紙の本
「退屈な話」
2020/04/19 07:00
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
医者の登場する作品をまとめたもの。チェーホフ自身医者であり、その作品の描写は詳細である。
「退屈な話」がもっとも心に残る作品だった。主人公は友人の娘カーチャと実の娘リーザとでは、カーチャに親しみを感じている。
カーチャは役者を志して、旅先から度々金を無心し、旅先で堕胎する。リーザは主人公の気に入らない男に惚れて、親に無断で挙式する。どちらも主人公に反抗的だが、主人公が親しみを感じるのはカーチャの方である。主人公が作中でほかに親しみを感じるのは門衛であるため、解説にあるとおり、「下の者」に目線が向けられているからであろうか。
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ユーモア溢れる作風で知られるチェーホフのちょっとシリアスな作品集。
テーマは「医師としてのチェーホフ」らしく
ほとんどの作品の主役が医師である。
そしてシリアスとは言ってもやっぱりチェーホフ先生、
どことなくユーモラスな雰囲気がそこここに漂っている。
一つ目の作品のあまりにも過酷なシチュエーションは一読の価値あり。
更には表題作の六号病棟、チェーホフ先生の含蓄と
ブラックな寓意に溢れている。
重たいだけのロシア文学ではない。
軽妙洒脱でセンスがいい。
エスプリの聞いたフランスもののような小説だ。
「ロシア!」というだけで敬遠したり
ドストエフスキーやトルストイに挫折した人はまずチェーホフ先生から入ってほしい。
楽しいロシアが待ってるよー。
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人間、私の精神の有りようをち密に描いていると感じた。六号病棟は結果的に自身が精神障害者になっていく過程を描いている。そう、少なくとも本人には精神障害だという自覚はない。それなのに精神障害者に見られてしまうというこの世の理不尽を嘆く。しかし異常かどうかなんて周囲の人間からみたものであって自ら自身が精神障害だと気づく例は皆無だろう。
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医師でもあり作家でもあった著者の医療をテーマにした1880年代の作品集。1880年代といえば、日本では嘉納治五郎が柔道を起こしたのは偶然年末に読んでいたぞ。でも、このロシアのみすぼらしさ、救いの無さといったら凄まじい。じめじめして冷たい不潔な病室、塩魚のぷんと臭う毛皮外套、すっぱくなったキャベツのスープ、皆疲労困憊し神経を病み、哲学を持つものは実生活をしらず、生活するものは疲れ果て考えることをあきらめている。1980年代のロシアは重工業が起こってきてはいるものの、人々の暮らしは貧しいままで専制体制への不満が高まってきていた時代。レーニンの時代まで後一歩という時代。いったいどこの惑星の話かと思うほどの異質な環境と人々の暮らしが描かれています。最寄の鉄道駅まで馬車で二日もかかる辺鄙な町の精神病棟の医師の物語「第六病棟」。医師自信が次第に病んでいく様はサスペンスフルですらあります。「黒衣の僧」や「退屈な話」の、幸せだったはずの生活がいつの間にか苦しみと憎しみに満ちた暮らしに変わってしまうあの残酷さ。どんよりした曇り(雪なんか降っていればベスト)になるべく部屋を寒くして読むべし。迫力満点。
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「医者としてのチェーホフをテーマに編んだアンソロジー」として岩波文庫から2009年に(この年の発行は…偶然、では、ありません、よね、きっと)。 脱走者 チフス アニュータ 敵 黒衣の僧 六号病棟 退屈な話以上、表題作他五編(全七編)。いずれも、ちくま文庫『チェーホフ全集』(全12巻)からの各篇に、加筆訂正。「六号病棟」を読み直したくなって、あらためてこの版を(さすがにちくま文庫の全集は手元にありません、チェックもモニターも怠ってました)。そして、やっぱり「黒衣の僧」には、文字から受けるものにこそ戦慄しました。チェーホフ=「桜の園」「かもめ」というような、私のどちらかというと文学少女的先入観(?)を、もしもあの頃この1冊がぶち壊してくれていたら……、その後は少し変わったかもしれない、などと思いつつ、でも、今、この編纂に会えてよかった。「退屈な話」なんて、ちっとも退屈じゃ、ないじゃん!!『罪と罰』はかなり読み込んだけれど『……兄弟』にはうまく辿り着いたとはいえない、ドストエフスキー。『戦争と平和』は先に映画を観ちゃった、他には『光あるうちに……』や民話などは読んだけど、なんだか漠としたままの、トルストイ。……、この岩波文庫のチェーホフ短・中編集を読めば、「ロシア文学」あちこちに、今ならもう少し軽やかに渡っていけるかもしれない。たくさんの人が「苦手の理由」として挙げる名前(の呼びかけ)の感覚が、ここではとてもよくわかるような気がするから。
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アル中で入院中の父が、おそらく自身を重ねて、私に選んだ本。
文学的メランコリーに格上げしてしまうなんてずるい。
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最初の短編では、「敵」が印象に残った。
医者は公正でなければいけない…とはいえ、こんな不幸なめぐり合わせがあったなら、私なら偏見を持たずにいられるだろうか?
「六号病棟」は、知り合いにあらすじを話したら「ホラー映画のような展開だね」と言われた。確かにありそう。
「退屈な話」自分も女ゆえか、カーチャの苦しみが胸に響いた。とはいえ、私自身の人生はカーチャとは全然違い、少しも起伏のないものだけれど、根本には同じ迷いがある気がする。
主人公のニコライに関しては、最初どれだけ自惚れ屋なのかと思ったけれど、さすが一角の人物だけはあって、批評も鋭く考えも立派。その分、「フィナーレをだいなしにしている」現状が悲しい。
これを29歳で書いたという解説を読んで驚いた。
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医者としてのチェーホフにポイントを置いて編まれた短編集である。7編がはいっていて、「脱走者」は病院がこわくて脱走する子供の話、「チフス」は青年がチフスに倒れ、なんとか生還するが、妹にうつって死んでしまう話、「アニョータ」は医学生に尽くし捨てられていく女の話、「敵」は自分の子供がジフテリアで死んだばかりなのに、往診を頼まれ、地主の家にいってみると仮病をつかった妻が情夫といっしょに駆け落ちした後だったという話、「黒衣の僧」はタイトルの幻影をみる哲学者が治療されたために、不幸せになり、離婚し、のたれ死ぬ話である。これらの短編は医学の無力を書いているのだが、これが「六号病棟」で細かく書かれている。主人公は「燃え尽き」た医師で、鉄道から200km離れた僻地で医療を行ったいる。予算がなく、読み書きができない無理解な人々が行政をしているので、病院に改善がなされず、不潔でむしろ健康に悪い病院になっている。主人公の医師は最新医学の知識をもっているが、やる気をなくし、もはや助手たちに医療を任せている状態である。ある日、精神病棟をたずね、脅迫観念の男と話していると、正気の人々より知的な会話ができ、医師は彼とよく話すようになる。それを見た野心的な准医師が医師が発狂したと郡会に告発、無理矢理引退させ、最後には精神病棟に入れ、殺してしまうという話である。「退屈な話」は死を間近に感じている著名な医学教授の手記である。妻は昔の面影がなく、物価が下がったことにしか喜びを示さず、息子は外国で士官となっているが仕送りをしなければならない状態、娘は音楽学校にかよっているが、いいかげんな男にだまされ、結婚してしまう。友人から養育を託された娘は、芝居に傾倒し、女優になるが、男にだまされ、子供を葬り、自分にも才能がなかったことを悟り、演劇をやる俳優たちの自堕落な生活にも幻滅、親の遺産を食いつぶしている状態である。教授は講義好きだが、助手には独創性がなく、清潔なプレパラートを量産し、「誰にも役にたたない論文」と「良心的な翻訳」を残すくらいの業績しか残せないだろうと将来をみかぎっている。そういう老教授の日常が淡々と書かれている。「六号病棟」の医師も「退屈な話」の教授も、感受性をなくし、もはや行動することのできなくなっている人間を描いている。時代のせいもあるだろうが、どうして人間は諦念に安住してしまうのだろうか。彼らが愚かだからではなく、むしろ賢いからそうなるのかもしれない。魯迅もそうだが、医学と文学をやる人は多い。やはり、人の死と向き合うと、考える所があるのであろう。だが、彼らにも「耐える」という美徳はある。同じように耐えられる人ばかりとは限らない。もっと崩れる人間もいるだろう。
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『医師としてのチェーホフ』をテーマに編集された短篇集。
収録作の中では、ある精神科病棟を舞台にした『六号病棟』か、一種の怪奇小説としても読める『黒衣の僧』が有名だろうか。
前半の4篇は、『チェーホフ』と言われて思い浮かぶ、やや滑稽味のある切れ味鋭い短篇にカテゴライズしても違和感が無さそうだが、後半の3篇(やや長めのもの、という言い方も出来る)は、チェーホフの違った一面を見ることが出来る。
収録作の中では『黒衣の僧』が一番好みだった。
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チェーホフというと戯曲家のイメージが強かったけれど、短編小説もかなり味があって面白い。ドストエフスキーもそうだけれど、ロシアの巨匠は人間の黒い部分や後ろめたい部分の描写が上手すぎる。
特に表題の「六号病棟」は精神病院の患者の中に宿った知性に惹きつけられた風変わりな医者が、周囲からだんだんと気味悪がられていく過程の後味が悪くて面白い。最初は権威に対してへりくだった態度の看守が乱暴な手段をとってしまうシーンは読んでいて苦しかった。
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岩波文庫赤
チェーホフ 「 六号病棟 退屈な話 」 医者の使命と葛藤を描いた7編。テーマの背景は 患者と医者の対立と同質化、医者の使命と喪失だと思う。現代にも通じる問題提起だと思う
医者でもあった 著者が伝えたかったのは
*医者=科学、高い教養、自己犠牲 の象徴とした 医者のあるべき姿、問題の提起
*医者は 患者と同質化すべきではないし、医者という立場を持つかぎり 共生意識を持てない
「六号病棟」は 医者が使命を喪失し、患者と同質化する物語。医者が医者として特権をなくして 初めて 自己を発見?
「退屈な話」は 幸福論。科学が進化し、多くの病気を治すことができるが、それが 本当に幸福か。
*人間の幸福は 外部ではなく、内部にあり、病気の除去が 本当に患者の幸福なのか?
*医者であっても 内部のことは 本当は わからない
脱走者〜病院の怪談
チフス〜病気の恐ろしさ、生の喜び、家族の死の虚無感
敵〜医師としての使命(患者の命を守ること) と 不条理な患者
黒衣の僧〜健康で正常なのは、平凡な群衆だけ
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医師でもあった著者の残した、医療や病にまつわる七つの中短編のアンソロジー。はじめの四編が短編、残り三編が表題作ふたつを含む中編作品です。気鬱な内容の物語で集成されており、読んでいて気がふさぎました。なかでも三つの中編はその傾向が強いとともに、主要人物が俗人を嫌悪する知識人であるという共通点があります。以降は作品ごとの概要や所感などです。
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『脱走者』
母に連れられて外来診療の結果、ひとり病院に残ることになった幼いパーシカの一夜が描かれる。患者や看護人たちの姿が、子どもの目におどろおどろしく映る様子が伝わる。
『チフス』
帰郷の途の列車内で、病のために目につくもの全てを厭らしく感じるクリーモフ中尉。おばと可愛い妹の待つもとに帰宅してチフスと診断される。快癒した後のクリーモフの感情が列車内と対照的に描かれる。
『アニュータ』
前途有望な医学生クロチコーフと、同棲する身寄りのないアニュータとの関係性が中心となる。
『敵』
最愛の息子に先立たれた直後の都会医キリーロフに、妻の診察を依頼しにきた裕福な地主のアボーギン。キリーロフはアボーギンに不快感を抱きながらも往診に向かう。
『黒衣の僧』
コーヴリン博士は休養のため逗留していたペソーツキーの屋敷で伝説とされる黒衣の修道僧の蜃気楼を目にする。コーヴリンは屋敷の娘と結ばれるが。
『六号病棟』
朽ちかけた病棟に収容されるのは五人の精神病患者たち。医師ラーギンは唯一、貴族出の患者であるドミートリチとの知的な会話を楽しみ、病棟に足しげく通うようになる。病院のスタッフたちはそんなラーギンを不審な目で見る。中盤でラーギンがドミートリチに対して口にする台詞が象徴的に響く。本書で最も含蓄の深さを感じさせる作品。
『退屈な話』
高名な解剖学名誉教授である、老年のニコライ・ステパーヌイチは自身の寿命が近いことを予感している。厭世観に満ち満ちたニコライの、俗世への嫌悪と軽蔑の感情が延々と綴られる。妻、娘、部下、娘婿候補、学生と、近親者を含めて目につくものをことごとく疎ましく感じる彼にとって、近所に住むカーチャという若い娘との時間だけが慰めだった。
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六号病棟のイワン・ドミートリイチはまるで自分のようだ。彼は被害妄想で精神病棟に閉じ込められている。しかし彼の被害妄想は、彼の臆病な性格や彼自身に対する自信のなさに端を発している。往々にして人は意図的に罪を犯すのではなく、うっかりしてとんでもない誤ちをするものである、とイワンは考えている。私自身もそう考える節がある。(夏目漱石の『こころ』の主人公のように。)イワンは自分が将来犯してしまうかもしれない過ちに怯えるあまり、気が狂ってしまった。私はイワンを他人事に思えなかった。
アンドレイ・エフィームイチの気弱な性格も自分にそっくりだ。彼は医師という権限がありながら、人に命令することができない。常にまわりの人々の顔色を伺っている。この点も自分にそっくりだ。彼は大学まで順風満帆な人生を送ってきたが、医師になった途端、突如として話の通じない人ばかりの田舎に飛ばされてしまう。彼の境遇の全てに同情する。不遇な彼が唯一田舎で心が通じ合えたのがイワンだったこと、そしてこのことが更なる不幸を呼び起こしたこと、全てがかわいそうだ。
表紙の紹介文は本作を「正気と狂気の曖昧さを突きつける」と評している。私はそれもあると思う。しかしそれ以上に、人がまわりの人間によって理不尽なレッテルを貼られて破滅していく様を、本作は如実に表していると感じた。
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チェーホフの中短篇集。『脱走者』『チフス』『アニュータ』『敵』『黒衣の僧』『六号病棟』『退屈な話』の計7篇を収録。チェーホフは医師でもあったので、これら全て医業関係の作品が収められています。
ちなみに以前の版のタイトルは、『退屈な話・六号病室』。タイトルの2篇のみで訳者も異なります。『六号病棟』も『六号病室』になっており、訳文も古いので、新しい方を読んだ方がいいでしょう。
収録作は全て好みでした。特に良かったものを以下に。
『敵』は、息子を亡くしたばかりの医師が、けたたましく玄関のベルを鳴らされ、無理矢理往診を求められます。状況が状況だけに、散々断っていましたが根負けし、嫌々遠路はるばる往診にいけば何と…。偶然の不幸の巡り合わせが、どちらも生涯忘れられない日になったと思うと、とても面白かったです。
『黒衣の僧』は、精神が病んでしまったがために、自ら作り出した幻影と語り合うことができるようになった男の悲劇。普通って何だろうと考えさせられました。
誰にも迷惑かけていないのに、人と違った考えや行動というだけで、普通になるように矯正させられる主人公の苦悩が胸に響きます。
『六号病棟』は、病院敷地内の一角にある、精神病患者のみを収容した建物でのお話し。
哲学好きの院長が、自分の考えを議論できる相手が、たまたま長年病棟に収容されている患者にいて、仕事をほっぽり出して議論に没頭していたことから、話しが暗転していきます…。これを読むと、世間が決めつけている正しいと思われることも、本当にそうなんだろうかと考えることが大切だと思いました。それと、自分がもしこういう状況になったらと思うと怖い話しですね。
『退屈な話し』は、自分の命が長くはないと悟った、老医学教授の手記。手記という前提なので、身内のゴタゴタがひたすら書かれています。箴言めいた言葉も多くて楽しめました。最後は切なかったです。
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『六号病棟』が面白かった。
この作品の主題とも考えられるテーマは狂人とは何かという問題だ。イワン対社会、アンドレイ対社会やイワン対アンドレイなど様々な視点が見れる。しかし彼らの抱える問題の根本は社会に対する不満だ。アンドレイは知識を持つ人を探し不誠実ではない社会にイライラし、イワンは病棟自体の存在に憤怒している。町の人が未知な「病状」を「狂気」として区分け既知に帰ることでその未知に対する恐れを改善できる。このため、社会的に「正常」と異なる思想を持つものは「病気」や「狂人」と名付けられ社会から切り離される。
育ちや教育が個人の考え方にもたらす影響、生きる事とは何かと狂人とは何かの三つのテーマを扱う作品だ。