紙の本
イスラエル国家・シオニズムと超正統派ユダヤ教。
2011/02/13 21:28
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
イスラエルをシオニスト達人間が作り出した国家として存在を否定する超正統派の視点から見たイスラエル及びシオニズム論。
聖書だけではなくユダヤ教徒の近現代史についての知識がないと読みにくいかもしれない。
シオニズム自体をヨーロッパの民族主義の影響を受けた思想として、ユダヤ教と対比している。建国直後のイスラエルが社会主義イデオロギーの影響を受けながらもユダヤ教からも自らのアイデンティティを紡ぎ出していたが、ヨセフスやバル・コホバといったユダヤ教徒達からすれば否定的に捉えられた歴史上の人物達をシオニズムや建国後のイスラエルでどう扱われたのかも書けば、もっと面白いかもしれない。
ただシオニズム運動自体を否定しているので、何故この思想が生まれて、イスラエル国家を樹立したのかは見えにくくなっている。
「エレミヤ書」の中で新バビロニアのネブカドネザル王が「神の僕」として扱われているが、超正統派の視点では、よく似たものの見方が多用しているように思える。シオニズム側は1943年のワルシャワ・ゲットーの蜂起の前史としてマサダやバル・コホバが称賛されるように。
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投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る
難しい問題だなと思います。宗教とか民族と加賀、複雑にからんでいるので、簡単ではない問題が、山積ですね。
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ユダヤ教とイスラエルに関する誤解がするする解ける本。ろくに勉強もしてないぺーぺーの大学生にはかなりキツイ一冊だったが、読む価値は大いにあった。
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シオニズムについての誤解を訂正する良書だと思います。
私自身、ユダヤ教を熱心に信じているユダヤ人が、シオニズムを支えていると思いこんでいました。
学校の授業ででも、中高生にそのように教えていました。
しかし、この本に寄れば、むしろユダヤ教を信じることによってユダヤ人のアイデンティティが保てなくなってしまった人々の間で、シオニズムが力を持ったということで、なるほどと思わされます。
また、ユダヤ教を信じることと、パレスチナの人々を苦しめたり、殺したりすることが、どうして両立するのであろうかという素朴な疑問があったが、熱心にユダヤ教を信じる人々にとって、それらの行為が罪と理解されていることを知り、納得です。
ユダヤ教を心から信じている人々にとって、神の民としてのユダヤの民の回復は、人間的な努力によるシオニズムによってではなく、ただ神の行為によって達成されるべきもので、それを信じようとしないシオニズムは、不信仰であると言うことです。
とにかく、自分の中にあった誤解を訂正され、疑問に答えられた読書経験でした。
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これを書いた著者の気持ちを思うと、本当に感動した。
シオニズムの歴史、問題はもちろんだが、信仰心とは何かということに深く切り込んでいる。
日本でも他宗教の人との関わりが増え、信仰心への理解が必要だと思われる今、必読。
旧ソ連イスラム地域を勉強する中で、ロシアという国について考えることが多いが、イスラエル成立にもロシア(ソ連)の役割が大きかったと思うと、社会主義というイデオロギーがもたらした世界への影響は本当に大きく、現在も無くなってはいないのだと実感する。
ユダヤ人(教徒)であることとイスラエル人であることの難しさ、この国の矛盾を見事に描き出している。またこれはイスラエルに限ったことではない。
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確認先:町田市立中央図書館
ジュディス・バトラーやノーム・チョムスキーの「イスラエル国」批判やハンナ・アーレントのシオニズムへの期待と失望(そして痛烈な批判)の起源を、ユダヤ教神学のコンテクストやラビたちの意見表明などを丁寧にたどることで「イスラエル国=ユダヤ人国家」あるいは「シオニズム=ユダヤ教保守派」というすり替えに対するアンチ・テーゼを唱えている。
評者は対イスラエル国BDS(ボイコット、資本引き上げ、経済制裁)キャンペーンに一定の評価をしているのだが、しかし日本での運動指導グループたちが一様に「ユダヤ人=シオニスト」を自明視していることへの違和感も同時平行としてあるのだが、その違和感の根幹を本書で理解できたと考えている。彼らもまた、かの地に住むシオニスト同様、「ユダヤ教神学」やトーラーをまったく存じない地点からの空虚な放言でしかないのではないか、と本書を何度も何度も読み直すうちに理解してきたことである。
シオニズムというムーブメントを形成するに当たり、「ハスカラー」と呼ばれるユダヤ教啓蒙主義がその出発当初から「血と大地」のロマン主義に彩られていたこと、あるいは大陸ナショナリズム(byアーレント)と言語への幻想(現在イスラエル国で用いられている自称ヘブライ語は一種の人工言語であると、ラブキンはじめタルムード律法者の間で一致した見解にいたっている)やロシア語の修辞法で相手を染め上げることのみに血なまこを掻き立てた発想などは、そっくりそのまま自己安堵を得んがために行う承認欲求のそれであり、タルムードやトーラーはそれを戒めるはずではなかったのかというラブキンの叫びが聞こえてくるのである。
ラブキンは、現在多くのキリスト教シオニストという矛盾した形態が発生する原因も「まさにそれゆえだ」としている(評者としてはここに「日本・ユダヤ同祖論」のシオニズム的解釈を用いる日本人も同列に加わるであろうと見ている)。そうであればあるほど「神なき宗教」の「作為的教義」によって引き起こされる「宗教紛争」とはいかなるもので、トーラーやタルムードはそれに対抗することは、神に対していかに反逆でしかないのかという結論がユダヤ教倫理の知識がない私でも理解が及ぶ。
宗教は英雄を必要としないという中世期のタルムード律法者たちの言葉が今の私たちにも重くのしかかるのは、おそらく宗教と神話の関係を混同状態に置きやすくなってしまっているのか、あるいは宗教の権威を高めるがために神話の英雄を持ち出すことに良心の呵責がなかったか(こんなことを言うのは、おこがましいにもほどがあるが)、どちらにせよ私たちにとっての当たり前を一度根底から再考せねばならないのは事実である。
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この本が示しているのは
エピローグにあるページ359〜361に凝縮されている言葉であって
ユダヤ問題が人類問題の縮図でありひな形であることが読み取れる
この本を例え話として客観視することで、
人類史を描き直すことができるだろう。
そのことによって人類があるいは一人ひとりが、
今何をスべきかを神に頼ることなく<
自ら導き出すことができそうだ。
つまり人類そのものが、
神達の仲間入りをすることにもなりそうなのだ。
宛がい扶持の法律に添うことから其の法をもてあそぶことを覚え、
そのイジメ合いの体験によって、
お互いが心を開き争うことをやめて、
意識を磨き合うことで個々が生み出す倫理観を得るのである。
それこそがパラダイスへの交通手形。
ユダヤの民が国家を創造する時とは、
トーラを咀嚼しきり青い鳥を自らの心に見付けて、
卒業する時ではないのだろうか。
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イスラエルを建国したシオニストに対するユダヤ教の伝統的なラビたちの拒否反応は全く考えもしませんでしたが、確かにそのとおりです。イスラエルという現代の国家が必ずしもユダヤ教徒にとっては理想的な国ではなく、むしろキリスト教世界の帝国主義の手先として建国されたと言わんばかりの主張です。これは日本のマスコミの論調であるイスラムとユダヤ教の宿命的な対立のように書かれていることからすると全く意外なことだと思いますが、これが正統なユダヤ教の立場から考えるとそうだろうと納得できる話です。
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トーラーの名において シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史
(和書)2011年01月18日 23:46
ヤコブ・M・ラブキン 平凡社 2010年4月2日
asahi.comの柄谷行人さんの書評で知りました。
とても面白い。シオニズムとユダヤ教というものがユダヤ人がユダヤ教徒、イスラエル人とされることを的確にポイントを押さえながら明確にされていて参考になる。
「ユダヤ人の起源」も次に読む予定。
関係ないけど、昔は高橋源一郎の書評を参考にしていた。でもなんだか虚しい気がしてきた。柄谷行人さんを知ったのは高橋源一郎の文芸批評の本だった。それは収穫だった。そしてもう一つ収穫だったのが本を選ぶのに良い書評家を見つけることということだった。柄谷行人さんは当たっていると直観したし、それ自体は珍しいことではないと思う。ただ良い書評家を見つけて幸運だったと思う。柄谷さんの場合は書評以外にも作家としても良いです。