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自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ/ なにもできないことを人のせいにしないで生きてるだろか。自分。
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2:魂に 震える
「駄目なことの一切を時代のせいにはするな」あなたが大切にしたいフレーズがきっと見つかる。
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鑑賞解説がついており、詩集が初めてでもとても読みやすい本です。
「自分の感受性くらい」や「汲む」、第二次世界大戦時の青春を唄った有名な詩「わたしが一番きれいだったとき」、亡夫を想う「歳月」なども集録されており、生きるための言葉のひとつひとつに強い意志を感じます。
一度読み始めると素直に詩の世界に引き込こまれてしまいます。
言葉を丁寧に味わうという感覚と、言葉のもつ強さを感じた本です。
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内定が出たら買うと決めていた一冊第二弾。
「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」
一生枕元に置いて幾晩でも共にしたい。
『落ちこぼれ』に収録されていない「ある一行」が収められているのもうれしい。
茨木のり子集『言の葉』全三巻がとてもほしいです。
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「自分の感受性くらい」が収録されているので読んでみましたが、解説が付いているにもかかわらず自分にはすこし難しい1冊でした。とても深く、詩と言うものはなんとすごいんだろうと初めてしに触れて驚きました。
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太い詩だ。全面的に訴える様な太い主張の通る詩だ。 感受性ぐらい自分でまもれ、ばかもの。 きっとその通りだ。 皆、感受性さえも守れないのだ。
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「詩」には2種類あって(私としては)、言葉の羅列で意味は分からないんだけれども何となく雰囲気を楽しむというものと、分かりやすい言葉でダイレクトに伝わってくるもの。この詩集は後者。表紙の詩に魅かれて読んでみましたが、他の編もとても良く、静かに満ちていくような読後感。いつかまた再読したい。
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自分の感受性くらい、がやっぱりすき。ばかもの!
この本を読んで初めて、ああ戦時中の方だったんだなあ、て強く感じた。言葉の味が素敵。
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茨木のり子の詩に出会うまでは詩歌の「良さ」というものをあまり見いだせないでいたのだけれど、「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」にガツンとやられてしまって以来、詩歌のたぐいからは、散文を読んだのでは得られない何かを感じる……ようになった気がする。
ここに纏められているものの中では、『ぎらりと光るダイヤのような日』『わたしが一番きれいだったとき』『自分の感受性くらい』がとくに好き。
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「自分の感受性くらい」で頼りない自分に喝をいれてもらい、「幾千年」で桜蘭の少女の嘆きに耳を傾け、「倚りかからず」でしゃきんと背筋をのばす。
「夢」で愛する人との重みを感じて、それをいつか失う日が来ることにおびえる。(存在)で透明な気と気の2人を感じ安心する。
そんな風に読みました。
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心に、ぐっと迫ってくる詩ですね。
詩は、あまり…ほとんど読みませんが…
こういう詩があるんだな~と、
ひとつひとつ、詩の背景の解説もあるので、
より、わかりやすく、初心者に良いです。
掲載している詩集名ものっているので、
それぞれを借りたくなりました。
著者の年齢的な、時代背景などでも、詩の内容が変わってくるのが面白いです。
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「あなたは もしかしたら/存在しなかったのかもしれない/あなたという形をとって 何か/素敵な気がすうっと流れただけで//わたしも ほんとうは/存在していないのかもしれない/何か在りげに/息などしてはいるけれども//ただ透明な気と気が/触れあっただけのような/それはそれでよかったような/いきものはすべてそうして消え失せてゆくような」(存在)
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茨木さんの詩集2冊目。
前回の詩集と若干ダブっている。
好きな詩は2作品。
『知命』:
「知命」とは「五十にして天命を知る」(論語)から五十歳の称らしい。
小包の紐のほどき方やこんがらかった糸の束をなんとかしてよ、と人から言われ鋏で切ったら、と言っても了解しないので、もそもそと手伝う。
「ある日/卒然と悟られる/もしかしたら/たぶんそう/沢山のやさしい手が添えられたのだ/一人で処理してきたと思っている/わたくしの幾つかの結節点にも/今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで」
これまで何事も一人でしてきた、とおごっていてはいけない。
周りの誰かのやさしい手がさりげなく差し伸べられたに違いないのだから。
五十歳を目前に控えた私にはドキッとする詩だった。
『倚りかからず』:
楽して誰かに、他の何かに安易に頼っていてはいけない。
つい神頼みしたくはなるけれどね。
「じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある/倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」
気の抜けたご時勢に物差しで背中を叩く音が聞こえてくるような詩、とは解説の方も巧い。
私も頼るのなら椅子の背もたれくらいにしておきたい、けれどなかなかね…。
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茨木のり子さんの詩集は、以前にも何冊か読んでいますが、この詩集の高橋順子さんの解説によると、意味を取り違えて読んでいたものがありました。この「永遠の詩」シリーズは解説が1作ごとにあり、とてもわかりやすく、選詩も、選りすぐりのものばかりで、評価されるべきシリーズだと思います。
「落ちこぼれ」
落ちこぼれ
和菓子の名につけたいようなやさしさ
落ちこぼれ
いまは自嘲や出来そこない謂
落ちこぼれないための
ばかばかしくも切ない修業
落ちこぼれにこそ
魅力も風合いも薫るのに
落ちこぼれの実
いっぱい包容できるのが豊かな大地
それならお前が落ちこぼれろ
はい 女としてはとっくに落ちこぼれ
落ちこぼれずに旨げに成って
むざむざ食われてなるものか
落ちこぼれ
結果でなく
落ちこぼれ
華々しい意志であれ
<解説より>
この国では、目立たないように身を処していないと、後ろ指を指されて生きにくいことになる。それゆえ、出足ががにぶい人、遠回りしている人には「落ちこぼれ」という美しくも、ありがたくないレッテルが貼られる。いまこの国の大地は、落ちこぼれの葉っぱを収容すべき弾力を失っているように、筆者には見える。この詩を書いたころの茨木は、みなさん、意志的に落ちこぼれようではりませんか、と檄をとばしていたのだが…。
さて、『作家のおやつ』(平凡社コロナブックス所収・2009年)によると、茨木が好きだった和菓子は名古屋の養老軒の白と黒の外郎。山形県鶴岡の栃餅だったそうだ。『寸志』所収。
「ぎらりと光るダイヤのような日」「わたしが一番きれいだったとき」「小さな娘が思ったこと」「一人は賑やか」「兄弟」「食卓に珈琲の匂い流れ」「恋唄」「(存在)」「歳月」もよかったです。
茨木のり子(いばらぎのりこ)
1926年(大正15)~2006年(平成18)。
敗戦後、結婚前後から詩を書き始め、川﨑洋とともに詩の同人誌「櫂」を創刊。
ヒューマニズムと批判精神溢れる詩で多くの読者の心を鼓舞した。
戦後を代表する女性詩人にして、エッセイスト、童話作家でもあった。
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残念ながらと言うべきか、小学生の頃の自分にとって、詩とは「言葉が少なくて読むのが楽なもの」以上のものではありませんでした。
大人になった今、何故だか詩というものに心をくすぐられながらも、「何がそんなに良いのか?」と問われれば、明確な答えは見つかっていません。
ただ茨木さんの言葉をまとまった形で読むと、「無理に頭で解ろうとしなくていいんだ」ということを教えられるような気がします。
論理的に解き明かそうなんて大それた事をやろうとしなくても、「あぁその感じわかるなぁ」と自分の中に自然と共振する部分を発見するのも、詩の楽しみ方かもしれません。