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確認先:稲城市立中央図書館
「「横浜西口に小田急グループがいる」と聞いて想像できるあなたは間違いなく小田急電鉄を知り尽くした人です」と言われたのは何時の頃だったかと逆算している(横浜西口にいる神奈中バスは小田急グループ)。
しかし本書にはそうしたご愛嬌ないしはユーモアがはっきり言って存在していない。
神奈川県民にとっての小田急電鉄への価値観は理解しよう。でもそれは、「一握りの」神奈川県民であり、「神奈川在住住民(ここには多他国籍住民や広義の神奈川県に含まれてしまう東京・町田市の住民含める)」でくくることのできるサイレントマジョリティの姿が見えてこない。わざと排除されているのではない、広岡が「見ようとしていない」のだ。それは自身が「女性」であるからということで取引材料になる意味ではない。
さらに言ってしまえば、この手の鉄道本がしょっちゅう陥る「鉄道会社の正史・技術論の焼き写し」があり(これは何も広岡だけの問題ではないのだが……)、それだけでいいのかという批判も十分可能だ。
少年のロマン主義の成れの果てに「鉄道趣味」を見るという試みがなされているが(辻泉「なぜ鉄道は「男のロマン」になったのか」宮台真司『男らしさの快楽』所収)、では女性が「少年のロマン」を代弁できるかといえばそうとも言い切れない側面があることを本書は逆説的ではあるが証明している。あたかも名誉男性的な地位を無作為のうちに求めようとして起こす承認欲求と相似をなすかのように。