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小学生の頃、水練学校(今のスイミングスクールで当時大阪の小学生は夏休みに堺・浜寺海岸にある水練学校に男の子は6尺褌を締めて通った)に行く途中の浜寺公園全体が進駐軍の住居地区になっていた。日本人は中に入れず広い進駐軍の住居地区をまたいで南海電車浜寺駅から海岸まで長い陸橋があり、当時はめずらしい青い芝生や白いモダンな西洋建築の家、自転車に乗ってアスファルト道路を走り回るアメリカ人の子供たちを見ながら水練学校に通った。住居地区には映画館まであり、子供の目には別世界に映った。戦後10年余、昭和30年代初頭である。
戦争を知らない子供たちとして生まれた私でも、終戦当時の日記を読むとつらい。
つらいと同時に改めて怒りを感じる。何に怒りを感じるかというと軍部であり国である。
ただ軍部や国が暴走したのは、世論がそれを容認し当時のマスコミ(新聞、ラジオ)がそれを煽ったから。そしてその風潮を軍部が利用し政府が容認した。
もちろん当時は今ほど国政の情報は公開されておらず(それどころか情報統制で一般国民は嘘八百の情報を聞かされていた)、国民は騙されていた。
戦後民主主義となり情報は以前と較べたら随分公開されるようになった。ただ私はマスコミを十分信じることができない。世論操作や情報操作をしているとまではいわないが、事実をバランスよく伝えるのではなく、売らんが為の感情的情緒的な報道が多い。
良くも悪くも世の中を変えるのは一部の権力者ではない。
世の中を変える根源は世論とマスコミである。
世の出来事に対して感情的情緒的にならないよう、一人一人が極力自制する以外に無い。
Boy! Boy! Crazy Boy! Get cool boy! Get a rocket in your pocket! Keep coolly, cool boy!
映画West Side Storyの歌Cool!
高校時代に観た。カッコ良かった!
2010年08月21日 12時17分 [ 閲覧数 15 ]
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野坂氏はとても誠実な人だと感じた。一時TVCMに出た頃は気障を装う変なおじさんという印象しか持たなかったのだが、『火垂るの墓』を読んで一変した。そしてこの『「終戦日記」を読む』のあとがきではこう締めくくっている。「ぼくはぼくなりにあの戦争と向き合い、書き続けることこそ、自分に与えられた業だと思い定めている。」ますます敬意を表したくなった。
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様々な人たちの日記と、自らの体験を通じて、あの戦争は何だったのかを考える。東日本大震災、原発事故の起こった今、戦争末期から戦後の混乱期に、一般の日本人がどのような考え方をしていたかを、改めて見直したくなった。