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入門書とは銘打ってますが、結構内容が濃いです。すぐに読み終わると思っていたのですが、実に一ヶ月掛かるという^^;
読む契機は勿論マルクス経済学の理論である「唯物弁証法」なのですが、結構違うのではないかと思いました。愛を重要視すると云う点で、ヘーゲル哲学を批判的に継承したとされるフォイエルバッハとは違います。
また「啓蒙を啓蒙する」というところも非常に興味深い。カントの啓蒙思想が、最終的に宗教的支配さながらの、人間によるファシズムなどに代表される合理的支配を招いたんだそうです。
「啓蒙的理性は、外部にある非啓蒙的な野蛮によってではなく、内部にある理性的な自己批判によってのみ完成されるのである。」
結局、「常識を疑え」ということなのでしょうか・・。
「意識の経験とは、疑問を持ったり絶望したりという否定的な道程において、一人ひとりが経験を積み重ねて学んでいくひとつの歴史なのであり、個人にとっては、失敗と成功を繰り返しながら教養を身につけていく、人生の具体的な歩みなのである。」
哲学とは決して遠い存在なんかではなく、非常に身近に存在するもののようです。
読み進めていくうちに、「確かにそうだ。」と思うことは多いです。
哲学は非常に抽象化されている学問なので(というか学問自体が抽象的なのだが)、身近な具体的な例に当てはめて考えることが、理解への道だと思います。
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【内容】
本書は、ヘーゲル哲学への本格的な導入を目指すコンパクトな手引きでありながらも、かなり大きなスケールを用いた少し歯ごたえのある入門書である。
巻末には、読者の学習の便を図るために、ヘーゲル哲学の主要な専門用語(テクニカルターム)の解説を付録として載せた。
さらに、ヘーゲル哲学に関心を寄せる大学生や一般読者のためのファーザー・リーディングとして、コメント付きの文献案内を基本文献と参考文献に分けて掲載してもいる。
(以上、アマゾンより引用)
【感想】
入門書とは銘打ってますが、結構内容が濃いです。
すぐに読み終わると思っていたのですが、実に一ヶ月掛かるという^^;
読む契機は勿論マルクス経済学の理論である「唯物弁証法」なのですが、結構違うのではないかと思いました。
愛を重要視すると云う点で、ヘーゲル哲学を批判的に継承したとされるフォイエルバッハとは違います。
また「啓蒙を啓蒙する」というところも非常に興味深い。
カントの啓蒙思想が、最終的に宗教的支配さながらの、人間によるファシズムなどに代表される合理的支配を招いたんだそうです。
「啓蒙的理性は、外部にある非啓蒙的な野蛮によってではなく、内部にある理性的な自己批判によってのみ完成されるのである。」結局、「常識を疑え」ということなのでしょうか・・。
「意識の経験とは、疑問を持ったり絶望したりという否定的な道程において、一人ひとりが経験を積み重ねて学んでいくひとつの歴史なのであり、個人にとっては、失敗と成功を繰り返しながら教養を身につけていく、人生の具体的な歩みなのである。」
哲学とは決して遠い存在なんかではなく、非常に身近に存在するもののようです。読み進めていくうちに、「確かにそうだ。」と思うことは多いです。
哲学は非常に抽象化されている学問なので(というか学問自体が抽象的なのだが)、身近な具体的な例に当てはめて考えることが、理解への道だと思います。
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ヘーゲルの思想の入門的解説書というより、「ヘーゲル研究入門」という性格の本。現代のヘーゲル研究の状況を分かりやすく解説している。
N・ハルトマンやR・クローナーは、カントからヘーゲルに至る「ドイツ観念論」という思想運動を直線的に捉え、その上にヘーゲルの思想を置いて理解しようとした。だが1960年代以降のヘーゲル研究は、こうした従来の枠組みの乗り越えを図ってきたと著者は説明している。
1960年代から厳密な文献学的研究によってテクストの執筆時期の確定がおこなわれた。次いで70年代に入ると、文献学的研究に依拠したヘーゲル哲学の発展史的研究が盛んになり、壮大な思弁的体系の哲学者というヘーゲル像は大きく修正されることになった。さらに80年代に入ると、構図(Konstellation)研究という新たな方法が隆盛を見る。この構図研究とは、ヘーゲル哲学を広く同時代の思想状況の中に置きなおすもので、とりわけ若き日のヘルダーリンの哲学的思索を示す『判断と存在』や、ロマン主義の自然哲学との関わりの中でヘーゲルを理解しようとする試みである。著者は、こうした近年のヘーゲル研究の状況を紹介し、とくにヘルダーリンとの関わりについては詳しい説明をおこなっている。
さらに本書は、『キリスト教の精神とその運命』や『ドイツ国家体制の批判』などに見られる若き日のヘーゲルの思索とその発展を概観し、『精神現象学』に見られる体系構想の変化を発展史的視点から論じている。最後に、日本におけるヘーゲル受容と新たな思索への展開を簡単にたどっている。著者は、西田幾多郎らの「絶対無」の思想が、ヘーゲルの「絶対者」の思想の批判的継承だということを確認した上で、それが単に西洋哲学に対置される東洋の特殊な思想ではなく、存在の原理そのものの問いなおしという現代的な課題への取り組みであると論じている。
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図書館のリサイクルの棚にあった『ヘーゲル哲学入門』ので、もらって読んだ。観念としてある精神が現象して実体を持つと、神の複製として世界に生まれる人間が過ちを犯すように、様々な限定が生じる。それを主体的に否定して克服していくことを重ねて、真理に到達できるというポジティブな考え。人間もそのように成長していくものだし、世界も世界史という形で世界精神を実現している。