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紙の本
読んだあとで知ったのだが黒井千次氏は1932年生まれ東大経済学部を卒業しサラリーマンを経て作家活動に入っている。私よりも12年年上の78歳、文体の瑞々しさからは想像できない高齢でおられる。むしろ文学的に円熟した感性表現の極致なのかもしれないと驚きをもって読み終えた。
2010/08/12 18:28
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
読書好きの仲間の一人K君が酒の席でぜひ読むべしとすすめてくれた。宴席が終わって別れるときにも、長くないからすぐ読めるからと、手を振りながら念を押された。ところが作者の名前もタイトルも忘れてしまったのだが、執拗なまでの言い振りには何か理由があるはずだと気になっていた。たまたま「手を振る」だけは記憶にあって、本屋でそれを目にした時に、もしかしたらこれかもしれないと手に取った。作者もまったく知らない人だった。先入観をまったく持たずに、しかし第1章17ページまでだけで彼がすすめてくれた理由はわかった。私が間違いなく共感できる小説だと。そして私は完全にこの作品のとりこになっていた。
70歳を超えた浩平にすでに妻は亡く、結婚した娘が時々住まいにやってくる程度の独居生活の中で常に「行き止まり」を予感している。封印しておきたい過去の遺物などの身辺整理がはかどらないままのぼんやりした毎日。ある日、トランクにしまいこんであった妻と同じ学生時代のゼミ仲間であった重子の写真を見つめる。
「やがてすべては行き止まりになるという感覚に、その一葉のスタジオ写真が小さな穴をあけたらしかった。穴はべったりとした行き止まり感を突き抜けて先に進む通路ではなく、過去へ過去へと遡って行く入り口のように思われた。そして過ぎ去った時間の中には予想外の広々とした領域が隠されているのかもしれない、と考えるうちに、凝り固まっていた古びた身体が伸びやかに解き放たれていくような自由の感触がいつか浩平の内に生まれていた。」
この一節だけでも、痺れてしまう。
70歳という先が見えている老人、過去のすべてをたんたんと捨て去って死を迎えようとしている老人。この抑制された老人の精神が思いがけず、もしや新しい自分を生み出せるチャンスは過去にあるのではないかと飛翔を始める。このギャップが目に浮かぶようだ。
さらに読み手はこの想いのただならぬ行方を期待することになる。プロットとしても完璧だ。
そして肝心なことは、66歳の私自身、確かに先が見えてきている。封印したい過去もある。やがて行き止まりになるという感覚もうなずける。そして、もしかしてそんなことが自分にも起こったら………とドキドキするほどにリアルなのだ。つまり作者(主人公)と等身大の自分に気づくことである。
つのる思い。どのように会うきっかけを作ればいいのかと苛立ち、再会はしたものの彼女の内心をつかみきれないまま、一歩踏み出すことを逡巡する。重子の思いがけない熱情を受け入れる息詰まる展開。そして別離へ。亡き妻へ思慕は変わりないまま、揺れ動く浩平の心理を精妙に描写し、その反射として不確実な重子の心境を読者に暗示していく。
拾ってきた葡萄の小枝が徐々に育っていくのだがやがて………、それが恋の行方を象徴するかのようで鮮烈な印象が残った。
別れの瞬間、
「私に見えるように(手を)大きく振ってね」
と重子に言われ、頷いたものの浩平はそれをしなかった。なぜか。
そして、まだこの先があるのか?ないのか?と、浩平の「期待感」と「行き止まり感」がないまぜになった余韻嫋嫋たるラストシーンでは、私自身の心の準備を問われているようで、大いにうろたえてしまった。
「老いらくの恋」との表現はやや揶揄的であってふさわしくない、これは「老楽の恋」である。お互い伴侶が亡くなった二人であるが、まるで初めて恋をする少年のように、心理は恥ずかしげに揺らぎ、その初々しさ、美しさに魅了させられた。あぁこんな人生もありうるのか、まだ私の余生も捨てたものではないかもしれないと万感の思いで読了した。
蛇足ながらこの作品で、かつて読んだ二つの恋愛小説の名作を思い浮かべた。
桐野夏生『魂萌え!』還暦を迎える夫人が夫の死後、「行き詰まり感を突き抜けて先に進む通路」へと飛翔するストーリーである。本著と似ているようだがベクトルが方向違いに伸びている。
柴田翔 『されどわれらが日々―』学生たちの出会いと別れ。このヒロインは過去を否定して生きる道を選択した。だから本著のように二人が老いてなお再会することはない。にもかかわらず、老人となった男はその過去にほろ苦い感傷の衣を着せたままで、行き止まりの瞬間を迎えるのではないだろうか………と今の私には思えるのである。
紙の本
心に残るくちづけ
2017/01/04 07:33
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
くちづけ、という甘い言葉を久しぶりに味わった、そんな気分にさせてくれた小説だ。
但し、くちづけをするのは70半ばに近づいた男女で、この二人はかつて大学時代に同じゼミ生の時代があり、ともに人生の途中で互いに伴侶を亡くして、今は老いを実感としている二人である。
結婚前、それは学生時代であるが、二人は一度だけ掠めるようなくちづけを交わしたことがある。
それから半世紀を経て、二人はもう一度、「古い時間の味」がするくちづけをする。
もし、何かの違いがあるとすれば、学生時代は無言であったが、年を経て、二人は言葉を交わすことができる。何度も口唇を触れ合わすことができる。
二人の二度めのくちづけはしかし、重子という女が浩平という男に「老人ホーム」に入所を告げに初めて浩平の家を訪ねた折である。
学生時代には「振り返るところまでの」先の時間はたくさんあって、だから二人はこうして再会できて、携帯電話で話をし、メールの短文に心を寄せ合えるまでになったのだが、今回は「振り返るところまでの」時間はない。
だから、余計にラストの、駅で別れる際に重子の言う「私に見えるように、大きく振ってね」はあまりに切ない。
こんなふうにして人生を終わらせればどんなに仕合せだろう。
けれど、そんなことはほとんどない。
実際には「その先はもうない」「行き止りを前にして」うろうろするばかりだろう。
だから、この物語は、おとなのファンタジーなのだ。
ひたすら胸をうつ。
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