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数年前、初めて台湾に行き、現代の日本人よりもきれいな日本語を話す年寄りに出会いました。
そのことの「意味」に考えを寄せてみたときにじわじわと感じる衝撃。
戦後60年を経て、なお日本語が彼ら彼女らのアイデンティティの一部であることの背景を知りたい…
私が台湾に興味を持ち続けている理由の一つです。
(もちろん、単純に美味しいものがあるとか、居心地がいいとかいうのもありますが)
著者の酒井さんが台湾に興味を持ったのもまさに同じ理由であったようです。
台湾の日本語世代の方への、日本語でのインタビュー集。
日本人だったらぜひ読んで欲しい。
そう思います。
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映画鑑賞後は、ただただ圧倒されてしまった。
活字になると、自分のペースで、
それぞれの登場人物の言葉を響かせながら読めた。
パイワン族の言葉『サイグー』、
この言葉と、台湾出兵の時の西郷従道が繋がるとは!!
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台北旅行前に読んでみた。
およそ50年の日本占領下で日本の教育を受けられた台湾人へのインタヴュー。
彼らは一様に、日本に恨みを抱きそれでも日本を好き とおっしゃる。
初めて台北を旅行で訪れてみて、龍山寺と夜市と街の雰囲気が大好きになった。もう一度と言わず、何度も行ってみたい と思った。
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いわゆる「日本語世代」も高齢化。台湾は51年も日本の統治化にあった事実。単なる「昔話」にしてはいけない。私は学校の歴史の授業でこういった事実を習っていない。これではいけない。今の学校はどうなんだろうか?歴史を学ぶことは必須だ。
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台湾の日本世代の人のことを、もっと世の中に広めてほしいと思う。この本を読んで、よくやってくれたと思うし、対談の内容も分かりやすく、親しみやすい。また台湾のことを思い出した。私も何かできないだろうか。日本も同じで、戦争を体験した人々があと何年かで終わってしまうときが怖い。その世代にしかない思いやりや基礎力、コミュニケーションがある。しかし世代は移り変わり、今の20代が大人になっていくのだから、仕方ないし、でも怖いなとも思う。
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教科書じゃ教えない日本の歴史がここにある。
日本人より、日本人ぽい方がいっぱい出てくる。
現代の日本では右翼、軍国主義と蔑まれるような考えの持ち主が出てくるが、戦後のGHQによるウオー・ギルト・インフォーメーションに侵されていないからだろう。今では祖母たちの世代からも聞けないような言葉がつづられている。
お国のために、戦った祖母たちの世代、台湾の方達がいたことを、風化させてはいけない。
DVDが見たい。
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日曜の朝、新聞の書評欄にのんびりと目を通す。その平穏な習慣の中に突然飛び込んできたのは、著者紹介の写真、というよりもその人の“目”だった。
『台湾人生』と題する一冊は、日本統治時代に教育を受けた台湾人の証言集である。証言者は全員が流暢な日本語を話し、インタビューは日本語のみで行われたという。そのことは勿論だが、私の心を波立たせたのは、遠くの何かを見据えたような力強い目だった。彼女の目が捉えたものは何なのか。地方紙の記者の職を投げ打ってまで、彼女を台湾での取材にのめり込ませたのは何なのか。ひとつの「予感」に駆られ、気がつくと私は書店に走っていた。
今世界地図を見ると、小さな日本列島だけが赤く染まっている。台湾はかつて朝鮮半島とともに赤く染められていた。「三枝の国盗りゲーム」という番組を思い出す。回答の正否により、オセロの駒のように領土が自分色にひっくり返っていくのが愉快だった。他国を自分の色に染めることを「支配」といい、支配しようとして攻め込むことを「侵略」という。そう考えれば歴史はゲームのように単純だ。だから「台湾はかつて日本の軍国主義に支配されていた」と断言するのは極めて正しい。だがしかし、日本の敗戦を境に、人々の心までが中華民国の色に瞬時にひっくり返ってしまったワケはないだろう。人の心はオセロの駒のようにはいかないはずである。
20年余り完全な日本人としての教育を受け、場合によっては日本兵として戦いもした。それが敗戦を機に唐突に、「お前は日本人じゃない」と告げられる。本書に登場する証言者は口を揃えて言う、自分たちは「日本に捨てられた」と。恨みつらみは確かにある。だが、むしろ恨みとは別の無念の念こそが強く伝わってくる。
日本による「侵略」(私はこの言葉を好んで使うわけではない)は、そもそも歴史上いつからはじまったのだろう。公式には明治27年の日清戦争からとされる。だが、私には異論がある。近世近代の日本が、外国勢力に向け攻撃を仕掛けた最初の一撃は、文久3年の薩英戦争で薩摩が英国船に放った一発目の砲弾である。そしてまた、最初の領土侵出は、日清戦争で占領した遼東半島ではなく、明治七年の台湾出兵である。
薩英戦争で最初の砲弾を放ち、後の台湾出兵では最高司令官を務めた一人の男の人生の謎を、私は20年来追い求めている。そのことは今はいい。それより薩英戦争の興味深い結末は、敵同士だった両者が互いを認め合い、英国が陰に陽に薩摩の倒幕運動を支援する実質的な薩英同盟を生んだことだ。全く同様に、台湾出兵においても「討伐」されたはずの台湾原住民と討伐軍とは、最終的に心底友好を交わす関係に至ったという。
撤兵の日、パイワン族(台湾原住民)の頭目は、日本側の総司令官の帰国を惜しみ、その腕に取りすがって号泣した。そして、友好の証に銀の腕輪を贈り、自らそれをはめてくれたという。その記録が二十年前から私の手元にある。だが、銀製ということ以外、大きさも形も、手首にはめるものか二の腕にはめるものだったかも、その形状は皆目見当がつかない。さらに、討伐された側のパイワン族が、本当にそれほどまでに心底から帰順したのか。腕輪に込められた���の友好の意味を証明できる証拠はないままだった。
本書で紹介されている日本語を流暢に話すお年寄りは7人。全員が80歳以上だ。その5人目の証言は「台湾原住民の誇り」と題されている。その1節はその証言の中にあった。
「パイワン族に≪サイグー≫という外来語があるの。その人の名前から来ているんですよ。その人物は聡明で傑物で頭がすばらしく、みんなから尊敬されてるんですよ。だから≪サイグー≫というのはパイワン族の言葉で≪しっかりしている。あっぱれ≫という意味」
なのだと証言者は日本語でいう。
そのサイグーと呼ばれた男とは西郷従道。証言したのは従道と戦い、後に彼に腕輪を贈ったパイワン族の頭目の5代目の子孫、元国会議員のタリグ・プジャズヤンさんである。
「必要な資料は必ず見つかる。欲しい資料はむこうからやって来る」と豪語したのは、記録文学の大御所吉村昭先生であった。
20年来さがしあぐねた腕輪の意味の証明は、あっけなく私の目の前にやって来た。
予感は確かに当たってはいた。
だが遅すぎた、のかもしれない。
証言したパイワン族の元議員は、取材直後の2008年に亡くなっている。享年81歳だった。
彼の最後の言葉は日本語で、家族はだれもそれを理解できなかった、と記されている。
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映画も合わせて鑑賞。著者が台湾で出会った日本語世代の方々に話を聞いた、ドキュメンタリー映画の内容を、文章の形でより詳しく語った本です。
先にこちらの本を読み、映画と異なる構成、文字で文章の形で入ってくる内容に、衝撃を受けました。台湾が日本の植民支配下にあったことは知っていても、実際の当時の様子を知る機会はなく、まして日本の敗戦・撤退後については無知だったので、この本の内容はとても勉強になりました。
日本に対して「解けない数学」と深い縁を感じてくださる台湾の方々の気持ちを、日本人のひとりとしてどう受け止めればよいのか、考えさせられました。
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台湾という国について日本人が知っておかなければならない史実が、戦争・日本統治時代を経験した人々から語られます。台湾のことについて学ぶ入門にも良い書だと思います。よく台湾人は親日と言われているけど、単純な親日というよりももっと複雑な感情があることが、はっきりと読み取れます。
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新・ゴーマニズム宣言の台湾論から台湾の歴史(日本が関わる所から)に興味を持ち始めた。この本は養老孟司さんの本で紹介されていたので読んでみた。台湾のお年寄りには日本に好意的な人が多い訳が何となく分かった気がする。
日本が台湾に教育を含むインフラを持ち込み、その中に日本の精神も入れこんだ。戦後中国本土からの国民党の質の悪さも台湾の方の不幸となるが、日本の精神を際立たせることに役立った。
仕事で何度か台湾には訪問したことがある。私が知っているのはアメリカに目を向け仕事をする人びとだけであった。若者は文化的に日本に興味を持っているのだろうと思ったが、残念ながら本書に出てくるようなお年寄りにはお目にかかることが無かった。
従ってこの本に書かれてあることは昔話の感が抜けない。
しかし、震災で最大の寄付をしてくれたのが台湾というのが厳然たる事実であり、そのような国に素直に感謝の意を述べられない政府に本当に残念に思う。台湾の人にもそうであるが、台湾に礎を作った戦前の日本人に対しても失礼ではないだろうか?
国力が無ければ正しいことを正しいと言えないのであれば、国力を高める努力をすべきと思う。
戦前の日本の良い所を再発見するためにも台湾との交流を深めてはどうか?
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著者が台湾を訪れた際、田舎のバス停で日本語を話すおじいさんと出会ったことがきっかけで、戦前に日本が台湾を統治していた時代に日本人として教育を受けた「日本語世代」の人々を取材することになる。実際に話しているところをみていないので、どのような日本語なのかは想像の域を出ないが、すべて日本語によるインタビューというのがとても興味深い。文章に起こすとやや日本語としておかしいところもあるが、いまでも日本語を忘れず操る老人たちにはただただ驚かされる。彼らに共通しているのは、日本に対する望郷の念と親である日本という国に見捨てられた恨みというよりも悲しさだ。いまでも自分のことを日本人だと思い、日本に育てられたという恩を忘れずにいる。この感覚はなかなか理解が難しいが、こうした日本語世代の人々のことを現代の日本人がどの程度知っているのだろうか。歴史教育の大事さを痛感する。文章からイントネーションまでは伝わらないが、時折西日本のような言葉が出てきて、当時日本語を教えた先生にそちらの人が多かったのだろうかと気になった。戦後日本がさっさと引き上げて行って、その後に大陸からやってきた国民党の暴虐ぶりは凄まじかったようだ。だからこそ余計に日本に対する思いが美化された部分もあるだろうが、戦争の負の部分以外を垣間見ることができてとても面白かった。映画版もあるそうなのでぜひそちらも観てみたい。そしていつか台湾にも行ってみたい。
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まさに台湾人生。
人に歴史アリと思う。この元となったドキュメンタリー映画を海外在住ながら出張に絡めて見に行った事を思い出す。映画というより、まさにドキュメンタリーだったわけだが、そこから得た原住民でジャングルで戦い続けたスニヨンの話や、白団やらと知識を得、そこから関連のある本を読み、より台湾と日本を理解出来たように思う。
もし台湾という国が好きで、本気で向き合う気があるのなら、読むべし。
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台湾は親日だから行くと楽しいよと友達に言われて旅行に行きましたが、それだけでは語れない深い複雑な感情がある気がして読みました。日本語を話す世代の台湾人には外人と言われ、それ以外の人たちには台湾人と思われて道を聞かれることが何度も。ほとんど溶け込んでしまって居心地が良いのか悪いのかわからなかったけど大好きになった国のことを知ろうと思って読みました。日本が統治していた台湾で日本の教育を受けた世代が日本語で語るドキュメンタリーを読んで逆に日本が好きになりました。アフリカの貧しい国で子供達に何がしたい?と聞くと必ず学校に行きたいというそうで、教育ってつくづく大事だなと思うのですが、統治国の子供に真剣に向き合った日本人の先生に、そして厳しかったけど可愛がられたと思い出を語るかつての生徒たちの言葉に胸が熱くなりました。
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映画より本のほうが入ってくる。ただ単に親日っていうふうには括れない台湾の日本語世代のひとたち。
人の数だけそれぞれの人生がある。しかしこの世代の人生には日本抜きには語れない。だって日本人だったんだから。
この複雑な思いを日本人はどうやって汲み取って繋いでいくのだろう。
果たして汲み取ろう試みるのか。台湾好きーっていうひとは必読☆
あー中国語もまだまだなんだけど台湾語も勉強したいなー。
来月はまた屏東にアマーに会いに行きたいと思います。
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最近、台湾旅行に行き、現地の人は皆親切だった。親日とは聞いていたが、台湾という国に興味を持ち読んでみた。
登場人物は日本語で教育を受けた陳清香さんなどが登場する。
日本統治時代から二二八事件後の生活の様子などあまり歴史を知らなかった私だが、その時の混乱や悲しみの様子が少し理解できた。
その時の様子が「悲情城市」という有名な映画になった。
彼らは日本の統治時代を振り返り、懐かしいとかんじながらも、年金のことなどで裏切られたという意識も持っていて若干苦い感情も入り混じる。もっと台湾のことが知りたくなった。