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村上春樹は断然短編の方が好き。
長編だと、なぜか途中で食傷気味になってしまうというか・・・、疲れてしまう。
こちらはニューヨーク発の24の短編集。
読み応えたっぷり!
どうしても一気には読めず一遍ずつ少しずつ読みました。
なかには以前読んだことがあったのもありました。一度読んだものでも新鮮に感じられました。
映画にもなったトニー滝谷が好き。蟹はなんだかずっと頭から離れない・・・。
摩訶不思議なシュールさがどうにもツボにはまる素敵な短編集でした。
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電車で一気に読んだんだけど、これってそういう本じゃなく、もうすこし一遍一遍を大事にすればよかったかな。また時間があるときに読みたい。
蟹ってどっかで読んだような気がしてならないのだけど・・・。
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村上春樹の比喩表現がおもしろくて好き。シーツの皺を直すみたいに口の端をきゅっとひっぱって微笑む仕草、だとか、彼の耳たぶはちょうど今焼きあがったばかりのマドレーヌのようにふっくらしていた、とか。
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短編の再録集Vol.2。長編の方が好きだが、このシリーズは装丁が素敵なので買ってしまう。
著者は、作品中に起きる「突拍子もない出来事」は「大きな比喩」なのだと語っていたと思う。それを考えながら読んでも、あるがままの印象を感じながら読んでも、どちらでも楽しめる。
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村上春樹の短編集はちょっと疲れるかも。いちいち、村上ワールドを紐解かなければならないというか。長編なら最初から最後までどっぷりはまれるのだけど。今回の短編集はは前半は独特の雰囲気が強すぎるように思う。なかなか理解ができず、しっくりこなかった。後半はいいなと思える話も。「東京奇譚集」は以前読んだが、これに入っていた話が好き。
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本邦初出の「蟹」を除いて、どれもみんな一度は読んだことのある短編だし、実は文庫で揃ってるんだけど、わたしの好きなものばっかり入っていたのでついつい本屋で手に取ってしまいました。こうやって改めて一気に読んでみると、それぞれの短編の性格の違いのようなものがよりはっきりわかる気がした。一冊ずつ短編集を読んで行くと「その短編集の雰囲気」に一編一編が乗っているような感じがするけど、これだけ一カ所に短編が集まっているともはやひとつの街のような、短編の雑煮みたいな、そんな感じになってまた面白かった。
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懐かしい感じがする。
この景色、どこで見たんだっけ、あの匂いがしてこんな明るさで、というような感覚が更新されて、あらたに色が加わる感じ。
職業というのは本来は愛の行為であるべきなんだ。便宜的な結婚みたいなものじゃなく。
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TWENTY-FOUR STORIES ニューヨーク発24の短編コレクション Collected short stories of Haruki Murakami vol.2 英語版と同じ作品構成で贈る~『めくらやなぎと、眠る女』『バースデイ・ガール』『ニューヨーク炭坑の悲劇』『飛行機-あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか-』『鏡』『我らの時代のフォークロア-高度資本主義前史-』『ハンティング・ナイフ』『カンガルー日和』『かいつぶり』『人喰い猫』『貧乏な叔母さんの話』『嘔吐1979』『七番目の男』『スパゲティーの年に』『トニー滝谷』『とんがり焼きの盛衰』『氷男』『蟹』『螢』『偶然の旅人』『ハナレーベイ』『どこであれそれが見つかりそうな場所で』『日々移動する腎臓のかたちをした石』『品川猿』~疲れる・・とりつきにくい・・設定やジャンルがばらばら・・寝る話が多く,それも配偶者以外・・一貫性がない・・何を狙っているのだろう。凝った装丁の裏表紙には「村上の手腕の前では,ジャンルという言葉は意味を失う。スリル,笑い,悲しみ,感動,恐怖・・・・一瞬にして,すべてが訪れる」と書いてあるが,この本に取りかかってから5日経つが,遅々として読み進めないので,一瞬にして「すべて」が来るとは言い難い。めくらやなぎとは彼の想像の産物だから,インターネットで検索してもその姿は見られない。印象に残っているのは『波』,表題作もそうかな,『トニー滝谷』も残るね。個人的には『螢』の寮が小学校通学路の横にあったもののよう。貧乏な叔母さん・・・すぐには思い出せないけど心の隅に引っ掛かる。vol.1象の肖像では英語版から著者が再翻訳を試みている。後ろから五つ,『偶然~』以降は東京奇譚集で既読
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石田いらに慣れてしまったため、久しぶりに読んだら読みにくい・・・
あんなに楽しみにしていたのに。
最初のファーストフード強盗の話と、ギリシャに元不倫相手と行く話は読みやすいし設定が面白いからおすすめ。
重くて持ち歩きづらいから相当読書家じゃないと、あるいは暇な人じゃないと読めないのでは・・・?
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NYの敏腕編集者によって名門出版社からだされた24の短編コレクションを日本語にした、逆輸入シリーズ第2弾
全体に、春樹作品の中でもわりと輪郭がはっきりして、それぞれに個性の異なる作品が選ばれているような気がします。
装丁がカッコイイ。
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村上春樹の短編集。
まず何よりも外装が素晴らしい。思わず見せびらかしたくなるような可愛らしさで、非常に愛着がわく。
肝心の中身だが、著者らしい神秘的で深い傑作が揃っている。私のお気に入りは『偶然の旅人』と『7番目の男』。
1400円と決して安くはないが、買って絶対後悔しない一冊。
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村上春樹ファンとしては、内容で五つ星なんだけど、ほとんどの作品が既に何処かで読んだ物ばかり...おかげで、なかなか気合入れて読もうとおもえない。
再読の契機になったのは、良いのですけどね...(^^)
2010/04/30: だいたい読んだかも...
2010/05/01: なんだかんだ読んでしまった。1Q84に戻ろう。
と言う事で、ショートショートを集めた、と言う点で全て初めて読む、と言う体験をしてみたかったなぁ、とただそれだけ。もし、そうなら、かなり印象の残る本になったかも...まぁ、あくまでも村上春樹を読んでるからこそ、思う印象かも知れないけど...(´。`)
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『分業というからには、僕らにも僕らなりの役割みたいなものがあります。ただ与えられるだけの一方的な関係ではない。何と言えばいいのかな、僕らは、何もしないことによって、彼らの過剰さを補完しています。バランスをとっているんです』-『ハンティング・ナイフ』
自分にとっての初めての村上春樹は「象の消滅」だった。出版されたばかりの黄色い本を書店で手に取ったと思う。その後「はじめての文学 村上春樹」「神の子どもたちはみな踊る」「東京奇譚集」と考えてみると短篇集ばかり読んでいるともいえる(1Q84、は特別かも)。過去の作品を読むことに抵抗はない筈だが、長篇には中々手が伸びないのはどうしてだろう。村上さん自身は自らをどちらかと言えば長篇の作家と認識しているようなので、申し訳ないのだけれど、自分にとって村上春樹はやはり短篇の作家という印象がある。そして自分は村上春樹の短篇が案外好きである。この「めくらやなぎと眠る女」も書店の棚にあるものを直ぐ手に取った。
しかし例えば柴崎友香の新作を手に入れて直ぐにわくわくしながら読んでしまうのとは異なり、積読の棚に収まった本書を読みだすには時間が掛かった。それは先入観かも知れないけれど、村上春樹の文章から立ち上がる作家の生まじめさのようなものに気圧されるだろう予感が先に立ってしまうからなのである。
内田樹の受け売りだけれど、村上春樹の書くという行為は、確かに、「雪かき」のようなものだと思う。誰かがやらなくちゃいけないけれど誰もやりたがらないこと、という意味において、それを「雪かき」に喩えるのは的を得ていると思う。そんな生まじめさが直ぐに感じられる。あるいは匂って来る、と言うべきか。例えば、村上春樹の小説に登場する人物はひどく説教臭いこと言う。そして額に汗しているような人間臭さが余りしない人物にそういうことを言われるものだから、カチンやシラーという気分が沸く人もいるだろうことは理解できるし、確かにそういう感想も多いように思う。でもそんなこと村上春樹だって当然解って書いているよね、と思う。こんな風に登場人物に何かを言わせたら反感を買うだろうなと。そこが雪かきの雪かきたる所以なのだと思う。
それでも登場人物にそういう事を言わせるのは何故なんだろう、どうしてこういう不思議な物語の中で急にそこばかり生まじめなんだろう、と、村上春樹はそういう風に思いながらでしか読み進められないところが、自分にとってはある。例えばこの短篇集では「七番目の男」なんて、最初から最後まで背筋に走る悪寒のようなものを止められなかったけれど、それは何処かで感じている後ろめたさに通じていることも解っている。自分もできる限り真っすぐに壁に向かっているつもりだけれども、いつもいつも自分の殻を壊してしまう位の勢いをつけているとは言い切れない。
そうしてどこにも存在しないような不思議な話でありながら、やっぱり全ての話が現実の何かを語っていて、しかもそれに対する村上春樹のスタンスは揺らいでいない、と確信できる。そのことがずしりと響いてくるのであれば、汗臭い人間は登場しなくてもいいんじゃないのかな、と思う。
『大義が��うあれ、戦争における死は、それぞれの側にある怒りや憎しみによってもたらされたものです。でも自然はそうではない。自然には側のようなものはありません。あなたにとっては本当につらい体験だと思いますが、できることならそう考えてみてください。息子さんは大義や怒りや憎しみなんかとは無縁に、自然の循環の中に戻っていったのだと』-『ハナレイ・ベイ』
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村上春樹は実に不思議な作家だ。短編などいちいち感動しながら読んでるくせにその内容は次々と記憶の器からこぼれていく。
これだけ厚い短編集だと、最後まで読み終えると最初の話は何ひとつ覚えていない。そしてまた読み返す。また新しい話を読んでるように新鮮だ。
内容を思い出すが、単なるリピートではなくてまたいくつもの新たな発見がある。
無人島に一冊だけ小説を持って行っていいといわれたらまよわず村上春樹の短編集だ。何度読んでも何度でもかみ締められる。
なんでそんなことができるかというと、たぶん彼の小説は完結しないからだ。終わってない。締めてない。結論が見えてこない。
本題とはかなりはずしたところでフッと力を抜いて話が切れている。
この本のタイトルとなっている「めくらやなぎと眠る女」は、いとこの耳の治療につきあって病院まで出かけ、かつてその病院へ行った日のことを思い出す。友達の彼女が入院していたのだ。その彼女が作っためくらやなぎについての詩をそこで思い出す。
丘の上に小さな家がある。その家には女がひとり眠っている。
家のまわりにはめくらやなぎが茂っている。
めくらやなぎが女を眠り込ませた。・・・・・というもの。
友達と彼女のエピソードを思い出しながら、いとこを待つ。
もどってきたいとこが映画「アパッチ砦」の話をする。インディアンを見かけた将軍にジョン・フォードが、「インディアンを見かけたというのは、つまりインディアンはそこにはいないということです。」と言ったというもの。
やがて帰りのバスが来て、いとこが僕に「大丈夫?」(たぶんこのバスで大丈夫かという意味)と聞き、僕はいとこの肩に手を置き「大丈夫だよ。」と言った。
・・・・・意味深いでしょ。余韻たっぷりでしょ。
現実離れしすぎてないけど現実ではない。どこか遠い世界の話みたいだ。
2023年再読
「バースデー・ガール」
二十歳の誕生日にアルバイト。オーナーの老人から、プレゼントとしてひとつだけ願い事をかなえてあげよう。と言われる。結局彼女が何をお願いしたのかはわからないが、願い事がかなえられたかどうかはまだ結論が出てないらしい。
「私が言いたいのは」と彼女は静かに言う。「人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないものなのねっていうこと。ただそれだけ」
二十歳の私は誕生日に何をしていたでしょう。願い事をひとつと言われたら何をお願いしたでしょう。願い事がかなえられていたとしても、今の人生とあまり変わりはなかったと思う。
「人喰い猫」
1986年ごろ、専業作家になりたての春樹先生はギリシャ、イタリアで過ごしながら「ノルウェーの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」を書き上げた(遠い太鼓より) 。季節外れのリゾート地の裏寂しさを思い返しながらこの短編を書いたのかしら。英語で書かれた新聞記事を訳しながら奥様に読んであげていた(とあったような‥)。いいなぁ。春樹先生の翻訳を独り占めできるなんて贅沢!短編のなかでは、新聞記事の内容が死んだ飼い主をむさぼり食う猫たちの話なんだけど��。しかも登場する男女の設定は、ダブル不倫の果てになけなしの金でギリシャにやってきて、つましく生活するうちに女の方が蒸発してしまうという救いようのないもの。
死んだ飼い主を食っちゃう猫って、本当にいるらしいですよ。
「蟹」
「野球場(回転木馬のデッドヒート収録)」という短編の中に、自分が書いた小説を読んでくれと原稿を送ってきた青年が出てくる。その内容は、シンガポールで蟹をたらふく食べ、夜中に吐いて便器をのぞいてみると、嘔吐物に白い虫が混入しておりうごめいていたというグロテスクなものだが、その話をひとつの小説として立ち上げている。自分は苦しんでいるのに、同じものを食べた彼女は平気な顔して寝ている。もうこの女とはうまくやっていくことはできないだろう。というもの。
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「人喰い猫」のはなしをすすめられて読んだ。
「僕」と「イズミ」の関係は、単なる不倫のような関係だと言い切ることができるのだろうか・・・。
「愛」ではなく「感応」という関係。
かくいう私の今の状況は、この「感応」的な出会いから「愛」という関係に導かれているような気がしている、と思っている。