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読了したあとに、
ああ。やはり作中の、「心優しきエゴイスト」とは、この作品の象徴であるなと感じた。
(以下ネタバレ)
哲之は蜥蜴キンに突き刺さった釘を抜けなかった。恐怖と抵から情愛にすり変わり、青年として人生経験を積み重ねて前に進んでいくことを覚えた。最終的には釘を抜いてあげよう。という心境に変化していった。
客観的というのは相手の事を考えて物事を行うということで、結局のところ人間には主観で行動するしか術はないと感じた。だからこそ、哲之は最後に首をもたげ空を見つめたのだと思う。この直後には、キンへの罪悪感と感謝の気持ちに満ち満ちていたに違いない。
キンという存在をフィルターに、青春の1ページを描ききった傑作。
何度読んでも、めくったページページにエネルギーが溢れていて、ひとつひとつの言葉が心に刺さります。大好きな作品です。
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父が借金の整理を付けずに死んでしまった為に、主人公の哲之とその母は借金取りから逃れる為別々に暮らすことに。
哲之は田舎のアパートに落ち着くのだが、ひょんな事から蜥蜴と共に暮らすことになる。
彼女陽子への思い
バイト先でのホテルでのゴタゴタ
母親の暮らしを心配したり
借金取りが家に来るのではという恐怖
そんな哲之の一年間の暮らしが描かれている。
時代設定が昭和の末期ですので公衆電話を知らない世代に読んで欲しい。
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内容(「BOOK」データベースより)
亡き父の借財を抱えた大学生、井領哲之。大阪にあるホテルでのアルバイトに勤しむ彼の部屋には、釘で柱に打ちつけられても生きている蜥蜴の「キン」がいる―。可憐な恋人とともに、人生を真摯に生きようとする哲之の憂鬱や苦悩、そして情熱を一年の移ろいのなかにえがく、青春文学の輝かしい収穫。
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釘で刺されてしまった蜥蜴は、哲之自身だったのではないだろうか。
身動きが取れなくなった蜥蜴が、哲之の黒い青春の象徴だったのだろう。
そして、生きていく希望でもあったのかもしれない。
青春とは、春の夢のように短い幻のようなものなのか。
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忍耐の大切さを教えてくれる。また読みたい。青春のエネルギーと不安定感。ふとしたときにあの世に一歩踏み出してしまうかもしれないような危うさと、その中でも何がなんでも生きてやろうという熱情と。
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読み進めていくうちにとても引き込まれる。また哲之という人物に対しても、最初ろくでもない人間やんという感情からだんだん人間味のある愛すべき人間だなぁと変わっていく事に気づく。とても良い作品だと思う。ハッピーな終わり方で良かった。
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「青が散る」とシンクロする部分がありつつ、話自体はそんなに青くもなくみんなどこか不安定。話の起伏はあまりないけど、確信をついた表現もあって、もっと若い頃に読みたかった一冊。
勇気、希望、忍耐。どれも、どこか欠けてるな…
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この面白さを表現するいい言葉が見つからないけど、普通な人の普通な日常の中の普通な感情がすんなり深く入ってくる感じがいい。
2010/7/21
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内臓を貫かれたまま柱に釘づけにされ、一年間生き続ける蜥蜴と、父親の借金を背負った苦学生がシンクロする話。
身動きと取れない蜥蜴と哲之がゆっくりと重なっていくのが新鮮で自然に引き込まれた。
それにしても、彼女の陽子が素直で一途でかわいい。
哲之の母の言葉に、実家の母の顔が浮かんだ。
「夜、寝るとき、ああ、しあわせ、と思いながら蒲団に入れるようになりたいなァ…」
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こういう小説は読後感が気持ち良い。
青春時代の屈折と解放、自分が同年輩だった時の事を思い出して重ねてみました。
主人公哲之の恋人、陽子が居なかったら暗い幕切れになっていたんだろうと想像します。
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主人公が同じ大学生で「道頓堀川」にも雰囲気が似ているが、安アパートの柱に打ちつけられた蜥蜴を通じて、より深く「生と死」を掘り下げている気がする。
全体を通して抑えられたトーンで物語は淡々と進行するが、悩みを抱えながらも希望の未来に向かって生きていく主人公の若さが羨ましい。
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恥ずかしながら、私は社会人になるまで生活で苦労することは一度もなかった。
哲之の母が、幸せだと思いながら眠りたいと願う場面で思い出すが、私は実家で両親家族に守られて幸せだと感じて眠る毎日を送っていた。
私はたった4年間だが、親元を離れ海外で働き、守ってくれる者などいない生活を送った。
住んでいた家は天井がぼろぼろと剥がれてヒビが入り穴が開き、湯船はなくトイレとシャワーが一緒になった浴室があり、お湯が出ないことも多々あり真冬も水を浴びていたこともあった。
ベッドも古く中の骨が折れており、寝心地がいいとは言えない。南国だったが冷房は古過ぎて効かず、電気代が高いため稼働は1時間のみ。職場は違法労働が当たり前。毎日7:15-17:30が定時で休憩なしの肉体労働。残業はほぼ毎日。22時退勤の日もあった。
ぬくぬく育ってきたお嬢様は、そんな生活が過酷であった。意気揚々と日本を出たにも関わらず尻尾を巻いて帰って来たとは思われたくない、自分で選んだ道に後悔したくないと意地を張り、日本の友人には苦労を隠して成果だけを報告していた。
日本に帰国してからまた実家のベッドに入って毎晩眠っている。
最初は、こんなにも楽をしていいのか幸せを感じてバチが当たらないかと恐怖を感じ、眠れない日々を送った。
しかし今はどうだろう。また幸せだと感じながら眠っている。慣れとは恐ろしい。
親に感謝するのと同時に、家族は人生で一度も苦労をした事がないと気付き、血が繋がり一生味方でいてくれると分かっている人たちである家族であっても、私の考えや経験を同じように知ることはできない。
気付いた時には孤独感があった。
ラング夫婦が息子に犯したこと、息子からの復讐。
陽子の父が哲之に注ぐ偏見の眼差し。
哲之も陽子をいつか束縛してしまうのではないかと自らを疑う場面。
どれも私の人生で感じたことのある感情や環境であった。
誰しも生死を共にして生き、「欲」が束縛を生み、人を幸福にも不幸にもする。それを知っている人に、この本は刺さる。
哲之が幸せになろうと力強く生きていく姿と、キンちゃんが釘打ちにされても生きようとする姿は、そんな人に生きるエネルギーを与えてくれただろう。
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おばあさんの死に顔の描写は個人的にインパクトがあった。”生き様は死に顔に出る”いい顔で死ねる生き方ができてるか?自問自答したい。
決して明るい物語ではなく、絶望やいくつかの葛藤がありながらも、蜥蜴のキンちゃんに自身を投影した主人公が生きることに向き合い前に進んでいく様子は、”冬から春”への移り変わりを彷彿させる。まさにこの時期に読みたかったと思える一冊だった。
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詳しく当時の時代背景を知るわけではないが、自分が生きたわけではないセピア色の日本が書かれているようで、素敵な空気感の作品だった
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読書力養成読書、11冊目。
なんだろう、この、読むにつれて少しずつ少しずつ、じわじわと心に染み込んでくる、コクとうまみ。
始めはあまり好みじゃないかもと思いながら読んでいたのが、いつの間にか抜け出せなくなっていて、気がつけば懸命に生きる主人公に喝采を送っていた……。こういうのって、もしかしたら、これこそが、優れた文学作品というものなのではないかと思いました。
主人公の井領哲之は大学留年中。死んだ父が残した借金のために、母と別れて大阪の大東市にあるアパートに住んでいます。この物語は、このアパートで過ごした哲之の1年間を描いています。
哲之は、やくざの取り立てに怯えながら、恋人陽子との幸せなひとときに安らぎを感じ、多くの人たちとの交流により人生経験を積んでいきます。アルバイト先の、〈梅田にある大きなホテル〉で出会った上司やボーイ・キャプテンの磯貝晃一、ドイツ人のラング夫妻と沢村千代乃、さらには高校時代からの友人中沢雅見など。
この作品、想像以上に濃く、深かった。そしてけっこうスピリチュアル。要所要所でそう感じさせるのですが、その最たる要素は、部屋の柱に釘づけにされても生きている蜥蜴キンちゃんでしょう。この子が哲之や読者にいろいろなことを考えさせ、本書のタイトルへとつながっていきます。
人間てこんなにも心が揺らぐものなんだなぁと思うと同時に、自分も確かにこういうときあるなぁと気づきます。でもこれこそが生きている証拠。喜怒哀楽を味わい尽くしてこその人生、人間こうでなくちゃと、哲之を見ている神様が「いいね!」と満足げに笑っているような気がしました。〈キンちゃんも俺も、どいつもこいつも、自分の身の中に地獄と浄土を持ってるんや。そのぎりぎりの紙一重の境界線を、あっちへ踏み外したり、こっちへ踏み外したりして生きてるんや〉
この小説は、1980年代に書かれ出版されたものなので、哲之がバイト先のホテルで宿泊客からチップとして500円札をもらったり、誰かと連絡を取りたいときは公衆電話を探したりします。でもこの2点以外ではそんなに時代の古さは感じませんでした。
宮本輝さんの作品を読むのは、数十年前に『ドナウの旅人』を読んで以来だったのですが、今回、改めてもっと他の作品もじっくり読んでみたくなりました。『読書力』の中で目にしなければ、本書は読んでいなかったかもしれません。この出会いに感謝、読んでよかった。