紙の本
女性はいつだって強い
2010/07/17 07:05
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「私たちは、いま、暮しのことを、女だけの領分とは考えていません。男も、子供も老人も、みんな、とにかく毎日暮しているのですから、その暮しを、すこしでもよくしてゆこうというには、男も、子供も、老人も、女のひとと一しょにやってゆかなければ、なかなかうまくゆかないものだ、と思っています」
これは、昭和33年、雑誌「暮しの手帖」の「編集者の手帖」という編集後記に、本書の著者であり暮しの雑誌社の創業者である大橋鎭子さんが書かれた文章の一部です。
戦後女性と靴下は強くなったといわれたのは昭和28年頃だそうですが、そうはいっても昭和33年といえば、まだまだ男性の地位が高かった時代といってもいいでしょう。そんななかで、この大橋さんの文章は時代の先を鋭く読みといた、いい文章です。こういう信念があったからこそ、雑誌「暮しの手帖」は多くの読者から高い支持をえてきたのだと思います。
「暮しの手帖」といえば花森安治さんという名編集長がいたことは有名です。戦中から戦後をたくましく生きた大橋鎭子さんという出版人の半生を読むとき、やはり花森安治さんとの出会いはまず初めにあります。二人が出合わなかったら、「暮しの手帖」という雑誌は生まれなかったでしょうし、大きな視点でみれば戦後のありようも少し違ったかもしれません。
大橋さんはそれを「運命的な出会いだった」といい、その頃まったく別な職業に就こうとしていた花森さんを「暮しの手帖」へと導いた、それは「タイミングと決断が大事」だということだとふり返っています。
もちろんすべてが順調だったわけではありません。それは人気雑誌「暮しの手帖」であってもそうです。それなのに、大橋さんが綴る半生にはちっとも湿っぽいものもありませんし、暗澹となることもありません。きっと女性社長としてたくさんの苦労もあったはずなのに。
そういう突き抜ける明るさが大橋さんのバイタリティにつながっているのではないでしょうか。
「暮しの手帖」といえば、花森さんの功績が目立ちますが、大橋さんの明るさや思いやりが底流にあればこそ、昭和23年の創刊からずっとつづいているように思えます。
現編集長の松浦弥太郎さんの「今日もていねいに。」という言い回しも、大橋さんのそんな気持ちが受け継がれているのでしょう。
「ささやかな、それでいて心にしみてくる」というのは花森安治さんが「暮しの手帖」の人気記事「すてきなあなたに」が単行本になったとき書いた宣伝文ですが、大橋さんのこの本も、まったくそのとおりにできたすてきな一冊です。
◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でお読みいただけます。
紙の本
大好きな
2016/09/30 19:37
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投稿者:のきなみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
暮らしの手帖の裏話がいっぱいですごく面白かった。
昔の人の力強さ、バイタリティの凄さ!!
なんというか私は私の道を行くのよ!!という心意気が素敵!
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暮しの手帖という雑誌で、花森さんと大橋さんがどのように仕事に取組んできたのかという記録。
編集者としての生き様がくっきりと浮き彫りにされている。
著名人の名前がちらほらと出てくるのも楽しい。読み物として本当に面白かった。
暮しの手帖を買ったことがないのだが、がぜん興味が湧いた。
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大好きな暮らしの手帖社。
そうだったんだと頷くこと多数。
感想は以下にて:http://blog.goo.ne.jp/fc2008/e/c8ebe045c8c020a23187ddf1ac446376
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上品な文章…ああ、この方が「素敵なあなた」を書いていた方だったのか。
根っからの編集者タイプだなと思った箇所。P152「台所拝見のときは、これぞと思うお宅の裏口に回って、「この近くに○○さんというお家がありませんか。道に迷ったらしいんです」と話しだし、チラッと台所を見て、「いい台所ですね、じつは、私は『暮しの手帖』という雑誌をやっている大橋鎮子といいます。ぜひ見せてください」と上にあげていただき、「あらためてカメラマンを連れてきますから、写真を撮らせてください」とお願いするんです。」
暮しの手帖も、小倉遊亀さんの挿絵を使っていたんだ!
P156「「幸田文さんの随筆には小倉遊亀さんの挿絵だ」と、譲らなかったのは花森さんでした。さすがにいい誌面でした。」
東久邇成子さんの生活手記を載せた号が売れたという話に続き、
「それともうひとつ、うれしかったことは、ユネスコで、日本の文化紹介のため、雑誌を世界の国へ送ることになって、数多い婦人雑誌のなかから「婦人之友」と「暮しの手帖」が選ばれたのです。この知らせを受けたとき、本当に涙が出るくらいうれしゅうございました」(P111)
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「暮らしの手帳」が花森安治氏という名編集長によって創刊・発展していったことは知っていたけれど、暮らしの手帳社の社長である筆者のことは何一つ知らなかった自分。
でも、この本を開いてすぐ気がついた。
ああ、この文は「すてきなあなたに」と同じ匂いがしている。石井好子さんの「巴里の空の下オムレツの匂いは流れる」とも共通した匂いだ。
つまりそれは戦前の教養ある女性たちが自然と身につけていた品であり、心意気であり、自負心でもあったのだろう。
編集者としての心意気、よいものを作り上げていくための心構えが、上品な文章で綴られている。ありがちな「これみよがしな苦労話」「手柄話」は一切語られていないのに、読む側にそれを忍ばせてしまう筆力はさすが。
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暮らしの手帖社の創業社長の自伝。90歳。
驕らず、かといって、縮こまらず、素直に生きるって、人の生き方として美徳だなあ、ってしみじみ思う。
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ふつうに勤めていては、母と妹二人を幸せにできない。自分で仕事をしなければ。著者は銀座のビルに部屋を借り、画期的な「スタイルブック」を創刊。着物を使い、直線裁ちした服をのせた。「暮しの手帖」の創刊号には川端康成の原稿をもらいに行く。
花森安治と雑誌を作った著者の自伝。運がいいようでも、実は著者の世話好きが引き寄せた運と気づかされる。
(週刊朝日 2010/7/16)
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大橋鎭子さんが子どもの頃に亡くされたお父さんから
「お母さんと妹たちを守るように」と約束を言いわたされた事が
がんばる力の源になっていること。
戦後、ただ生きることで精一杯だった時代に
女性は「美しく」「おしゃれに」と伝える内容と、そのようにするための
切ないほどの工夫を共有できる雑誌は、大橋さんの意志の強さ
なしには生まれなかっただろうと感じた。
ベビーカーの強度テストをするためにスタッフみんなで
100㎞実際に押して歩いてみる。
その真剣さが「暮しの手帖」の基礎に据えられているのだなぁ!!
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長く暮しの手帖社の社長を務めてきた大橋さんの手記。暮しの手帖との日々を綴ったもの。御年九十あたりとのことだが、今でも出社してはプランを考えることを楽しみにしているという。暮しの手帖というと花森安治さんが立役者とされることが多いが、なかなかどうして……というか大橋さんこそ、まさに影の立役者なのだ。戦後すぐに、女の自分が稼いでいける仕事をと思いついたのが出版業で、会社を作ってしまったのだから。
書かれている話の数々は、理想の職場、理想の雑誌、理想の人生のように思える。それは丁寧な文章から薫ってくるんだけど、いろいろ大変なことはあったんだろうな。こういう一見おっとりしていそうで、バリバリ成果を出してしまえる人物が女性にはけっこういるような気がする。あと、会社を設立する顛末などは、うまい偶然が重なったかのようだけど、やっぱり人同士のつながりによるところが大きいし、原稿の依頼などにしても、かつてのつき合いが功を奏していたりする。人のつながりは大切だなと思わされる。もちろん、大橋さんならさもありなんと思えるくらい魅力的。これはと思った人への肩入れの度合いがすごいらしいし、新幹線内で赤富士が見えたとき、珍しいからと周囲に触れ回ったのだとか。
実は本書では花森さんが亡くなった頃までしか書かれていない。むしろ、花森さん亡き後のほうこそ大変だったのではないかと思うのだが、「聞いていただきたいお話がけっこうあります。それではまた近いうちにお会いしたく存じます」ということばを信じて待つことにしよう。
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とても面白かった。「暮しの手帖」といえば名物編集長花森安治さんのことがいつも語られるが、花森さんと二人三脚のようにして、この特異な雑誌を生み出し育ててきた人がいたことを初めて知った。しかも90歳の今なお現役で日々「タネ探し」にいそしんでおられるとは!
肩書きは社長である大橋さんが、ゆったりとした語り口で、自らの生い立ちから「暮しの手帖」の草創期を中心に花森さんの死までを綴っている。幼い頃の父の死、女学校の思い出、花森さんとの出会い、暮しの手帖が世に出るまでの苦闘、戦前から戦後を必死で生きた女性の軌跡として心を打たれながら読んだ。大変な苦労だったことは想像に難くないが、悲壮な感じはあまりない。上品っていうのはこういう事を言うんだなあとしみじみ思った。
読みながらずっと考えていたのは、ここにも「女学校魂」がある、ということ。戦前戦中に女学生だった人にはどこかしら共通するものがあると思う。生まれ育ちが裕福とは限らないが、少なくとも娘を女学校にやろうという意識のある家庭に育つ。女学校では、在学時期によって勉学に励めた期間に違いはあるが、良き恩師・友人と出会う。戦後は、言うに言われぬ苦労をしながら、多くの人が自らの稼ぎで家族を養っていく。田辺聖子さん、佐藤愛子さんのお二人も、筆者大橋さんもそうだ。育ちのいいお嬢さんが、いったん苦境に陥ると底力を発揮して、人に頼らず自分の力で世間を渡っていく。こういうのを見ると私は「ああ、女学校魂だ」と思うのだ。
かつては定期購読していた「暮しの手帖」、実用的なんだけど、どこか浮世離れした気配があってそこが良かった(ファッション記事など「こ、これはいったい誰が着るのか?」的なミョーなのがよくあった)。いつから読まなくなっただろうか。久しぶりに買ってみようと思いました。
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大橋さんの文章には、品がある。
母が私に「すてきなあなたに」を渡してから、どれだけたったことか。しかしその品は、今読み返しても色あせることもなくかえって輝きを増すようである。
彼女の文章は、優しくやわらかく、しかし芯が通っている。激務の中で作られる雑誌であろうはずなのに、いささかの乱れも慌ただしさもない。
キャリアウーマンの先陣を切っておられたはずの彼女なのに。
仕事の乱れを見せない。しかし精魂を傾け、甘さを排除した結果は、今も尊敬される業績になっている。荒々しさのない、端正な生き方が結果を生んでいる。
私はこの後塵を拝する女になれるだろうか。
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「暮らしの手帖」「すてきなあなたに」日常を大切にしたこれらのすてきな本を作られた大橋さんの自叙伝。
さまざまなエピソードをドキドキしながら読みました。
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時代の移り変わりの中で、どのようなターゲットに何を提供するか、自分に出来ることを周囲の協力を得て実現していく著者の生き方に共感を覚えた。特に女性の観点からも共感出来るところが多く、時代は変わってもこういったマインドと行動力を持った生き方が大切なのだろうと感じた。
個別のエピソードでは、銀座発の雑誌「スタイルブック」が大反響だった話、しかし一年経つと類似の雑誌が出て売れなくなり、そこで新しく創刊した「暮らしの手帖」で川端康成の手記や皇族の暮らしを特別企画で掲載した話などが興味深かった。
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1人の女性が、どうやってお金を稼いでいこうかと、自分のできることを考えたことから始まったものが「暮らしの手帖」のきっかけであったとは。「暮らしの手帖」の成り立ちがよく見えるのだけれど、やはり、花森安治という圧倒的な個性がいかに大きいものであったかを、再確認させられたように思う。