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ネットに依存しているつもりはないが、思考パタンは明らかに影響を受けている。以降は本からの引用です//長期的に見ればわれわれの思考や行動に影響を与えるのは、メディアの内容よりもむしろメディア自体である。メディアは・・・思考のプロセスを形成してもいる・・・ネットは集中力と思考力をそぎ取っているかのよう。かつての直線的プロセス、断片化された短い情報を・・・分配しようという新たな種類の情報・・・速ければ速いほどよいのだ。考え=変えることのできる脳。可塑的変化は・・・必ずしも行動の改善につながるものではない。ネットとそれが取って変わったメディア…違い…ネットは双方向…。われわれひとりひとりを互いに結びつける…。反応と報酬を伝達する高速システム…陽性強化…もネットは提供する。長期記憶は…スキーマ体系てき図式をも保管。オンラインでは…単なる情報の解読者…気を散らされることなく深く読むとき…脳のなかでは豊かな結合が生じる…これを生みだす能力がオンラインでは大部分停止したままになる…。グーグル…インターネット…全てがメインビジネスの補完材。
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簡単なことをわざと難しく言ってるような気がする
気難しい雑誌に連載していたためか、それとも自分に酔ってるからなのか
いたずらに集中力を要求する本だとおもった
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電子書籍、web活用に興味関心ある人には、分野的には、人材育成、教育といった分野の人におすすめ。
ただし、タイトルがよくない『ネット・バカ』 原題を見ると『THE SHALLOWS』。
波乗りのときに使うシャローを意味する浅瀬になるんだと思う。
タイトルだけ見ると、インターネットを使うと、人は退化するとか、知的レベルが落ちるといったことに直結されてしまいそうだが、そんな内容ではない。
ネット、PCが、我々の脳にどのような影響を与えているのか、そして、もうこれは、元に戻る事はできない。だからどうしたらいいのかを考えさせられる一冊だった。
自分の体験に照らし合わせても納得する点が多く、自分の脳の動きが明らかに新たな流れを作り出したことを感じた。
久々に、集中して、付箋をたくさんつけながら読んだ一冊。
もう一度、じっくりと読んで、自分なりの考えをまとめていきたい。
ニコラス・G・カー blog http://www.roughtype.com/
ちゃんと読めるようになりたいな。
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またしても深い。ニコラス・G・カーらしい仕事。マスト。
幅広い知識に裏打ちされた刺激的なエピソードとフレーズのオンパレード。
ただ本当に、邦題がどうしようもない。これではほとんどの潜在的読者を刺激しないだろうし、間違った読者を呼び込む可能性が高い。ニコラス・G・カーの他の著作を気に入った読者は、きっと買うだろうけれど。
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「クラウド化する世界」以来の2冊目のニコラス・G・カー。この人の書くのはほんと面白い!大量の参考文献が巻末に記されていることからもわかるけど、内容がほんと特濃で読み応えありまくりまくりすてぃーなあぎれら(くどい)。
ただ、ひとつ苦言を呈するならば、この題名ですよね。
「ネット・バカ」
バカはおまえだよっていう。なんちゃらバカってもう流行らんでしょう。「バカの壁」もだいぶ前だし。
この題名のせいで、本の印象がだいぶ軽薄になっちゃいますよね。
原題は「The Shallows」ということで、shallowな題名にはたしかになっています。
もちろん内容は、ネットするやつはバカだみたいな浅いものでは決してなく、知的ツールの歴史からそれが社会に及ぼしてきた影響をたどり、脳の可塑性によってネットは私たちにどう影響するのかを広大な視点から書かれています。
以下章ごとに読書メモ。
一章
作者のネット遍歴と、これを書くにいたった契機。
二章
脳の可塑性について。
可塑的であるとは弾力性があるということではない。可塑性は「発達と学習のメカニズム」であるだけでなく「病理の原因」ともなりうる。(p55)
三章
テクノロジー決定論者と道具主義者
テクノロジーは単にそのものにとどまらず、社会に多大な影響を与えるもの。
「風車は封建領主のいる社会を与え、蒸気機関による製粉所は産業資本家のいる社会を与える」カール・マルクス(p72)
テクノロジーは外部からの補助というだけではなく、意識の内部からの変革でもあり、そのことが最も良く表れるのは言葉への影響においてである。(p78)
四章
言葉と本について
グーテンベルクの発明後。。。
五章・六章
ネットと従来の印刷物との関係、本
個人として啓蒙や娯楽を得るためというよりは、主に「所属感を得るために」人々がものを読む世界に合うよう、書き手は書くものを変えていくだろう。社会的関心が文学的関心を圧倒すれば、作家は文学的妙技や実験を控え、陳腐ではあるがすぐに理解できるスタイルを、優先せざるをえなくなると思われる。(p153)
七章
作動記憶が限界に達すると、重要な情報とそうでないもの、すなわちシグナルとノイズとを区別することがより困難になる。すると我々は何も考えずにデータを消費する存在となってしまう。(p177)
脳の可塑性からすれば、スキャニングやスキミング、マルチタスクなどのオンラインでの習慣で使われる神経回路が拡張したり強化されたりすれば、一方で、持続的集中をともなう深い読みや深い思考に使われる回路は、弱まったり浸食されたりするだろうと推測できる。(p198)
オンラインでマルチタスクを行うとき、我々は「クソに注意を払うように脳を鍛えているのだ」。(p199)
この章に関しては、自分の論をサポートする文献ばかり引っ張ってきている印象があるので完全に信用できる訳ではないけれど、実感として、タブをたくさんひらいてブラウジングしている時や、���イッターのタイムラインを眺めているときにクソに注意を払っているような気がする。そして、集中して本を読むということも以前より難しく感じることが多い。
これは気づけてよかった。
八章
グーグル批判
九章
短期記憶、長期記憶、人工的メモリーの違い
「コンピュータに記憶を預ける」、アウトソーシングするというのは、よくいわれる。しかしこれは記憶とその脳機構を知れば、成り立たないとわかる。コンピュータのメモリーはスタティックなビットの形であるが、生物学的メモリーは常に更新されている。
だからremember everything とか言ってEvernoteに自分の脳の外付けHDDができたみたいな感覚でいると、精神のなかで作られる接続の富、脳内のシナプスを失い、逆にクリエイティブな能力を失うということか。はいはい。
十章、エピローグ
コンピュータに頼って世界を理解するようになれば、われわれの知能のほうこそが、人工知能になってしまう。(p309)
とりあえず、これを読んで思い立ったことは、ツイッターやめようと思います(笑)。
あれこそ、完全に自分の作動記憶に負荷をかけ続けるものだし、注意散漫な脳になる元凶のようなものに思えてきました。
おもしろいツイートする人が何人かいるので、それが見れなくなるのは残念ですが。。。。
ま、やめると気分がすっきりするものです。
ではでは!
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インターネットが、私達の脳、思考に変化を及ぼしているという本。長い本が読めなくなったりするとか。ネットばかりしていると頭が悪くなるという本かと思ったのだが、そうではなかった。ソクラテスの時代から、ニューロンから、グーグルまで、様々な観点で、その変化を検証している。
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もしもPCを使わずにいたら、わたしは何をしてたでしょうか。平凡だけど手書きを愛し、普通の暮らししてたでしょうか。時の流れに身をまかせ、ネットの便利さに染められ、読書の時間、それさえ捨てることもかまわない。だからお願い壊れずにいてね。いまはあなたしか愛せない。テレサ・テンの替え歌をつくりたくなるような本でした。しかし、読書に集中できないとき、ネットに逃げてしまっていること、あるあると思いました。私は、静かな、深い思考が知らずのうちに苦手になっており、本を読んだ記憶は知識として呼び起こすことが出来ない人になりつつあると思われ、ぞっとしました。
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タイトルは釣りだけど、内容は真摯。数多くの文献、脳科学からメディア論、文芸書までを引用し、ネット社会が脳に与える影響について考察していく。
人間は生存のため、注意力散漫な生き物だった。しかし、本の登場により、集中する能力を特定の技術者以外も身につけるようになった。
印刷技術の発展は、情報過多や記憶する力の衰退を一部危惧されたが、基本的には知の力を発展させ、人間の能力を拡大させるに至った。
だが、今検索の発展、ソーシャルネットワークの発展により、一つの物事に集中する力は失われ、始終メールやTwitterをチェックするようになってしまった。
さらにはネットサービスの、いかに簡単に情報を取り出させるかを発展させなければ生き残れない仕組みから、どんどんと細切れの情報へのアクセスは簡便になっていく。
長期記憶を捨て、コンピュータに短期記憶を放り込んで行く私達は、ハンマーを持つ大工は手をハンマーにしか使えないように、コンピュータというテクノロジーの延長になってしまうのではないか。
と、いうような事が書いてあったはず。学ぶものが非常に多い。確かに自分も、集中して本が読めなくなっている。時代に抗えないとしても、せめて自分の能力は退化させずにいたい。
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レビューはブログにて
http://ameblo.jp/w92-3/entry-10897120671.html
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最近結構ノンフィクションを読んでいる。
今回は、「クラウド化する世界」のニコラス・G・カーの最新刊。
多量の文献など丹念に調査した結果を検証してまとめる書き方は、日本では立花隆に通じるものがある。
初め(の方)で語られるのは脳の「可塑性」。
つまり脳は外からの刺激、使い方で、変化するという科学的事実。
そして、これが重要だが、「可塑性」は、「弾力性」ではないという点。
つまり、自然に元に戻ることはない。
次の段からは、人が使う道具(時計、本、タイプライター、etc)が、逆に人間の思考、脳そのものについて、影響を与えているという歴史的事実を丹念に掘り起こしていく。
そして、インターネットも(バカというのは語弊があるかもしれないが)確実に、人の脳に影響を及ぼしており、多量の情報、刺激と引き換えに、
注意散漫になる、記憶力が下がる、長時間集中できなくなる、などの影響があるという。
もちろん、「ネット以前」には今更戻れないが、注意する必要はある気がしてきた。
これを読んだ人は、電子教科書にやや反対になるかもしれない。
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原題"The shallows"のほうが適切か。割り込み型メディアに接することによる脳に適応/変質に対する警鐘書。他分野の視点が盛り込まれ楽しく読める。科学的な厳密性、妥当性はないため、事例報告として読むべき。デジタルメディアで勉強が軽減されるというような考え方を持っている人には必読。
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読む前から、インターネットばかりやっていると脳に多大な良くない影響を与えることを書いた本という先入観がありましたが、どうせまた例の、新しい次元の文明についていけない旧人類の、危ない危険だと連呼する戯言だろうと思っていたら、冒頭の巻頭言にジョン・キーツの「そしてこの広大な静けさのなかで/薔薇色の聖域をわたしはまとう/頭脳の格子垣を花冠にして・・・・」という『プシュケーに捧げるオード』から引いた一節を掲げたり、続くプロローグの2行目にマーシャル・マクルーハンの『メディア論 人間の拡張の諸相』に言及したり、さらに次の第1章でいきなり『2001年宇宙の旅』の人工知能を持ったコンピュータことHAL9000が登場したりと、この3つが、私の中の知的好奇心をブルブル震わせてくれましたので、これはひょっとしてとんでもない問題定義の本かもしれないと興奮することしきりです。
でも、ちょっと待って下さい、まずはじめにこうなったら、もう何年も前に一度読んだきりのマクルーハン3部作『機械の花嫁』と『グーテンベルク銀河系 活字人間の形成』そして『メディア論 人間の拡張の諸相』を再読する必要性を大いに感じて、のっけから寄り道読書です。いざ。
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ここ数年で、さらにインターネットはめまぐるしい進歩を見せ、私たちもネット無しでの生活は考えられなくなっている。
SNSの普及、クラウド化、デスクトップに所狭しと並ぶがジェット、1日数回にも及ぶメールチェック、ブログへの投稿。
実際、フリーランスライターである著者も、ネット中毒をやめることはできない。
やめるために努力した時期は、相当辛かったそうである。便利に使うはずのものに振り回されたのでは意味がない。
デジタル化された日常との上手い付き合い方をしっかりと考える必要がある。
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・著者が書籍マンセー(電子書籍すらも駄目)という人間であることはわかった
・なぜネットがNGかと言うと「ネットは注意散漫を招く、深い思考ができなくなる」から
・持論の説得力を出すため研究の事例を紹介
・ネットだけでなく、書籍も読もう。要は使い分けだろ。
・スキミングが我々の読みのモードとして支配的になりつつある
ん、何が問題?
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書原原題"The Shallows: What the Internet Is Doing to Our Brains"