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投稿者:KICK - この投稿者のレビュー一覧を見る
世の中のシステムを急激に変えようとするとクラッシュする、ってことが腑に落ちます。
通常のブログからの抜粋本。
2018/07/22 11:45
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投稿者:たまがわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
題名が「こんな日本でよかったね」で
副題が「構造主義的日本論」。
しかし、内容は通常のブログからの再編集もので、
特に日本論というわけではない。
著者の本を読んでいていつもは、大体その主張に同意する部分ばかりなのだけど、
今回は、「?」と違和感を感じる部分がいくつかあった。
それでもいつものように、鋭いし、刺激になる。
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違う角度から物を見ることが出来て刺激的。
たまにすごく、まっとうな指摘も。
小学校の英語教育についての不安、白川静先生追悼、親族の基本構造、ひとはなぜ葬礼を行うか、少子化問題は存在しない、日本辺境論、など。
少子化について、行政がそれを問題だと思うのは納税者が少なくなるから。日本は狭い国で社会的資源が不足しているから、人口が減るのは自然な現象。少なくなった方がむしろ住みよい??もう一つ、家族単位で消費していた人たちが個人の好みで生きるようになった。他人を我慢しなければ共同体は成り立たない。う~ん、なるほど…
「不快という紙幣」は、両親の不機嫌さを見て、子供達は自分も嫌なことをしている、それが仕事だと受け止めているという…!
戦後日本がアメリカに憧れて学んで成長したが、それは伝統的に外国から学ぶことは習慣づいていたから。その性質は生かすべき。80年代に入って日本がバカにされるようになったのはもう辺境ではないと思い上がったため。そういう面はありますね~。
哲学の話になると、まったく要約できないが…
人を挑発するような書き方をすると自分でも書いているとおり。
部分的には極論だったり、言葉の遊びに思えるので、反論したくなるが~全体通してみて引っかき回すのが好きなんだなあという書き方なので、いちいち反論するほどでもない…?
2008年7月発行。
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内田樹氏のエッセー集。どれを読んでも「外れ」が無いのが内田氏の書籍だと信じているが、本書はそのほとんどのエッセイが内田氏本人のブログ「内田樹の研究室」からの抜粋。どこからでも読み始めることができる・・・
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内田先生、以前の著書に比べ切れ味が悪くなっている気がします。
ブログの再録だからなのか、それはわかりません。
うーん…残念。
特にフェミニズムに対して、あまりにも一枚岩のように認識しすぎている気がする(そして私が思うに、この人の批判はフェミニズムに浴びせられるときに、一番鈍くなる)。別に私もフェミニズムをきちんと勉強していないので何とも言えないのですが、そんなに単純なわけがなかろうよと。
大学で学んでいるものとしては、「あー立場が違うと格差や少子化に対して言うことも変わってくるのね」ということを感じました。良い悪いではなく、事実として。
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私たちが言葉を用いるのではなく、言葉によって私たちが構築され変容されていく。
・・・内田先生の言葉で、また構築され変容されていく私。
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この人の「考え方の構造」を考える。
考え方のテンプレートがある気がする。
対外考え方を量産できる人は、それなりの、自分なりのテンプレートを持っているもんだ、と考えるからだ。
気にかかることを、なぜ気にかかるか徹底的に考える。
ヒントになるフレーズがあったな。
「親密圏について」の件
私は骨の髄までビジネスマインデッドな人間なので、どのような社会制度についても、「この制度は、いかなる人類学的起源を有するものか、これまでどのような歴史的使命を果たしてきたのか、現状では、どのような点で制度疲労や機能不全を起こしているか、どのへんを補正すれば使いの延ばせるか、どのあたりのタイミングで修理を断念して『新品』に乗り換えるか」というふうな機能主義的な問いのたて方をする
というところ。
あ、以降のところは、自分のテンプレートの作り方への考えのまとめなので、「内田樹さんのものの見方はこうだ」というものとはズレがあります。
気になることに対する問いへのアプローチの仕方がすごくたくさんある。
そのアプローチひとつひとつに、また細かい解決への道への考えたたくさんあるのだろうけれど、きっと、「相手」に合わせて、そのアプローチにテーマを持ってより集めて編纂していく。対象は無数(ではないかもだけどかなり多くいる)ので、量産が可能になる。という構造。「問題解決」へのこれでもかというくらい能率的な思考構造のモデル。
※実際頭の良い人は男女問わずこの思考モデルが良く機能しているのだろうと思うけれど、私レベルだと「男性的な思考のモデル」のように思われる。実際自分は漠としたテーマを、一種の不定形な粘土のように捉えていて、その感触から粘土の中にある(であろう)核に迫るような気がする。「わたしは何が気になってんだ?」と。確かめようとしてるうちに、いつのまにか粘土の外形が気になっちゃって、いつの間にか粘土で像を造ってみました。でもそれはそれで面白くていいじゃない?みたいな。私の思考回路っていつもそんな感じだ。あれ、それって「女性的」だと思ってたんだけどただの「頭の悪い人の考え方?」
それだといつまでも「真理」にたどり着けない。いや、そもそも「真理」があるのか、とか聞かれたら「分からない」んだけどさ。ただ、外から内か、内から外か(広がる形か、閉じられた中のものか)という違いはある。そこを飛び出せば、私の思考回路って大きく飛躍するんじゃないか?ひとまず「問い」を立てること(その立て方)か。「核」を追求しようとしすぎて漠然としすぎてるんじゃないか。日常レベルにまで落としてみる努力か。いや、この発言自体ひどく漠然としてるんだけど。「問いを具体的に置き換えてみる。」ことを気にして置いてみよう。あ、あとオチだな。「立てた疑問にはそれなりの答えを見つけること」違っても明日変わってもなんでもいい。とりあえずの答えを見つける。まずはそこからだ。
で、話は変わって。ちょっと外形が見えてきた「内田樹」さん。テンプレートを察してみ���ところで、彼の根幹をなすものはまだつかみきれてない。色んな相手を想定したアプローチが多すぎて、見えてきにくい。あぁ、この思考こそが外から内なんじゃないか・・・。もういまさらこれは変わらないんだろうか。
次の本で、「気になるところ」を取り上げ、なぜ気になるのか考えてみる。
その訓練をする。
余裕があったら、内田樹さんの思考の枝葉を逆に辿ってみることを、ちょっとしてみよう。これで7冊目を読んでしまった(ちなみにネットの研究室もよくみている)そろそろ本質にたどり着き「思考の賞味期限」を感じてもいいころではないか。
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読んでいて、思わずふむふむと納得してしまう論の進め方が見事だと思った。
本当に気をつけてないと、本当にそうか?という視点を持てず、「読まれて」しまう。
しかし、我が意を得たりと思った部分があった。
みんな古典を読もうぜ。
+++++
(読書上のアドバイスを聞かれて)
できるだけ今の自分と生きた時代も生きた場所も縁の遠い人間の書いた本を読むこと。
世界観も宗教も感受性も身体感覚も、まるで違う人のものを読んで、それにぶるぶるっと共振するものが自分の中に見出せたら、その震えは「人間にとってかなり汎通性の高いもの」だということである。
ある種の書物が歴史の風雪に耐えて何百年、何千年と生き残ってきたものは、そのような共振力が他に比して圧倒的に多いからである。
古典的名作と言うのは「とっつきにくく」て、同時代の同じような年齢で同じような立場で似たような趣味好尚の書き手が書いたものは「わかりやすい」というのは嘘である。
同時代的な意味で「わかりやすい」書物は構造的に読者を排他的に限定している。
その「敷居の低さ」は、時代を異にし、場所を異にし、立場を異にする読者にとっての「わかりにくさ」を際限なく高めることを代償にして得られた幻影に過ぎない。
古典を読むことで学ぶことができるのは、数百年の時間と数千キロの距離を隔ててなおリーダブルであるようなものを書いた人間の「リーダーフレンドリーネス」である。
++++++
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本書を読んでも、決して構造主義の知識はつきません。
でも知識よりもっと大切な 構造主義的な考え方を知る事ができると思います。
現在は、物事を単純化して断定的に語る人が指示される時代かも知れません。
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「内田樹の研究室」というブログ(http://blog.tatsuru.com/)から、編集者(江弘毅)が構造主義的な切り口から選んで「教育、家族、国家」というテーマで編集したもの。
・「言いたいこと」は「言葉」の後に存在し始める
・人生はミスマッチである。それでも結構幸福にいきることができる
・「生き延びる力」と「金を稼ぐ力」がイコールに置かれるようになった
などなど、ビジネスの世界では、要点を簡潔に!・・・が当たり前になってしまっているので、こういう物の見方は新鮮なんですが、政治や経済のここ10年くらいの行き詰まり感を覆すには、変革ではなくて、こういう物の考え方なんではないかと、つくづく思うこの頃です。
(2010/7/13)
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外国語を学ぶ時に、私たちはまずストックフレーズ丸暗記から入る。それは外国語運用の最初の実践的目標が、もうわかったよ、君の言いたいことは、と相手に言わせて、コミュニケーションを打ち切ることだからである。
人生とはそういうことの連続だから。シンプルでクリアカットで矛盾的な行動規範だけを与えられて育った子供はそういうことに対処できない。どうふるまっていいかわからないときに、子供はフリーズしてしまう。フリーズするかしないかはハードでタフな状況においては生死の分かれ目となる。
労働するのが人間なのだ。だから労働しない人間は存在しない。
強い個体とは礼儀正しい個体である。この理論はわかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。
労働者=消費者を性差にも国籍にも人種にも信教にも無関係に全部同一規格で揃えてしまうことがグローバル資本主義の夢である。
ナチスの仮説が正しければ、ドイツ支配地域のユダヤ人がほぼ全滅した時点で真にドイツ的なドイツが顕現してドイツはその絶頂期を迎えるはずだったのだが、どういうわけか戦況は悪化した。この反証事例の説明に窮したナチスは、スターリンもチャーチルもルーズベルトもすべてユダヤ人の手先であるという説明を採用して破たんを粉飾した。
東アジアにはかつて中国を中華として、モンゴル、朝鮮、インドシナ半島、日本に及ぶ巨大な儒教圏が存在した。
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別の本で鈴木邦男が「愛国心は小声でそっと言うべき言葉」と書いていた。本書でも「そういう話を人前でするのは止めましょう」とある。でも語りたいものなんだろう。
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人生はミスマッチ(p151)より
学校の先生がすること:「心身がアクティブであることは、気持ちがいい」とういことを自分自身を素材にして子どもたちに伝えること。
⇒先生ではないけど、職場、家庭でも部下や子供や周囲の人に対して心がけるといい思う。
⇒朝会や日常業務、部内会議でメッセージを発信しよう。
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「こんな日本でよかったね」
このタイトルは小泉首相が構造改革を旗印に
日本を変えようとしている際
それに違和感を覚えてつけたという。
今となってみれば、
小泉構造改革がすべて悪だとは言わないが
ゆり戻しや破たんがあちこちで起きている。
それよりも何よりも日本の赤字問題は
またまた棚上げにされている。
でも、そういった不安感を持ちながらも
「こんな日本でよかったね」という言葉は
今の日本に安堵感をもたらす。
内田先生は構造主義を分かりやすく語る大学の先生。
さてさて、構造主義とは何かを簡単には語れないが
(理解できてないので)
本書からひたすら抜粋。
「私は知っている」ではなく、「私にはよくわからない」から
始まる知性の活動、私はそれが構造主義だと理解しています。
作家は作品のあとにはじめて存在し始めるのである。
モーリス・ブランショ
「言いたいこと」は「言葉」のあとに存在し始める。
リアルなのは言葉だけである。
言葉の向こうには何もない。
けれども言葉は「言葉の向こう」があるという
仮像をつくりだすことができる。
古代中国社会に濃密に漂い、
リアルに人を撃ち殺すだけの力をもっていた祝能と
それを統率するダイナミックな力をもつ文字についての
物語を読んでいると、私は胸がどきどきしてくるのを感じる。
子どもには先行世代に
「対立する態度を取る同性の成人」が
最低二人は必要だということである。
なぜ、葬礼を行うのか?
理由はひとつしかない。
それは葬礼をしないと死者が
「死なない」からだ。
人生はミスマッチ。
平川克美
レヴィナス老師が私たちに求めたのは
目が覚めるたびに「私は誰でしょう?」と
問いかけるような「知性の次数」の繰り上げである。
コミュニケーション感度の向上を妨げる要因は、
「こだわり・プライド・被害妄想」。
春日武彦
「強い個体」とは「礼儀正しい個体」。
世界を一気に救おうと考えは人間の人間性を損なう。
レヴィナス
「女性的なもの」の本質は「無償の贈与」。
できるだけ今の自分と縁の遠い人間の書いた本を読むこと。
すべての世界史的な大事件や大人物は二度あらわれるものだ。
ヘーゲル
「リセット」の誘惑に日本人は抵抗力がない。
泣くべきときに正しい仕方で泣けること。
構造主義的なものの見方とは、私たちの日常的な現象のうち
類的水準にあるものと、民族誌的水準にあるものを
識別する知的習慣のことである。
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なんでこれが本棚にあったのかはわからないけど、読んでみたら面白かった。思考の感覚が似ているんだろうな、内田せんせと。
ま、こちらは商売として、エッセイではなくて結果やデータをださなアカンのが辛いところや。