紙の本
格好の入門書にして深い読解への手がかり
2010/02/16 23:21
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る
昨2009年は、村上春樹『1Q84』に沸いた1年だったと言っていいだろう。それは、狭義の読書界にとどまらず、もはや社会現象とまで呼ぶべきスケールで展開された。すでに第三巻の予約も始まっており、まだまだ村上春樹『1Q84』旋風はおさまることなく続いていきそうである。もちろん、そこには、世界的に話題になったエルサレム賞受賞や、品切れが続出するという販売戦略(?)もあったはずだけれど、やはりここまで『1Q84』が売れ、騒がれ、読まれ、語られているということの根因は、小説それ自体の「力」によるものだといえよう。エンターテイメントとして面白いばかりでなく、様々な歴史・宗教・サブカルチャーが取り込まれつつ、普遍的なテーマも盛り込まれ、そして何より「村上春樹らしさ」がちりばめられている『1Q84』は、評価は措くとしても、現代において重要な小説作品であることは間違いない。
とはいえ、そうした様々なソースや相貌を抱えこみ、複雑に構成された『1Q84』を読み切る、理解し尽くすことはそれゆえ難しい。『1Q84』ではじめて村上春樹を読む、あるいはエンターテイメントとして読んでも謎が多いし、これまでの村上春樹ファンにとっても、その新境地をどのように読むかは、決して簡単なことではない。そうした『1Q84』であるから、新聞・雑誌・TVでのコメントや論評はもちろん、すでに何冊もの「『1Q84』解説本」が出版されている。その中でも本書は、複数の観点からすぐれていて、どのような読者(『1Q84』への好悪や、村上春樹読書歴の長短など)にとっても、その興味に応じて格好の導き手となっている良書である。
何より、様々な立場・業界の人が、それぞれの興味で『1Q84』について書いた文章が並んでいる点が魅力的である。そして、それぞれの文章が短いことも、読みやすく、各論者の観点が端的に示されていてわかりやすい。さらにいえば、各論のタイトルもまた、『1Q84』の多様な相貌を照らし出していて、本書自体も興味を惹かれる構成になっている。そうした意味において、本書は『1Q84』への「格好の入門書にして深い読解への手がかり」といってよく、類書を超えたクオリティを低価格で実現した良書といえる。
投稿元:
レビューを見る
35人の「1Q84」の解釈が書かれた本。
私は「1Q84」を読んでいて興味深かっただけでその奥に暗示されたことを何も読み取れなかったから、「?」と思った事をひとつでも解決すべくこの本に手を出した。
だいたいの人に共通している(のでおそらくは村上春樹もそのつもりで書いたのであろう)内容は、
・リトル・ピープル=“システム”
・青豆の章は天吾が後に書く小説!!?
→だからたまにチンプな文章があったり寒い表現があったのかも笑
・ふかえりは綾波レイ(エヴァ)を連想させるようにできている!??
・「さきがけ」はオウム真理教orヤマギシ会がモデル
・「1Q84」は魯迅の「阿Q正伝」からも着想を得ている
・章構成は音楽にならっている
かな。
>二つの物語は決して交わらない。関係性において生き残るのは男(天吾)と娘(ふかえり)だけです。生(性)と死が鮮烈に対比される。
>だけど青豆は物語の構造上、生き残ることができない。青豆は物語の構造に、システムに殺されたのです。
>システムはわれわれの存在にかりそめの「女性性」を上書きする。精神分析的な用語法に従うのなら、「女性」とはあらゆる記述可能な「本質」を欠いた表層的=身体的存在である。
>コミュニケーションにおいては、常に本質でなく、身体性が要請される。そこで重要なのは「メッセージ」よりも「つながっているという事実」であり、「内容」よりも「空気」であるということ。
>「ドウタ」とは“マザ(実体)の心の影”であるという。つまり、分身である。天吾の「ドウタ(分身)」が入っているはずの「空気さなぎ」に青豆が入っていたということは、青豆が天吾の「ドウタ(分身)」であるということを示している。
>青豆が生きる「1Q84」の世界とは、天吾の書く小説の中の世界である。
>青豆が天吾の分身であるという「空気さなぎ」が示す事実は、この2人の「小説家」と「小説の登場人物」という関係性をあらためて示している
>村上さんは早稲田に七年いたようですが、その在学期間のあいだに、早稲田大学の教授だった新島さんは、大学を辞め、ヤマギシ会に入って行きました。
>BOOK1、BOOK2ともに24章ずつ均等に形成されるという、バッハの『平均律クラヴィーア曲集』と同じ構造で書かれていることは、作中においても暗に示される。「十二音階すべてを均等に使って、長調と短調でそれぞれに前奏曲とフーガが作られている。全部で二十四曲。第一巻と第二巻をあわせて四十八曲。完全なサイクルがそこに形成される」と。
千野帽子のページと大森望×豊?由実の対談が堅苦しく無くて笑えるつっこみもあって楽しんで読めた。
他の人は評論文て感じで堅いからさすがに35人となると飽きた笑
以下は深読みかもしれないけれど「なるほど」と納得できた解釈。
>青豆という名前はとてもいい。小説の分析はまず主人公の名前に込められている象徴を読み解くことから始まるとブラックウェルがいってるけど、もうこの名前を見ただけでこの長編小説の全体が女性のイニシエーションの物語って、すうっとわかってきちゃう。青豆って、枝豆とか、サヤ豌豆とか、似てるじゃない。子の彼女は痩せていて、背が高くて、左右のオッパイの大きさが違うということをいつも気にしている。これって、枝豆を茹でたときによくあることじゃない?サヤの豆の大きさが違っていたりするって。青豆と天吾は同じ豆のサヤに入っている、大小のおっぱいなんだよ。
>いつの頃からか、村上春樹はいつ終わるともしれない「大きな物語」を書き続けているようだ。それを可能にしているのは、村上春樹の自己神話化である。村上春樹はかつての小説を新たな小説の神話=プレテクストのように機能させて、かつて使ったいくつものパーツを「引用」しながら新しい物語を書く作家なのである。
投稿元:
レビューを見る
『1Q84』以外の本も読まないといけないと思った。
村上春樹の集大成なのだな。
20091101
投稿元:
レビューを見る
BOOK2まででは、はてながいっぱいなので読んでみた。
みんなホントに理解できてて、おもしろくて、売れてんのか、そこんところどうなのよ的なかんじで・・・
で、いろいろ深読みしている人もいるみたいだけど、結局、わけわかんなくてもありということで納得。
と同時に、なんで自分が村上作品を敬遠してきたのかもわかった。
投稿元:
レビューを見る
自分自身の読みを深めるために読んでみた。発売後間もないことで粗い内容もあったが、続編(Book3)を大方の人が予想していたのはさすが。10.6.27
投稿元:
レビューを見る
2011/06/17読了
「1Q84」について、文章の中身、用語、キャラクター、過去作品、著者の背景やスタイルやら色々
様々な面から35人の意見があるが、実に35人35色である。
好意的、批判的もまた様々。
平野先生が言っていたようなことも、私が思っていたようなことも書いてあった。多い意見では「村上春樹はどうしちゃったんだYO!」っていうやつ
とまあ、この本についてはこんなところかな。
読んでいて新しい発見や思うところもあった。面白いのはこの本は、BOOK3の存在がまだ分かっていない、BOOK2でぶつ切りにされていた頃に出版されていたものなので、BOOK3は出るのか、出すべきだ出さないべきだという意見然り、「青豆が死んだ」「これは天吾が書いていていた物語だ」という読みもあり(特に青豆死亡説から論理が展開されているものが多いのだが)
BOOK2までの知識ではそうとしか考えられないというのも分かるなあ。
実際にBOOK3のそこにあたるところまで「1Q84とは点吾が作っている長編で、1984と1Q84の青豆が居て、パラレルワールド的な表現をあちらこちらに展開してるからとってもわかりにくいんじゃないか?」とか「てか青豆さああああああん!」とか自分も思っていたし。今となってはミスリードもええとこですね。
1Q84 BOOK2で青豆は死んだと述べた人はBOOK3を読んだりしたのだろうか。
(どうでもいいけれど、「砂時計」が出てきたことは少し嬉しかったです。うはは)
村上春樹のスピーチやスタイルがどう生み出され反映されるかとか、あの村上龍とのコンビとか、面白い意見もありき。
村上春樹の日本における立ち居地というか、そういうもんを良く見るのが重要なのだとも考える。
続刊にたいしての考察とかないかなあ。こないだのスピーチもあるから材料は揃っていると思うのだけれど。
投稿元:
レビューを見る
題名どおり『1Q84』についての評論集。35人の評は多彩です。敷居の高い文章、難解な文章、読むのがめんどくさい文章などなどもあり、全部読み切るのはいつのことやら。でも自分が5つ星をした小説についての様々な捉え方はとても興味深くておもしろい。図書感派の私がめずらしく購入。最初の加藤典洋さんの文章に深く感銘を受けました。とても好きな評論家です。加藤さんがおっしゃるように、1Q84はまさに桁違いのスケールの世界文学!だと思う。
投稿元:
レビューを見る
加藤典洋、島田裕己、内田樹、沼野充義、豊崎由美ほか書評の世界で著名な方々の評論です。青豆が天吾の中の作中人物?などという推測とか、天吾が新しい「さきがけ」のリーダーになる予兆がふかえりとの交わりだとか、ふかえりと天吾の間に存在する「あざみ」が今後どのような役割を果たすであろうという予想とか、考えもしなかった視点を教えられ、「へぇ~」の連続でした。正にこの本が日本の普通の小説の域を超えて、ドストエフスキーの小説にも比すべき存在になっているのだと思いました。春樹氏の昨年のエルサレム賞でのスピーチの反響は「世界の村上」だからこそだったことが、改めて納得いく思いです。
投稿元:
レビューを見る
一つの作品にこれほどの文芸時評が集まることは稀だ。
『1Q84』はお祭りだが、こういうことでもないと批評は商品たり得ない。
この手の本はどうしても、賛成寄りの意見がかなり紙幅を占めることが多い。
これだけ賛否両論が忌憚なく出てくる批評本も珍しい。
読者それぞれの思いに近い評があれば、なるほどと膝を打つ評もあるし、それ誤読じゃないのと思う評もあれば、踏んづけたくなるような評もある。
それだけでも、まともな時評本となっていると思う。
一つ問題があるとすれば、『1Q84』が完結していない可能性があることか。
この本をきっかけに「批評というものがあるんだな」と思わせたら、この本の目的としては正解であると思う。
投稿元:
レビューを見る
ふかえりが逃げ出してくるもんだいのカルト集団はこの長編小説では大きな意味を占めている。それはヤマギシかオウムか、それは意味がない。
ユダヤ人は歴史的に被虐民族だった。それが20世紀にはパレスチナ人を加害している。
ナチスの本質とは戦争のための戦争、自らをも含む死と滅亡が一致する絶対的瞬間へ。トーマスマンは速くから予言していた。
投稿元:
レビューを見る
村上春樹はお祭りが終わってからひっそりと鑑賞するのが好きなので、遅ればせながら先日、book3まで読んだのだが、今この評論集を読むと、book2までしか読んでないのにこんなに騒いじゃって、お前らもちつけ!と言いいたくなる。そもそもbook2というからには最低でもbook3が出る可能性が高いわけで、book2で完結させるつもりなら上下巻にするだろうよ。でも自分もこの祭りに参加したかった気もしないでもない。
投稿元:
レビューを見る
数多くの人が1Q84について感想を述べたが、何人かに共通した印象を纏めると村上春樹の書くファンタジーはどうもご都合主義で、空気さなぎを評した作中の言葉を引用すると怠慢にあたるのではないかということだった。確かに、村上春樹の小説は基本的に一つの事象と一つの事象が絡み合った形での流れや文脈を重んじ、静的な構造についてはあまり重視していないように思える。豊崎由美の言う通りSFやミステリーでは話にならないレヴェルの矛盾があちこちに見られる。にもかかわらず、村上春樹が言うように1Q84が「総合小説」として、少なくともその片鱗が表れている小説とて見られるのはどうしてだろうか。また、ここまで読者を引きつける要因は何なのだろうか。書評の中に、1984以前は学生運動なりなんなり具体的な世間のある種の象徴が見えていたがそれ以降は宗教や資本主義社会が作り上げた構造のせいで弱者たちの叫びが埋め立てられてしまった、そしてその代弁者として1Q84が現れたのだとかなんとか。あちらの世界とこちらの世界が地続きで存在している時、それはパラレルワールドではなくただ単にあちらの世界であるということが別の世界の可能性というものを感じさせるうんぬんかんぬんとかなんとか。
そういうことが言われているが結局答えは出てこない。答えがないということは読者に読者なりの解釈を任せることになるか、あるいはよく分からないと匙を投げられるかのどちらかになる。私自身もこの小説を読んでいる時、生まれてこのかた感じたことのない感覚に襲われた。それは敢えて説明するなら苛立ちと解放だった。苛立ちは村上春樹特有のいつもの換喩で察しの通り(決して忌み嫌うものではなく、むしろそれがくせになって大好きだ)だが、それと同時に解放された感覚があった。それをカタルシスと呼ぶならそう解釈してくれて構わないが実際自分が感じた感情はそんなものではない。体全身の細胞が一瞬で入れ替えられたような、元々体のどこかに封じ込められていた魂がどこかに飛ばされてそれからまたどこかから新しい魂が体の中に入り込んだような、例えると泥んこのまま洗車した車がピッカピカになって帰ってきた時の感覚に似ていた。それについて詳しく述べるとここで書くどころの騒ぎじゃないくらい長い説明が必要になるので割愛させて頂くが、とにかくそれくらい私に大きな衝撃を与えた作品だった。要するに言いたいことは、村上春樹はどうやら着実に総合小説なるものを完成させようとしていたということだ。1Q84は本当にいい小説だった。長い小説だけれど、また時間を見つけて読み直そうかな。
投稿元:
レビューを見る
2023年3月29日読了。村上春樹『1Q84』の社会現象的大ヒットを受けた、文芸評論家たちの論評集。もろ手を挙げて本作を称賛するような書き手は一人もおらず、おおむね「村上作品にしてはエンターテイメント、読みやすく面白い」「宗教の扱いがどっちつかずで踏み込み足りない」「青豆はいいが天吾の人物像はありきたり」「性描写が露骨で不必要」という評が共通しているところか。私が読んだのはずいぶん前だが、確かに言われてみれば…つるつると読めた、という記憶だけは残っているが。「読んでて面白いんならそれでいいじゃん」と一読者としては思ったりもするが、エルサレムでの受賞スピーチの意義や、著者の学歴・経歴などから辿ってきた人生まで批判されるなど、いやはや人気作家になるというのは大変なことだ…。
投稿元:
レビューを見る
35人による「1Q84」の解説。一つひとつは短くまとめられていて読みやすいが、数が多いためになかなか読み終えられなかった。青豆が「自殺」と書いている人が多かったが、それもそのはず、この解説本が出版されたのがBOOK3の出版の前であった。3冊全て揃った上での解説は違ったものになったはず。