詰められる辛さや、大切なのに疎ましく思ってしまう家族や友達への感情は痛いほど理解できた
それにしても彼はあれで救われるのでしょうか?
でもどんな状況になっても少しは希望は見えるものなんだなぁと思った
最後の一行は私も気に入ってます
(2023/10/25:再読)
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訳が読みやすくなっているのはよく分かりましたが、
心理描写が多すぎて、現実で何が起きているのかよく分からない。
が、主人公がウダウダしている時や、ジワジワ来る恐怖感の心理描写は
すごい。
読むと重い気分になるので、再読はしばらくしてから。
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自分は凡人の権利を踏みにじることが許される天才側の人間だと思い込むことは罪ですか。
英雄気取って流した血に、自分は只の凡人でしかないと気付いて絶望し葛藤し苦悩するのは罰ですか。
そんな現実に、精々傷ついて頭を冷やせばいい。
ラスコーリニコフには、彼をするソーニャがいて、彼を心配する家族がいる。
そんな平凡な幸せがすぐ傍にあるのに‥。
人を殺めた罪が消えることはないけれど、然るべき罰を受けることは無駄じゃない。
私にはまだ難しくて理解しきれていない気がするから、いつかまた必ず再読します。
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ドストエフスキーは文章が冗長ぎみなところがあるが、ある点を境に一気に面白くなる点が魅力かと。罪と罰で言うと、2巻の後半あたりがその境目かな、と個人的には思ってます。(勿論これは人によって大きく変わりますが)
3巻に突入すると話はクライマックスへと加速し、ストーリーがある程度理解できていれば、ページをめくる手が止まらなくなります。
時代を越えて読まれる作品なので、主人公ラスコーリニコフを中心に描く人間ドラマを、悩む事の多い現代人として是非手にとって欲しいですね。