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趙紫陽極秘回想録 天安門事件「大弾圧」の舞台裏! みんなのレビュー
- 趙 紫陽 (著), バオ プー (編著), ルネー・チアン (編著), アディ・イグナシアス (編著), 河野 純治 (訳)
- 税込価格:2,860円(26pt)
- 出版社:光文社
- 発売日:2010/01/01
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紙の本
深読みの可能な必読書
2010/03/10 00:34
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:梶谷懐 - この投稿者のレビュー一覧を見る
天安門事件で学生デモの武力弾圧に最後まで反対して失脚した中国の指導者、趙紫陽が晩年に極秘でテープ録音したものをまとめた回想録の邦訳がようやく出た。もっとも話題を集めるのは、やはり天安門事件に関する記述だろうが、個人的には、それ以上に1980年代の経済改革の実施の決定現場における証言が非常に興味深かった。中国経済のテキストでは「市場化経済の導入が決定された」の一言で済まされがちだが、実際には指導者たちの生々しい思惑と駆け引きの末に実行されたということがよくわかる。
中でも重要だと思われるのが、天安門事件の要因ともなった1988年の価格改革―主要物資の二重価格制の廃止―に関する記述である。
通説によれば、趙紫陽主導のもとで行われた1988年の価格改革の断行により、物価が急騰した社会不安を招いたことが、市場経済の導入に反対する保守派の格好の攻撃材料となり、趙紫陽が実権を失う最大の要因になったとされる。これに対して趙は、価格改革は財市場におけるゆがんだ需給関係の是正のためにぜひとも必要なものであり、慎重に準備を進めていたので「軟着陸」は可能であったと述べている。問題は、価格改革そのものではなく、その具体的内容が固まらないまま新聞やテレビなどで大々的にその実施が予告されたため、「価格改革によって生活必需品の価格がこんなに上昇する!」という流言が広まり、人々の期待インフレ率が上昇した結果、買いだめや預金の取り崩しなどの行動を政府がコントロールできなくなったことだという。
また、一旦急上昇した期待インフレ率を沈静化させるためにはすばやく金利を上昇させ金融を引き締める必要があったのだが、李鵬や姚依林などの保守派が金利を上げると生産が落ち込むのではないかと恐れて反対したためそれができなかったのだ、としているのも実に生々しくて面白い。
さらには、趙と胡耀邦の微妙な関係に関する記述も興味深い。一般には、胡と趙は経済改革の必要についてはほとんど意見を同じくしていたものの、政治の民主化・自由化に関して積極的だった胡耀邦に対して趙はかなり温度差があり、それが1983年の精神汚染一掃キャンペーンなどで結果的に胡の立場を苦しいものに追いやる原因になったとされる。
しかし、本書の中で趙は、むしろ農村改革が成功に終わった後の1980年代半ば以降の経済改革の進め方について、胡耀邦との間に深刻な路線対立があったことを強調している。趙によれば胡は、農村改革の成功例をそのまま都市の国有改革に当てはめることができるとし、その実施を急ごうとしたのに対し、趙は改革の効率性を重視する立場から、農村と都市の根本的な状況の違いに配慮し、また、地方政府の野放図な要求を抑えるためにも、急激な改革の実施に慎重な見解を示したという。趙は、このときの胡の姿勢を「盲目的な成長至上主義」に陥っていたのだと批判している。こういった両者の立場の違いは、これまで十分認識されてきたといえないのではないか。
・・以上、ちょっとマニアックな読み方をしてしまったが、このほかにもいろいろと深読みのできそうな、少しでも現代中国の政治や経済に興味を持つ人間なら、文句なく必読の文献だろう。
紙の本
翻って日本の現実も
2010/05/16 16:18
9人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
国際的経済学者である宇沢弘文氏が、朝日新聞に「私の収穫」と題するコラムを連載している。その5月15日付けに中国の元総書記趙紫陽に関する記述があった。
1980年代初め頃、中国の農村改革の実態を調査していた宇沢氏は、当時の農村における共産党幹部のひどい搾取を知り、「資本主義的搾取には市場的限界があるが、社会主義的搾取には限界がない。」との報告書をまとめた。
当然、共産党からは厳しい査問を受けることとなったが、その時末席から「宇沢教授の主張には一理ある」と弁護をしてくれたのが趙紫陽であった。
その後も両氏のつきあいは続いた。ある時、中国のいくつかの五カ年計画がすべて失敗したことについて、「党中央は常に誤謬を犯すという前提に立てば・・・合理的に説明することができる」という宇沢氏に、趙紫陽氏は政府の持つすべてのデータ・資料の提供を約束し徹底的な調査解明を求めたそうである。
しかしその調査結果も、1989年の天安門事件により発表する機会は失われてしまった。要約するとこんな話であった。
民主化を求める学生達を戦車が踏み倒しながら進む天安門事件の光景は世界を震撼させた。
中国はいまだにこんな状態なのか。
いまや大国と言われる中国も、国内の民主的成熟度のレベルは、いまだこんな状態だったのか。
党の絶対的権威を基盤として全体主義的な国家体制を運営するかつてのソ連に見られた誤った社会主義像が、また大きく世界に配信され、また世界中の人々の脳裏に植え付けられた。
天安門事件により、中国は自国のみならず、社会主義・共産主義の権威を大きく損ねたことになる。
本書より趙紫陽の言葉。
『かつての私は、国民が主役になれるのは、欧米先進国のような議会制民主主義ではなく、ソ連など社会主義諸国の代表大会制度だと信じていた。われわれの制度のほうが、より進んだ、より民主主義を実現した形態だと思っていたのだ。だが、それは事実ではない。われわれ社会主義国家の民主主義はすべて表面的なものにすぎない。国民が主役の制度ではなく、国民が一握りの、あるいはたった一人の人間に支配されている制度だ。』
『実際のところ、西側の議会制民主主義体制ほど強力なものはない。現在、実施可能な最高の体制である。民主主義の精神をはっきりとあらわし、現代社会の要請に応えることができる、たいへん成熟した制度である。』
『中国の現状を考えると、われわれは政治改革の究極の目標をこの高度な政治体制の実現に定めなくてはならない。この目標を目指さなければ、不健全な市場、権力の市場化、社会に蔓延する腐敗、貧富の差の拡大といった中国市場経済の異常な状態を解消できないだろうし、法治も実現しないだろう。』
趙紫陽の行おうとしたわずかばかりの改革もあっさりつぶされてしまった。結局、その後、趙紫陽は自宅軟禁を解かれることなく2005年1月に死去する。
中国は、成熟した民主的国家へ体制を変革していく大きなチャンスを逃してしまったようだ。
それでは翻って、「実施可能な最高の体制である」「西側の議会制民主主義体制」をとる我が国の成熟度はどうか。
休日に個人的信条に基づき政党機関誌のビラを配っていた公務員が東京高裁で有罪となった。
我が国においても、ますます狭まっていく言論・表現の自由。この国は戦後せっかく勝ち得てきた民主的成熟性を、いま逆にどんどん捨てにかかっているようだ。
結局、民主的熟度の度合いなんて、右とか左の問題ではないのかもしれない。