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主人公、ラスコーリニコフには特有の思想がある。それによれば、世の中には2種類の人間があり、
ナポレオンのような超越者は、それ以外の人々の命を奪うことも許されるという。彼は、その考えに基づいて殺人を犯す。このくだりはあまりにも有名なので、今更語ることでもないかもしれない。
そうした思想と行動にも関わらず、彼の行動は場当たり的で、まるで一貫していない。本物の超越者であれば、殺人は大義を成すための手段に過ぎないはずだけれど、彼の殺人は自己目的化していた。こう書くとなんだかサイコパスじみているけれど、実際はそうじゃない。経済的困窮や妹の不幸な縁談で精神的に追い詰められた彼は、それを打破することを殺人に託したのだ。でも、彼は超越者たりえなかった。彼の本質は善であり、冷徹なナポレオンにはなりきれなかったのだ。本当の超越者であれば、妹の金で学業続けて成功を掴めば良かったわけで。そういうところが彼とスヴィドリガイロフの違いだったのかもしれない。
面白いのは、『罪と罰』というタイトルだ。エピローグにおいてなお、彼は自らの思想への執着を示す。一連の事件の罪を、自首をしたことで成功を掴み損ねたことであると総括する彼に、本当の意味での罪の意識はまだ芽生えていない。刑事罰はあくまでもシステムであり、彼の本質を裁くものではない。この構図において、物語にはまだ罪も罰も存在しないという事になる。
一方で、エピローグでは、彼とソーニャの人間的な再生の予兆とそのための償いの存在が示唆される。彼が罪と向き合うのは、彼が人間としての再生を迎える「新しい物語」においてなのかもしれない。
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やっと、読み終えました。古典文学作品を読んだのは初めてですが、とにかくわたしには難しかった、というのが感想です。
訳者解説を読んでもよく分からず、みなさんのレビューを読んで内容を補完している状態です。
登場人物の名前がややこしかったり、呼び名がたくさんあったりするロシア語の特徴がまたわたしの頭を混乱させて。。
悔しいのでいつか、また気力が出たら1巻から読み返したいです。
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“すべては、人間がどういう状況にあるか、どんな環境にいるかにかかっています。すべて、環境しだいなんですよ、人間それじたいは、何ものでもない。”(p.29)
“要するに、変にこざかしく考えないことです。あれこれ考えず、人生にすなおに身をまかせることです。心配はいりません。岸までそのまま運んでくれますから、二本足で立たせてくれますから。どういう岸、ですか? いや、それはわたしにもわからない。”(p.250)
“すべての原因は、自分のおぞましい環境にあった。それは、極貧と、すべてからの孤立であった。”(p.430)
“「でも、もうこれでいい。ぼくは、こうして、ここから始めなくちゃだめだって、そんな気がしてたんですよ……」”(p.383)
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極限に追い詰められた男の姿、心象風景に飲み込まれる。
ラスコーリニコフと共にした数日間、常に夢の中にいた様。
物語に圧倒されると言う稀有な体験。
凄まじかった。
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最後の一文で鳥肌が立ってしまった。
なんか、気のせいか分からないけど、3巻だけ一気にいろんな感情が押し寄せる。1巻2巻は、ラスコーリニコフの陰鬱とした心の中での戦いがメインだったのに、3巻に入ると今まで出てきた人達が伏線を回収するかのように一気に押し寄せる。
ラスコーリニコフの弱さ、独白のシーン。わかる気がする。
弱くて仕方ない自分をどうにかしたくて、それで一歩を踏み出したくて、それが殺しの方向に向いてしまった。
そしてソフィアに独白するシーン、良い。不幸な1人の女に縋り出す感じが、凄くいいし、初めは崇高な目的の元に独白していたはずなのに、自分の弱さをどんどん曝け出していくシーンが心を打つ。なんか、悪人って映画を観た時もそんな感情になった。そしてシベリアまでついてくるソフィアが、救いになるのも綺麗(?)な終わり方だなと。
スヴィドロガイロフの醜悪さ、なんで自殺した?と思ったが、ラスコーリニコフと対比させてるのだと解釈。ラスコーリニコフは自首という道を選んだが、救いが差し伸べられなかったスヴィドロガイロフは死ぬ道を選んだのだろう。
初読のため、かなり浅学で感情的な感想を書き連ねてしまったが、読み込めば読み込むほど裏に込められた意図が現れてくるのだとも思う。だから名作なのだと感じる。
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世の中の不条理を受け入れられず、神に反逆してまで自らが一切を超克する絶体者となろうと考える人間の本質的罪深さが一つのテーマとなっている本作は絶望に満ちた21世紀を生きる私たちこそ読むべき書物であると思います。
世の中の不条理と虚無を目の当たりにしたとき、私たちはついつい「神は死んだ、然るがゆえに一切は許されている!」などと考えてしまいます。しかし、私たちは神の創造物であり私たちの罪は神の一人子イエスの死によって赦されたはずです。世界が如何に不条理であろうとも私たちは皆無条件に神に愛されているのであり、私たちは神の愛だけを信じて生きていかなければならないはずです。
神の愛に背き、神が造られた大地を血に染めたこと、これがラスコーリニコフの道徳的罪であると考えます。しかし、神は彼を愛しています。その証拠に、イエスの化身ソーニャが彼をその深い愛によって救済へと導きます。彼はソーニャを通して神の深い愛を知ります。正に、二巻で語られたラザロの復活の如く、ラスコーリニコフも神の愛により復活をとげたのです。彼はこれからとこしえに神の愛を受けながら、愛するソーニャと新たな生活を組み立てていくのでしょう。
どんなに絶望と苦痛に満ちた人生でも常に「神は私を愛している」と信じること、これが救いに繋がるのだと思います。「どんなに先の見えない闇の中にいようとも、神はきっと一切を可能ならしめる、だから私は神を愛し、神の愛を信じる。例え社会がどんなに憎くても復讐は私の業ではない。復讐は神のなさること。神を信じ、道を清くすればきっと神は愚かな人間達に罰を与え、心清く生きる人間たちに祝福を与えてくださる。」と信じて生きていこうと決心させるような小説でした。私は初めて本作を読了したとき涙が止まらず、気が狂いそうになるほどの感動を覚えました。もしも今、人生の不条理を憎み、何もかもを投げ出そうとしている人がいたら是非この小説を読んでみてください。「神は私を愛している」という真理を感じとることができるはずです。
非常に稚拙な文章ですみません。
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古典文学を読むのが初めてで、人の名前とか愛称が変わるところがなかなか読みづらく、読み終わるまでに長いと思ってしまった。
名作として残っているだけあって考えさせられる内容だったとは思う。
人を殺すのは悪いことなのか?世の中に蔓延る悪い奴らを殺すことも?
(ラスコーリニコフが殺したのは世の中の為を思ってが何割くらいあったかはなんともいえないが)
最後、彼は愛を知る。という神の救いには感動した。
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初のロシア文学。やはり世界に名だたる最高文学だけあって読み応えが半端じゃなかった。困窮した生活や屈折した感情が起爆剤となり殺しに手を出してしまう主人公。時間が経てば経つほど罪の意識が重圧となり正常な状態ではいられなくなっていく。個性激しい数多くの登場人物との交際を通じて変転しゆく精神の有り様。しかし大切な人々へ向けられた愛は決して変わることがない。のっぴきならぬ状態まで追い込まれた果てに導き出される境地に見事感じ入ってしまった複雑な人物図や小難しい背景知識が根底にあるために所々で混乱をきたすが、それでも最後まで心を掴まれた。重厚な筆致で描き出されたある夏の出来事。罪を犯してしまった者の内面描写、周囲の外的要因が掘り下げられ、我々読者の常識をも覆す概念の数々が露わとなる。厳かで神聖不可侵、それでいて途轍もない面白味を兼ね備える。これをマスターピースと言わずにはいられない。ドストエフスキーが手がけた史上最も素晴らしいテクスト。ロシアへの教養を深めた上でこの先何度でも読み直してその真髄を噛み締めていきたいと思えた。
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まず小説のバックグラウンドに圧倒される。宗教や当時の情勢さらには以前の文化へのオマージュなど小説のすごさを再認識した。
貧乏であるが自分のことをone of themだと思っていないラスコーリニコフが一線を超えた後の苦悶が小心者の自分に突き刺さる。功利主義的に考えるならばラスコーリニコフの行為は正しいのかもしれない。しかし、彼の身体は耐えらないのである。また、彼の家族や友達は罪が明らかになりつつあるときに彼を支えつつ、罪を償うことを促すのである。この優しさと対比的に公権力に所属するものや金のある者は弱者に冷たい。ラスコーリニコフは殺人を犯したが、弱者を気遣うし実際にも助ける。彼は尋常じゃないくらい苦しむが弱いから自殺ができない。どうすることのできない彼の無力さと弱さに世の絶望を感づかずにはいられない。
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1人の青年の破滅と再生を描く作品 「優れた人間が世のために行う殺人は正当化されうるか」というテーマを取り扱っている。 ドストエフスキーの作品全般に言えることであるが、とにかく登場人物のバラエティの豊かさに驚かされる。 どんな作品でも、登場人物は大なり小なり作者の影響を受けるため、なんとなく共通した雰囲気を持つキャラクターで構成されることが多いが、これほどまでに登場人物の個性が独立しているのは、ドストエフスキーが天才と言われる理由の一つだと思う。
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エピローグの最後の段落を何度も読み返してしまった。
世界的名作。読み応えがとてつもなかった。
余韻がすごい
「読書ガイド」・「訳者あとがき」も良かった
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最終巻。もう出だしからめちゃくちゃ面白い。ルージンがうまく立ち回ろうとして逆にやられちゃうという。レベジャートニコフグッジョブ!気持ち良かった!!
その後はカテリーナの場面でしんみりして、推しのスヴィドリガイロフの退場シーンでは息をのんだわ。やっぱりドゥーニャが忘れられなかったのか……。
もう、めちゃくちゃストーリーが面白いんですけど!! ドストエフスキー先生最高っす!!
ラストもいいよね。ラスコーリニコフにちゃんと未来がある感じがいい。この展開で読後感がいいのスゴイよな。
いやぁ、罪と罰、めちゃくちゃ楽しかったです。全3巻十日ぐらいかけて読んだんだけど、めちゃくちゃ濃い十日間だった。
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ソーニャを陥れようとしたルージンの負けっぷりに喝采する。もっとやれ。
ソーニャの義母カテリーナの発狂の描写が凄まじい。巻末読書ガイド3「年金制度のモチーフに隠された何か」を読むと、悲しみは疾走し、涙はそれに追いつけない。
ラスコーリニコフの母プリへーリヤも静かに発狂する。わが子への盲愛が胸を打つ。
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『罪と罰』に関して備忘録的に箇条書きで残すこととする。
・この小説にはモデルとなったゲラシム・チストフ事件というものがある。
・主人公ロジオーン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ(POIMOH POMaHOBHY PACKONBHMKOB)は頭文字がPに揃えられており、3つのPを反転させると666、すなわち「ヨハネの黙示録」(13章18節)に示される獣の数字が現れる。
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さて、この複雑で面白いたくさんの登場人物たちとラスコーリニコフというトンデモ青年の物語を読み終わって、思い上がり青年の無謀な殺人は、本人の罪だけでなく、家族はもちろん、周りの人たちをも否応なく巻き込む複雑なストーリーになるのだなあ、と。(名作なれば)世界中の読者も「これは何なのか!あれは何だったのだ!」と懊悩するのだよ。
主人公の名前ラスコーリはロシア語で叩き割るの意味だそう。さすが主人公…、名に恥じない!?
似たようなことは現実世界にもあった、ありますね。それを19世紀に予言したドストエフスキーは偉い。
トルストイもそうだけど、その他大勢のロシア近代文学者の作品はとても奥深くすごい、近代文学の祖ですよ。その発祥の人々の国!!
と言っていてもしょうがない。
物語のご本人さんが反省したのだから、その後どうなるのはわからないけど、一応終わったと思いたい。
しかしこの作品、読みどころが多くてね、3回ぐらいでは読み切れないのもほんとう。