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料理を趣味とし、世界各地を旅してさまざまな料理に触れてきた著者が、料理についての分析をおこなった本です。
著者の提唱する「料理の四面体」は、火・空気・水・油という四つの基本要素を頂点にもつ四面体によって、世界中のさまざまな料理を位置づけることができるという考えかたにもとづいています。しかし、当初著者が本書の原稿を持ち込んだ出版社では、「きちんとした理論書でもなく、かといって役に立つ実用書でもなく、中途半端で出版に値しない」という理由でボツにされたと書かれており、また出版がかなった後も料理研究家から「ステーキはサラダである」といったような暴論に聞こえてしまう著者の意見への批判があったと書かれています。
著者の考える四面体上にあらゆる料理を位置づけることができたからといって、なんの役に立つのだろうかという疑問が生じるのも、理解できないわけではありません。著者は、本書のなかで一つの料理から四面体上の移動をおこなうことでべつの料理がみちびき出せることを示していますが、その効用について「知的なゲームとしてもなかなかおもしろいし、料理のレパートリーを実際にふやすためのトレーニングにもなるだろう」と述べています。
ただそれ以上に、ともすれば特定の文化的風土のもとに閉じ込められてしまいがちな料理をめぐるわれわれの思い込みを解き放つところに、本書の効用を認めてもよいのではないかと考えます。もちろん、料理をあじわうためにその料理の生まれた土地との結びつきにまで思いをいたすこともたいせつではあるのでしょうが、そのことを自覚するためにも、一度自明と思われた料理とそれに固有の文化的風土との結びつきから離れてみることも案外役に立つのではないかという気がします。
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【感想】
アルジェリア式羊肉シチューとフィレンツェ風ビステッカ。もしくはヨークシャー・プディングとアジの干物。
一見共通点が無さそうなこれらの料理も、筆者に言わせれば、全て「同じ種類」の料理である。フランス料理だろうと、中華料理だろうと、イギリス料理だろうと日本料理だろうと、その土地で獲れる食材の種類が異なるだけで、その「調理法」は全く同じである。
そして、その「調理法」とは決して複雑なものではなく、火・空気・水・油のたった4つから構成される「四面体」の中に存在するのだ。
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筆者の玉村氏は旅と料理を愛するエッセイスト。世界をさまざまに歩いて口にした料理からインスピレーションを得て、グルメ本・料理本を数多く執筆している。本書に出てくる数々の料理は、筆者が世界を旅した中で口にしたものと、自宅でフライパン片手に創作したものでできている。
料理には無限のレパートリーがある、と普通は考えるだろう。
人間は太古の時代から料理をしてきたにも関わらず、毎年のように新しいレシピ本が発売されている。世界の国の数だけ「国民料理」が存在し、一国の中でも地方によってさまざまな「郷土料理」が作られている。
とすると、料理とはあたかも無限に変化する化学現象であり、ある食べ物を他の食べ物から類推してカテゴライズすることは不可能に思えるだろう。カレーとシチュー、うどんとそばのように、調理法も食べ方もほぼ同一な料理ならいざ知らず、サラダと刺身、目玉焼きと青椒肉絲、牛肉の赤ワイン煮込みとブフ・ブルギニョンのような食べ物は、到底「似ている」とは言えない。
しかし、これらの料理は「基本の部分で同じ」であり、「火、空気、水、油」の4種類からなる調理法と食材の組み合わせである、と論じたのが本書なのだ。
そんな馬鹿な、と思うかもしれないが、この結論に至るまでの過程が実に見事である。
例えば「ローストビーフ」の原理。牛肉を焼く際に、グリルを使って直火で焼けば「牛肉のステーキ」になり、オーブンを使って(少し火から離して)焼けば「ローストビーフ」になる。さらに火から遠ざかり、熱と煙で焼けば「スモークビーフ」になり、さらに火から遠ざかり、太陽と風で焼けば「ビーフジャーキー」になる。(本書ではもっと複雑な過程を辿るが、ここでは簡略している)
こう考えてみるとどうだろう、「ローストビーフ」と「アジの干物」が似た料理であるように思えてこないだろうか。一見共通点があるとは思えない他国の料理であっても、実は「調理法」という根っこの部分でつながっているのである。
しかし結局のところ、「調理法が似ている」とはどこまでのものを指すのだろうか。「ローストビーフ」と「アジの干物」は火熱によって食材の水分を飛ばす料理であるが、「肉まん」は逆に水分を使って食材に熱を加える料理だ。これが「ポトフ」であれば、周りは水だらけになり、到底似ているとは思えない。
そこで筆者は各国の料理を引き合いに出しながら、調理法を構成する4つの基本要素を導き出した���それが「火・空気・水・油」からなる四面体である。
四面体の頂点にあるのは「火」であり、底面の三角形はそれぞれ「油、空気、水」を頂点としている。火から各頂点に伸びる線は、それぞれ
「火に空気の働きが介在してできる料理」=焼き物ライン
「火に水の働きが介在してできる料理」=煮ものライン
「火に油の働きが介在してできる料理」=揚げものライン
である。
例えば、焼き物ラインで火の頂点に近いところは「直火焼き」となり、空気の頂点に近い所は「干物」になる。揚げものラインで火の頂点に近いところは「煎りもの」となり、油に近づくにつれて「炒めもの」「揚げもの」と変わっていく。そして、火の影響が全くなくなる底面上では「生もの」となる。油に近い生もの、空気に近い生ものとはなんぞやと思うかもしれないが、豆腐で考えればわかりやすい。前者が油豆腐で後者が発酵させた(空気で腐らせた)豆腐である。
このように、料理は千差万別と思われがちだが、実はみんな、はじめから四面体のどこかに隠れているのである。
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料理は科学(化学)だと言われている。
化学物質は基本単位である「元素」まで細かく分解でき、いくら複雑な化合物でも、それを構成するのは二百種類にも満たない微小の物質である。
筆者はなんと、この「元素」と同じものを「料理」で発見してしまったのだ。
各国の調理方法を比べながら共通点を見出し、料理の根底に潜む「最小単位」を「火、油、空気、水」の4種類まで落とし込んだ。無数に存在する「料理」を分解しきって、超シンプルな方程式に置き換えてしまった。
この方程式を使えば、羊肉シチューやフィレンツェ風ビステッカを食べたことが無くても、豚肉の生姜焼きのレシピを応用することで料理できる。しかも作り方の要点さえ押さえておけば、さらに新しい料理にジャンプできるのだ。
本当に凄い。まるで手品のようだ。
新しい世界をひらく可能性を秘めた、見事な一冊だった。
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【本書のまとめ】
1 どの国の料理も、根底は同じ
フランス料理の生命はソースである。ソースには何十種類も何百種類もバリエーションがあるが、全部覚える必要はない。
肉を炒めたあとのフライパンに汁を入れて油脂・肉汁をこそげ落とし混ぜ合わせる。これを仏語でデグラッセというが、デグラッセする汁はワインでも生クリームでとブイヨンでもなんでもいい。この汁を変えるだけで、さまざまな種類のソースができることになる。
また、汁をかけるものを牛肉、豚肉、鶏肉、魚、と変えていけば、倍々式にレパートリーが増えていくではないか。
ひどく複雑な調理法も、根幹はごく簡単ないくつかの要素から成り立っていて、それが順列組み合わせみたいな倍々ゲームになって無数の枝葉や末節を繁らせているのだとは考えられないだろうか。
料理の基本は一緒であり、あとは風土によって手に入る材料が違うだけなのだ。
バターやワインやシャンピニオン等が手に入るブルゴーニュ地方でなら「ブフ・ブルギニョン��ができるし、オリーブ油とニンニクとトマトが豊富に手に入るアルジェリアなら羊肉のトマトシチューができる。もちろん、日本で手に入る材料であれば日本風のオリジナル料理(豚肉と焼酎で薩摩名物とんこつ)ができてしまうのだ。
各国の料理の相違点ばかりを見つめていると、あくまでもそれらの料理は相互に関連のない全くの別物だということになるが、共通点を辿ってみれば、実はひとつの同じ料理であり、時と所に応じてさまざまに異なる姿を人に見せるだけのことなのである。
2 ローストビーフの原理
ローストもグリルも、直火にかざすという点では完全に一致している。
ローストは肉を遠くから炙る様に焼く。グリルは焼き網のことだが、広く、直接に火に近づけて焼く「直火焼き」の意味に使われる。つまりビーフ・ステーキは、牛肉のグリル(直火焼き)のことで、ローストとグリルの違いは「火からの距離の差」ということになる。
直火による料理法(途中に水や油を介在させない)には必然的に空気が働きかけてくる。
火と空気の度合いにより、
炎に触れるほど近づけて焼く→グリル
少し火から遠ざかる→ロースト
さらに火から遠ざかる→くんせい
太陽の日と風で干す→干物
になるのだ。
3 天ぷらの分類
空揚げと天ぷらの違いとはなにか。
空といいながら、粉をつけることは許される。しかし、衣――粉を液体に溶いて作った結果できるドロドロした流動体――をつければ天ぷらになる。天ぷらはほとんど全地球市民に共有の財産だ。
とは言っても、日本語の「天ぷら」と「カツ」と「フライ」はかなりいい加減な分類であるため、これを正しく構成し直そうとすれば、
①なにもつけずに揚げたもの
②粉をつけて揚げたもの
③粉を含む流動物質をつけて揚げたもの
④粉を含む流動物質にさらに別の固形物質をつけて揚げたもの
となり、それぞれ
①素揚げ
②粉揚げ
③衣揚げ
④変わり衣揚げ
という名前になる。
一方、英語では炒めるも揚げるも、両方ひっくるめて「フライする」という。
世界三大料理の一角であるフランス料理は、揚げもののレパートリーが少ない一方で、中国では、鍋を基本的万能調理器として料理のシステムを発達させたので、ロースト料理のレパートリーに乏しい。
中国には焼き魚などの直火焼き料理すらないのだ。これに対して、暖炉→オーブンを万能調理器として活用してきた西洋人は、ふつうの煮物までオーブンの中に鍋ごと入れてしまうようなクセがつき、火にかけた鍋で油を操るテクニックには習熟しなかったのかもしれない。
4 火を使うもの使わぬもの
フランスや中国には、火熱と手間を加えたものでなければ料理とはいえない、という伝統がある。事実、生野菜の盛り付けをコックではなくウエイターがやっているレストランがある。一方、日本はすし屋の板前のように、「切る」「飾り付ける」部分も「料理」の過程とみなしている。
火を通さない代表的な料理がサラダだ。ここで、酢のものに油を一滴加えれば「サラダ」になる、ということが正しいと同時に、油の入らない酢のものもまたサラダの一種である、と考えることにしよう。
西洋における油の使い方は、日本における醤油の使いかたと似ている。とにかくなんの料理にでもかけてしまうのだ。とすると、「マグロの刺身」もまた、ひとつの立派なサラダであると言えるのではないか。(信じられない人は、マグロとツマとミョウガとシソ葉を混合して、しょうゆをかけて混ぜ合わせてみるといい。見た目も中身も立派なシーフードサラダになる)
サラダは、つまるところ材料を調味料で混ぜ合わせた「和え物」なのだ。
火熱を加えて料理した後の材料を調味料で和えたものは、それも抵抗がなければサラダと呼んでも構わない。ステーキにワインソースをかけた一品でもサラダと呼べるだろう。
サラダという名称は、火熱を加えて材料を処理するという意味での「料理」の中心的工程の前後に接続する、調味料を和えるという作業の総合的な表現にかかわっているのだ。
5 煎る
油が十分に多量の場合には「揚げる」、それほど多くなくても物体と鍋のあいだに充分に油が介在していれば「炒める」、それがどんどん少なくなれば「煎る」、そこからさらに進んで物体の表面が黒くなり、煙を発し始めたら「焦がす」ことになる。同様に、「蒸す」と「煮る」も非常に近しい関係にあり、煮る工程において水のほかに空気が強く介在していれば「蒸す」になる。
6 料理の四面体
料理とは、
(1)火
という中心要素の営みを受けてそれに対応する、
(2)空気
(3)水
(4)油
の三要素が支えてできるものである。
一方で、「料理以前」に登場して、しかも火と同じく必要不可欠な、ナマものの世界がある。
火を一番上の頂点に置き、空気、水、油を底面の3頂点とした四面体を「料理の四面体」と呼ぶことにする。
空気、水、油の頂点と火を結ぶ稜線が、それぞれ
「火に空気の働きが介在してできる料理」=焼き物ライン
「火に水の働きが介在してできる料理」=煮ものライン
「火に油の働きが介在してできる料理」=揚げものライン
である。
それぞれのラインにおいて、火の頂点に近ければ近いほど、三要素の介在の度合いは少なくなり、逆に、それぞれのラインで、火の頂点から遠ざかって下に行くにつれ、それぞれの要素の介在度は増し、同時に火の直接的な影響はしだいに少なくなって、ついに底面に達すると同時に、火の影響は途絶え、「ナマもの」になる。
何か一つの材料を、この四面体のどこかの一点に置くと、ひとつの料理が出来上がる。そしてその点を移動させていくと、次々に新しい料理ができる。
実際の料理では、何種類もの食品を組み合わせて作ることが多いから、その成り立ちはなかなかに複雑である。しかし、手順のひとつひとつを見ていくと、結局は基本的プロセス――四面体の中に位置づけることを繰り返す――なのである。
世のなかの料理のすべては、四面体のどこかにあるのだ。
料理の本を読むときには、まずそこに書かれている作りかたの手順を、四面体の原理を頭に置きながら、ひとつひとつ基本的プロセスに分解してしまおう。そうしてその料理の根幹を掴んでおけば、好みに応じて不必要なプロセスを省略してみたり、自己流にアレンジしてみたり、主体的な料理ができるはずだ。
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導き出された結論がシンプルすぎて、だが納得できるもので、なんというか逆に受け入れたくなくなる、苦笑。
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料理の基本が理屈、イメージでわかる一冊。料理のレシピやマニュアル、やり方とはまた違う視点でかかれた料理に対する一冊。
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これを読めば料理が上手くなるわけでもなんでもないのだが、料理を「考えられる」ようになるという点で画期的であると思う。
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まず何より筆者の文章がとても読みやすく好みだった。ユーモラスでありながら、細かい論理展開しかり、最後に振り返ったときに全てが布石として繋がっている筋の作り方に脱帽。
一つひとつのエピソードが面白く、さながら世界を旅しているような感覚。さまざまな料理、文化と出会える。
そしてタイトルにもなっている四面体の理論をはじめとする、事物の整理の仕方に筆者の恐るべき知性を感じる。
文化人類学に興味がある方には是非手に取ってほしい一冊。
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刺身はサラダの仲間だ、日本人は焼くという概念を意識して細かく分類してない等興味深い考え方が散りばめられていた。
でもあまりテンポよく読めなかった。
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料理の本質に注目すれば火、空気、水、油の4要素しかないよねという本。
調理へのハードルを下げつつ、無限の可能性を提示してくれる良質エッセイだった。
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某Podcastの堀元さんがたびたび本質本として紹介していたので、料理には疎い私ですが興味を引き読んでみた。
肩肘張らないエッセイ本ということで、すらすらっと読み進めることができたし、異国の料理と身近な日本の家庭料理との共通点を、少し無理やり感はありますがユーモラスに論じていき、結局納得されられている私がいます。料理に対するメタ認知の極致であるように思うし、そこまで俯瞰して料理を捉えることができたら、確かに刺身も結局はドレッシングをかけたサラダなのだなーと共感。
火を頂点として、空気、水、油の三点を底辺と置いた四面体が料理の根本原理。ここまで達観した主張を出らための思い付きで述べてるのでなく、最終章に至る諸々の考察がこの論旨を支えている。料理に対する精緻な研究がそこにあるからこそ、一見単純な主張がまっすぐ受け取ることができるのだろう。
個人的にお米の炊き上がりには少しこだわりがありますが、そこは硬くなったり柔くなったりが違う料理への誘いなのかもと、視野が広がったかな。
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著者のことは全く知りませんでした。
面白いタイトルだなぁと思い、手にとってみると著者の考え方もまあ面白い!
料理の表現がとても素敵でこれは食べてみたい!と思わせる文章が素晴らしいです!
内容も科学やコツとも異なっていて、法則や哲学(?)に近いものを感じます。
レシピを考えるときにはこの思想を取り入れて、作ってみようと思いました。
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そこで分類するのかーという驚きはあった。
しばらく読んでいて、そもそも料理に対してそんなに興味がないことに気がついた。
自分で料理をするようになってから再読しようと思う。
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料理の本質本。
ゆる言語ラジオで紹介していたのがきっかけで読みました。
あちらこちらに話が飛んでいって、それが面白さではあるけど少し読みにくかった。
最後の四面体のまとめを読んでから再読すると理解が異なりそう。
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頭のいい人は、具体と抽象を行き来するのがうまいという。この本で述べられているのは、世界各国の料理から、調理を構成する基本要素を抽出して四面体に落とし込み、その要素の組み合わせによって様々な料理を生み出すということで、具体化と抽象化そのもの。この四面体を知れば、これまで別個のものとして捉えていた料理同士のつながりが見えてきたり、既存のレシピにアレンジを加える発想を得られたりすると思う。新しいアイデアも既存の要素の組み合わせというが、四面体に当てはめれば納得感がある。
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世界中のありとあらゆる料理は基本的に原理は同じであり、(1)火という中心要素の営みを受けてそれに対応する(2)空気(3)水(4)油という三要素を合わせた四要素から、食材や調理器具などの差異こそあれども、成り立つ調理法の組み合わせだと論じている本書。この抽象的で聞いただけでは理解しがたい概念を、著者が出会ってきた様々な料理の丁寧な説明と共に読み進めていくうち、結論ではっきりとその教えの理解に驚きと共に至ることとなる。料理に於ける哲学書のような一冊。しかもこの原理は過去に存在したであろう料理やこれから未だかつて誕生したことのない料理にも通用するから、魅力的である。必携の名著。
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一言結論:料理の構造を解き明かした画期的な本。ここから何を学ぶかが問われると思います。
感想:世界中の色々な料理を実際に食べ、かつ知識を有しているからこそ辿り着く発想でしょう。料理のレシピとしての研究ではなく、料理という行為そのものの本質・構造を扱った本はなかなかないのではと思います。前フリはだいぶ長いですが結論の衝撃たるや!やられた感がすごいです。
復刻版にあたり著者のメモには「料理人からは否定的な意見も多かった」と書かれているように、この本が言いたいことを読者自身が考えなければただの戯言で終わってしまいます。ここから何を学びどう思考や行動に転換させていくのかが大事ではないでしょうか。料理に限らず、様々な分野はある基本法則・原理に基づいて成り立っており、それを理解しようと努めることがひいてはその分野そのものを理解することに役立ちます。物理学は良い例だと思いますが、物理学でなくても日常のあらゆる現象には大小の差こそあれ全て本質があるわけですから、それを構造化しようと努めるべきと個人的には思います。それは生活全体、人生そのものも然りです。
ですから、料理という一見基本原理など見えそうもないものが1枚の図で表されていることは衝撃的なことであり、私たちは自分の人生ひいては他の人の人生を良いものにしていくためにそれぞれの四面体を読み解いていくことを諦めてはいけません。この本は真理を突く点で大切なことを教えてくれています。必読です。