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[ 内容 ]
第二次大戦末期、特攻隊の一員として日本軍に加わり、死んでいった朝鮮半島出身者たちがいた。
その数およそ二十名。
韓国という国が存在しなかった当時、半島出身者が「日本人」として生き、死んでいくのは当然のことだった。
しかし、祖国独立後の反日的な世論の中で、彼らは「国賊」的存在としてタブー視されてきた。
いったい彼らは、何のために死んでいったのだろうか。
歴史の闇に埋もれた真実を掘り起こす。
[ 目次 ]
第1章 ある朝鮮人特攻隊員の死をめぐって
第2章 親日派狩りであぶり出される「不都合な真実」
第3章 「空への夢」に殉じた女性飛行士
第4章 南方戦線の朝鮮人特攻隊員
第5章 沖縄戦線の朝鮮人特攻隊員
第6章 特攻隊遺族が歩む隘路
第7章 韓国空軍を作った日本軍人たち
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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盧政権が時代をさかのぼってまで親日派を攻撃した理由は分からなかった。朝鮮人の方で特攻隊として亡くなったかたがおり、とても複雑な心持ち(祖国への奉仕はなく、出世の道が軍人等にかぎられていたことから作られたもの)であったのだろうと推察する。
めまぐるしく変わる歴史のなかで思想も大きく変わり、人々が翻弄されるという事例を学んだ。
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本書を読んで、日本と韓国の歴史をどう捉えるべきかと深く考え込んでしまった。
先の大戦で「日本人」として死んだ「朝鮮人特攻隊」の英霊たち。 彼らの詳細な歴史を本書で読むと、彼らが当時の日本に併合された朝鮮の優秀な若者として、精一杯に生きていたことがよくわかるが、戦後、韓国では「親日派・民族売国奴」とされているという。なんという「悲劇」かとも思った。
戦前・戦中の日本において、あたかも2級国民のように差別されてきた朝鮮人の若者にとって「軍」への志願は立身への細い道だったのだろう。
その中で「特攻隊」へと進むに至る本書の内容を読み、当時の日本が邁進した「戦争への道」とその後の「帝国の破綻」を思うと、息苦しくなるような思いを持った。
この息苦しくなるような感覚は、日本においては、この歴史的事実をどう捉えたらよいのかという認識が整理されていないためではないだろうか。
また、本書で綴られる韓国における「親日派狩り」を読むと、「悲劇」はいまだに続いているように思える。
本書では、「韓国空軍をつくった日本軍人達」という考察もある。「朝鮮人特攻隊」として死ねば「売国奴」、生き残り「韓国空軍の創設者」となれば「英雄」とは、なんとも違和感を感じる。
現在の韓国の「反日感情・反日行動」には、なんとも釈然としない思いを持っていたが、本書を読んで、両国の歴史を両国の国民が消化できていない事実を痛感した。
それにしても、「韓国併合」の歴史や「大日本帝国の崩壊」等の両国の歴史のどこに間違いがあったのだろうか。
本書の読後感は、「まるでトゲのような鋭い痛み」である。 本書を、良書として高く評価したいが、ではどのようにして解決したらいいのかという今後の思考法もぜひ知りたいと思った。
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この本を読むと、朝鮮人がなぜ特攻隊に入ったのか、分かります。
朝鮮の人が権利を得るために志願したのは悲しい話だと思いました。
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もし自分の住む国が他国の植民地であったら、果たして宗主国のために命を賭けて闘う事などできるだろうか。植民地化されて数世代が過ぎてるならまだしも、自分の親の世代に植民地化され、自分の親が恨みを抱いている様な国に対して、その子供達に宗主国への愛国心を持たせるなど出来るようには思えない。
先の大戦では、日本が中国や太平洋の島々の広範囲にわたりアメリカを中心とする連合軍相手に闘いを挑んだ。朝鮮半島や台湾は日本の統治下にあった事からそこに住む若者も戦争や生産労働にに駆り出されていく。
本書はその様な時代に、日本の特攻隊に参加した朝鮮人の方々にフォーカスを当てている。特攻隊はレイテ沖開戦において関行男大尉率いる神風特別攻撃隊の敷島隊に始まったとされる(実際にはそれよりも前に特攻した実績はある)。その後太平洋の島々を蛙飛びで撃破していくアメリカ軍が沖縄攻略のために大規模な艦船で攻め入った際の迎え打つ攻撃手法としてピークを迎える。映画でも有名になった鹿児島の知覧などから、大した飛行時間も無い少年飛行兵まで駆り出されて、次々と海に散華していった。当初アメリカから恐れられた攻撃法も、徹底的なアメリカ側の対策によって、艦船に近づくことすら困難になる。多くは沖縄を目指す途上に於いて撃墜されていく。
その様な中に朝鮮人飛行兵が存在していた事は余り知られていないのではないだろうか。当然、パイロットは難しい計器を扱い天気を読み複雑な操縦法を身に付ける必要性から、高いレベルの教育を受けた大学生や軍隊専門の優秀な成績を収めたものでなければなることができない。
本書に登場する特攻していった朝鮮の若者たちも、日本の大学などで将来を有望され期待を背負った方々だったに違いない。本書はその様な若者たちの出撃に際しての心の中にもフォーカスを当てる。果たして日本のためと考えていたのか、それとも日本人には負けられないと言う気持ちなのか、彼らのいない世界ではそれを突き止めることは難しい。ただ、彼らが残した遺書や関係者への言葉を辿っていくしかないのである。
時は韓国の盧武鉉政権で自国の政治批判を避けるために、国民の反日感情を使って国をまとめようとしていた時代である。過去の歴史に遡ってまで、親日的であった人々から土地や財産を没収する様な時代だ。残された家族たちが曲がりなりにも日本のために死んでいったなどと言えるはずもなく、またそうでなかったとしても、声に出せる様な状況ではない。特攻で亡くなった本人だけでなく、残された家族などからも聞き出すことはほぼ不可能だ。
本書はそれでも取材や遺品、戦史を辿り何とか近づこうとする。それがどの様な気持ちであったにしろ、唯一散っていった無言の兵士たちへの報いになるのである。
戦争は当たり前だが不幸以外の何物も残さない。現在もなお世界各地で沢山の紛争・内戦が繰り広げられている。今日ロシアのモスクワではウクライナが放ったとされる無人戦闘機が高層ビルに突っ込んだニュース映像を見た。戦闘が恨みを呼び負傷者や死者を出し、それへの報復が繰り返されるのを見て、後に残るのは虚しさと悲しみだけである事を改めて感じる。