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紙の本
地方からの声を聴け
2010/11/20 11:00
8人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
鎌田慧氏の力作に「地方紙の研究」がある。あまり知られることのない地方紙の奮闘が描かれる。
自分の書いた記事が、日本全国に知られる機会はほとんどないが、それでも丹念に、地方のニュースを掘り下げ、記事を書く多くの地方紙記者達がいる。
そして、その記者達のパワーがすばらしい。
本書より、ほんの一例を見る。
1999年に東海村の核燃料加工会社JCO東海事業所で発生した臨界事故は、全国的にはとっくに過去の出来事と言える。しかし、その地方に住む人々にとっては、決して忘れることのできない、いや、自分達の未来のためにも決して忘れてはならない、常にチェックを怠ってはならない出来事だったなのだ。
茨城新聞社は、10年後の今も事故を検証し続けている。
全く同様に静岡新聞社は浜岡原発のリプレース計画を追い、佐賀新聞社は九州電力玄海原子力発電所のプルサーマル計画を追う。
公共性という名の下に、特定の地域に極端な不安と負担を与える原子力政策を、原発から離れて暮らす人々は知らん顔していて良いのか。
この地方からの声が全国に伝わる術が欲しい。
いまや、当たり前のように日本の国際的窓口として多くの人が行き交う成田国際空港。しかし、その開港に当たって、多くの人たちの人生を方向転換させ、多くの人たちの血さえ流された事実は、決して忘れられてはならない。
千葉日報社は、開港から30年経った成田空港を県の財産として、過去、現在までの軌跡を振り返り未来に向けた姿を展望する。
多くの犠牲を払って作られた公共の持ち物をいかに有効に使っていくかの検証は、本来、いち地方に被せてよいものではないはず。
そして、「公共」というバケモノが、どこまで個人の権利を奪うことが許されるというのか。各地で繰り返される公共事業の是非を判断していくためにも、過去の検証は全国レベルで必要とされているもののはず。
同様にいまや当たり前のように存在する本州四国連道路しまなみ海道も開通10周年をむかえた。愛媛新聞社はこの10年間を検証する。公共施設は決して、「できてしまえばそれでよい」と言えたたぐいのものではないはず。
まったく同根の問題として、熊本日日新聞社は川辺川ダムを検証し、東京新聞は八ツ場ダムを追い続ける。
中国新聞社は、米軍岩国基地問題をどこまでも追う。米空母艦載機部隊の移転をめぐる国と岩国市の対立は、決して一地方の問題ではない。全国民の負担を一地方に押しつけることについて、もっともっと全国民は関心を持たなければならない。その話題は、もっともっと全国ベースのジャーナリズムにのらなければならない。いち地方新聞社の孤軍奮闘がまぶしい。
それは、沖縄タイムス社と琉球新報社に顕著に現れる。普天間移設問題。沖縄が地方から発する“怒り”の言葉は、いつになったら全国に届くというのか。
地域経済の問題でありながら、日本経済全体の動きを予兆する動向にも地方紙は眼を光らせる。市場原理の中で大企業トヨタの足元が崩れていっている。中日新聞社のレポートは、大企業トヨタそのものしか眼にはいっていない全国紙のまさに死角をつく。それは、しかし、この先の日本を占う重要な視点を含んでいる。
最後の例として熊本日日新聞社を再度あげる。水俣病の原因企業チッソの分社化が進められている。この話が進めば、水俣病の責任の行方は、いよいよ不透明化される。このままで本当に良いのか、という地元からの投げかけを、全国民は受け止めることができるのか。
地方の発する小さな小さな声を、全国民共通の課題として受け止め、いかに全国的な問題として対処できるか。いち地方に極端な犠牲を強いる前に、全国民で負担を分かちあう体制をいかに構築できるか。そんなシステムができている社会を民主社会と呼ぶのではないか。その意味では、今の日本は大いに非民主社会である。
まずは地方で汗を流し問題定義を繰り返す地方紙記者達の努力に敬意をあらわす。
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