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「学校制度は画一的で個性を潰す。だから市場化しなければならない」というお決まりの言葉に待ったをかける一冊。
戦後日本の義務教育制度は6・3制という、先進的である意味実験的な挑戦をした。
その際に最も問題になったのは、教育資源の配分、それによる学力格差の問題だった。
1930年代は1教師が平均63.5人の生徒を受け持っており、80人を超える県もあった。
この教育条件の貧困さは教育資源の配分の問題で、戦後各地方自治体間の格差を是正するため、1952年に義務教育費国庫負担法が制定された。
最も小さな単位である学級間の教育条件に格差を作らないため、「標準法」が制定され、資源配分が細かく設定され、執行された。
我々はすでにそれが行き渡った、「自明な空間」を生きていて、だれでもどこでも同一の教育を受けられることが環境であるかのように感じている。
だから、「画一的な教育はいけない」といった時に、これらの環境を維持している制度設計などは意識されず、知らずうちにそのシステムを壊してしまう可能性がある。
新自由主義が邪悪なのは、これらのシステム、つまり富の再配分制度に「ボロ儲け」の匂いを嗅ぎつけ、食らいつこうと舌なめずりをしながら擦り寄ってきていることだ。
一見「個の教育は市場経済化によって行われる」というときに、現在の環境が作られている資源の再配分制度が意図的に見落とされている。
再配分されるはずの富が、新自由主義論者によって換金されるのだ。
今、この歴史を振り返り、今後の教育を考えるときに、現在の環境がどのように生成しどのように機能しているかを見直し、単にそれらに対する攻撃が「個の平等」をもたらさないこと、と言うよりもむしろ「落下」を促進させることを強く意識しなければならない。
必読の書だと思う。
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高知大学OPAC⇒ http://opac.iic.kochi-u.ac.jp/webopac/ctlsrh.do?isbn_issn=4121020065
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大衆教育社会はいかに生成したか
「大衆教育の行方」の続編らしい
日本の教育はどこで道を誤ったのだろう。
戦後の出発時点でボタンを掛け違えたというところもあるのだろうが、少なくとも私が小中高校生だった頃までは正しく機能していた気がする。
本書では文科省を中心とした国策及び学校の問題として捉えているが、家庭の問題の方が大きいのかも知れないと常々思っている。
決定的な解決策は無いのだが。
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2009年刊行。戦後教育における資源分配(税金配分)に焦点をあてつつ、戦後日本の平等神話の内実を明確化しようとするもの。苅谷教授らが切り開いた数値を根拠に教育問題に切り込む方法論の集大成とも言うべき書籍。が、結論は驚くほどのものではない。つまり、かつて存在した地域間格差(格差是正が重要な政策課題でもあった)が逆転し、財政的に豊かな地域なのに一人当たりの教育費支出が小さくなり、地方財政と学力問題との関連が消滅した。かかる教育費支出の累進性は、教育的空間(教室)の平等を志向する日本的平等観と符合したものと理解
かかる「面の平等」・「教育資源の均質化」の方向性が教科書検定制度や施設の均質化で具体化したものであると見るのだ。
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階層を勉強したいならこの本!大学時代、"JPN Sociocaltural Stratification"っていう授業で使った!超面白い!英訳あり。