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大和学園の理事長から女性教育委員長、京都商工会議所副会頭まで、数々の大役を歴任されてきた著者・田中田鶴子氏の活動や教育にかける思いが綴られた一冊。
京都市の教育分野の発展に精力的に関わり、100以上あった京都市の小・中学校の統合、刷新改革、教育者育成施設の充実、さらにはマンガミュージアムの創設まで、時代や市民の声に柔軟に対応し、今日の京都の豊かさを作り上げてきた人物の一人といえよう。
京都に住んでいる人なら、本書に挙げられている施設のどれか一つは利用した事があるはず。あるいは、日常にごく自然に「官民サービス」が溶け込んでいる事に驚くだろう。
本著では、彼女のこれまでの経歴を振り返ると共に、
京都の教育制度の成り立ちを理解する上で欠かせない「町衆」文化にも、軽く触れられている。
京都が第一の教育改革に乗り出した当時は、
明治維新の都変遷という時代。天皇が御所を離れ、
伝統産業や文化の継続・統治の舵をめぐって
大混乱が生じた中、立ち上がったのは、
当時の商い人である「町衆」であった。
現代では「協働」という言葉に置き換えられ、公と民の協力・連携といった意味で捉えられる事が多いが、
公に任せず自分たちで改革を起こし発展へとつなげていった事から、著者はこの「町衆」を「自ら考え行動するという心意気」という意味で捉えている。
そんな背景を汲んだ著者の思いは、
実際の改革にもその源流が流れているように感じる。
具体的に例に挙げるとするならば、著者が名誉会長を務めた「大和学園」。あの卵のマークの本流は、
さかのぼる事1951年、木屋町にある家庭料理講習会だ。
戦後の日本人の栄養問題が注目されていた時代背景も重なり、京都府から認可を受け専門学校として開校。
栄養の価値や食生活の変化、医療の充実、女性としてのキャリア形成など、その時代のニーズに応じ、分野ごとに拡大をしてきた。
「統合的な教育機関をずっと視野に入れてきた」
という卓越した先見性はもちろんのこと、
自発的な行動のため、実務に役立つ教育を」という考えの元、現在4分野にまでまたがる専門校として地位を確立している。
いわば、京都に根付く「町衆」の心意気が、
本校の教育指針の礎となり、今日の発展があるといっていいだろう。
本著で京都の教育改革の歴史・背景を知る事で、
今日私達が受けているサービスや教育機関への
さらなる理解・改善への一助になるかもしれない。
そんな事を感じさせる本であった。