紙の本
やって良いこと、悪いこと
2009/12/02 22:20
10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る
再び、いわゆる「西山事件」こと外務省機密漏洩事件が脚光を浴びている。マスコミは当然、密約の存在や政府が密約を隠匿してきたことに焦点を当て、報道を行うだろう。しかし、だからといって、西山記者の行ったことが肯定されるかどうか、この本を読んで考えてもらいたい。私は、彼の行為はスパイとしては許されても、ジャーナリストとしては許されないと思う。彼がすべきことは、安川審議官から直接情報を得ることだったと思う。また、触法的取材は、かえって取材の自由を狭める方向に働いてしまう弊害をもたらすことになる。
もちろん、情報公開のあり方は、できる限り早く改善がなされるべきだと思う。永遠に秘密にすることは、元アメリカ局長吉野氏も語ったように国民のためにも国家のためにもならない。アメリカのようにしっかりとした公文書公開規定等を定めるべきであろう。そうすることで、機密保持を義務づけられている公務員も、その期間中の機密保持をしっかりできるし、死ぬまで一人で抱えていかねばならない心理的な負担も軽くなるだろう。政治家は、公開される時がくることで、それが本当に国民のためになるか歴史的評価を考えて行動するようになるだろう。
ただ、現在のなんにでも透明性を性急に求める風潮には危惧を抱かざるをえない。特に外交においては国益と国益がぶつかりあわざるをえない場であるので、手の内を公開することは、国益(国民の利益)を毀損することになる。まず、密約を認めるとか認めないということ自体、語彙矛盾である。認めれば密約ではない。機密費もそうである。機密にする必要があるから機密費なのである。何十年が後に公開することはあるべきだが、毎年何に使ったか公開するのでは機密費ではない。
機密費が不正に使われているかどうかは、また別の次元の話である。不正を働いたものは厳罰に処すのが当然であろう。それに必要なのは、しっかりとしたチェック機構であって、情報公開ではないと思う。また、機密費を不正に使うような為政者を選んだことを、私たち自身も恥じなければならない。政官財法学が癒着しているから、どうしようもないと言うかもしれない。しかし、まず自らもそれに咬んでいないか省みること、次にそれを正すために自分ができることはないかを問うてみる必要があると思う。
ジャーナリストを目指す人には、情報源を秘匿するというのは、情報源を語らないことではなく、特定できないようにして守ることであること、情報源を語らなかっただけでは、自分を守ったことにしかならないことを、よく心に留めておいてもらいたい。
紙の本
日本のジャーナリズムの秘密
2016/04/17 12:09
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投稿者:Ottoさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
・正義を声高に叫ぶ報道関係者の胡散臭さ
・新聞記者の傲慢、雑誌記者の卑屈
・知る権利をかざして違法行為を正当化するジャーナリズム
・誤報、ねつ造してしまう報道体質
2009年の発行で増刷されていないようなので、書店の新書コーナーで見つけるのは困難だが、これからも新聞・雑誌に騙されないために読んでおきたい1冊である。
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恐怖の誕生パーティー 新潮文庫
謝罪(反省)には3つの要素が必要 1謝意を誠実に表明2失敗に至る過程を詳しくその都度説明3償いをすること
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田中角栄が、議員の仕事が稼げるビジネスモデルにした。それを引き継いだのが小沢さん。
朝日新聞の阪神支局の追悼だけを毎年掲載しているのは、身内優先意識があるから。他の人の追悼は出ない。神戸大震災くらい。
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ジャーナリズムの批判書です。
その手の人には面白いかもしれませんが、
関係ない人にはまったく面白くないです。
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[ 内容 ]
鑑定医が秘密をバラす相手を間違えた奈良少年調書漏洩事件。
「空想虚言癖」の典型的パターンに引っかかった「週刊新潮」大誤報。
賠償額が高騰する名誉毀損訴訟。
数々の事件で、メディアが一線を越えるか踏みとどまるかの分かれ目は、秘密の手に入れ方・バラし方、ウソの見破り方の巧拙にある。
それを「言論弾圧」「取材力の低下」としか語れないのは、ただの思考停止、メディアの自殺行為だ―秘密とウソというユニークな視点から、「ジャーナリズムの危機」に斬り込む挑発の書。
[ 目次 ]
第1章 「正義」のイヤらしさ
第2章 他人の秘密は蜜の味
第3章 スクープかフェアネスか
第4章 奈良少年調書漏洩事件
第5章 「週刊新潮」大誤報事件
第6章 この世はウソの地雷原
第7章 足利事件―誰が捏造したのか
第8章 名誉毀損―高騰して何が悪い
第9章 リスクとチャレンジと謝罪
第10章 有料ジャーナリズムの終焉?
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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共感度(空振り三振・一部・参った!)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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報道の為のルール違反、ウソ。ジャーナリズムの正義感とか、未来とか。鋭い切り口でバッサリしつつも、まだ将来はあると言ってる気がする著者。面白かった。
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読んでいて嫌悪感を感じた。
ネタ自体は読んでいて楽しいけど、著者が何を伝えたいのかがわからない。伝えたいことなんて無いように思える。
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著者について色々な風評はありますが、本書は得るものが多かったですね。
特筆すべきことがあります。謝罪の仕方ということです。著者は謝罪には3つの要素がいるとしています。1.謝意を誠実に表明すること。2.失敗に至る経過を詳しくそのつど説明すること。3.償いをすることであると述べられています。いままでおこなった謝罪について相手側の立場にたってしていただろうか、自分の満足のためではなかっただろうかと反省しました。また、謝罪とは何かということを突き詰めて考えたことはなかったなとおもいました。償いをすることの配慮があったかというこも考えさせられました。
秘密についてです。「秘密といってもあくまでも相対的なものであって、絶対的な秘密など存在しないのである。」として様々な実例をあげての解説は卓越していますね。
秘密に関連しての報道のありかたで西山事件と奈良少年調書漏洩事件は読みごたえのありました。
ウソについてどう懐疑的になり、だまされないようにするかのヒントもありおすすめの1冊ですね。
本文にある福島章『現代の精神鑑定』(金子書房)を読みたくなりましたが、高額のため図書館に行ったがなく挫折。
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ジャーナリズムのこれまでを振り返りながらジャーナリズムの今を考える。7章からは怒涛の勢い。捏造され未だ真犯人が野放しとなっている足利事件。名誉毀損賠償額高騰の理由。西山事件、松山事件、二つのスクープに見るジャーナリズムのあり方。地に落ちたサンデー毎日。いずれも目が離せない。はたして有料ジャーナリズムにその真価を発揮できる日は来るのか。
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タイトルはチョムスキーからの引用?
ジャーナリズム批判を標榜している割には本質に切り込めていない印象だ。たとえば既存の新聞報道が面白くないもっとも大きな理由のひとつである記者クラブ問題についてはほとんど言及されていない。その代わり、個別の記者の取材姿勢・倫理について多くの紙数が裂かれている。構造の問題を置き去りにして枝葉である個別の事象を云々しても始まらないと思うが?それに何よりも業界人向けの本であればともかく、取材姿勢などの話は一般読者には記事を読む上での参考にもなりにくい。
また、著者は他者の誤報については訂正しても許さないことがあるようだが(たとえば三井元検察官の手記に記載された彼が過去に求刑した死刑囚の刑が既に執行されたかどうかについて、確認しなかった編集者をかなりの紙数を使って非難している)、本書にも明らかな事実誤認がある。
p135には起訴、求刑の主体が裁判官であるとしか読めない文章があるし(実際は言うまでもなく検察)、外務省機密漏えい事件の西山記者が「今でもスター記者」であり「何の責任も取」っていないかのような記述は事実の詳細な経緯を知らない多くの読者を意図的にミスリードさせるものだと思う。
日垣氏のファンがエッセイとして読む分には止めはしないが、現代日本のジャーナリズムについて考える手がかりとしては新書でももっとマシなものがいくらでもある。
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「空想虚言」による誤スクープ・報道や名誉毀損の高額化、スクープの元ネタの手に入れ方の是非を問うたり、情報漏洩問題だったり。
「西山事件」と「松川事件」のは一見同じような状況だった事件(ネタ提供者と記者が情を通じていた)なのに、結末が全く違い驚いた。
「西山事件」…(外務省機密漏洩事件)
「松川事件」…(被告人たちの無罪を証明する証拠「諏訪メモ」の存在を若い貴社がスクープし、これによって被告人全員の無罪が確定)
西山事件もそうだが、会見なり、講演会で最も重要で気になる質問ができない暗黙の了解のようなものがあるというのは恐ろしいことだ。
この本を読んだ後に、新聞の小さい記事を注意してみると、確かに「〜〜という」という言い回しがいくつかあって驚いた。(警察発表をウラ取りせずにそのまま記事にしていると本文で指摘)
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○作家・ライターの日垣氏の作品。
○新聞報道の実態や週刊誌のあり方、取材におけるマナーやルールについて、持論を展開している。
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ガッキー氏の著書を久々に読む。いつも思うのが、裏取りの重要性。記事記述だけではなく、工学的実験も、歴史調査も同じ。これがどうしても、各種制約によりおろそかになる。ここに落とし穴を造る。さらに気づいてても、スルーされてしまう。独車メーカもこの隘路にはまったのでは?ありえない報告やレポートを出してしまう。
一方で、著者ならではの下世話感も、慣れてきたせいか、これはこれでありと思うようになった。確かに知りたいことは綺麗事ではなく、その裏である。
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ジャーナリズムとゴシップとの区別が曖昧な日本の週刊誌と、その読者たち。もちろん、この著者の書くものは、全て正しいことばかりで、しかし、いや、それゆえ、どこかインチキ臭いのだ。